語螺瀬健一のほんの数ミリ『非現実』に近づく事情

芳香サクト

第一章、水曜日は内気な気分

第1話 その雪景色が愛おしかったようだった

 現実という世界において、何か事件に巻き込まれる、主人公が超能力を身に着け戦いに巻き込まれる、落とし物を拾ったきっかけで世界を救う大惨事になる……などなど、少しだけの非現実が訪れた時、果たしてそこから元の現実に戻せるのだろうか……答えは簡単、Noである。その非現実が現実であると認識した瞬間、もう元の現実というものはなく、その非現実こそが現実となり、その現実で生きていくしかないのである。


 その日は確か水曜日のことだっただろうか、語螺瀬健一かたらせけんいちは一人の少女と出会った。思い返せば、そこから既に非現実であったのかもしれない。

 新年が明けて、三学期が始まろうとしていた時のことであった。日は出ているのに妙に薄暗く、嫌な予感がした健一は住んでいる自宅から、飛び出してみると一面真っ白な雪景色がそこにはあった。歯がゆい気持ちを抑えながらポケットの中でロードバイクのカギを鳴らすと一つ、白い息をついて自宅付近のバス停まで歩き始めた。田舎というか郊外というかあまり目立った建物がこの付近にない落ち着いた雰囲気がすべてを包み込んでいるかのような街並み。

 いつも使用している駐輪場を横目に捕らえつつ、健一は信号を左折した。そこから一分とかからない場所に目的地であるスクールバスのターミナルにたどり着く。

 既に何人か並んでいるところを見ると事情は違えど状況が同じであることを悟った健一は再び白い息を出すとそのまま、後ろに並んだ。スクールバスを利用するのは別にこれが初めてというわけではないが、いかんせん、あまり通いなれていない道にいるため、独特の雰囲気が健一を包み込み、なかなか体がなじまない。高校二年生になった今でも体が緊張している。

 このあたりでは唯一といっていいほどのスクールバスだが、学校の生徒だけでなく、普通に利用料金さえ払えばただの都市バスとして運行することもできる。それ故に、利用者の数は多い。バスターミナルが設置されているが、同じ学校の高校生だけでなく他校の高校生、さらには大学生や社会人までの姿も目立った。

 それらを遠目に確認しつつ、何度目かの白い息を吐きながら、スクールバスが来るのを待った。


「……………」


 そこから数分と時間はかからない状態で、後ろから煙をもくもくと上げてこちらへとやってくる一つの車があった。


「あ、やっと来た。」


 健一の数歩先に同じ制服をした女子生徒が近くの女友達に告げたのを聞くと、健一は他の人と同じように乗車を始めた。冬場による路面凍結はしょうがないといえばそうなのだが、いささか納得はいかなかったので、早めに溶けることを願って乗り込んだ。

 バスの中に入ると同じようなことを考えている高校生が多く、健一が乗り込んだ時には既に満席の状態だったが、外の寒さに比べればマシといえる。


「発車します、ご注意ください。」


 健一のすぐ後ろでドアが閉まり、そのまま流れるようにしてスクールバスは進みだした。健一は改めてバスの中をよく見るといつも自転車で来ている人たちも今日はさすがにバスを利用していた。つまるところはどいつもこいつも考えることは同じだということだ。健一はいささか仕方がないが立ち、座ることを半ば諦めてバッグから本を取り出した。

 そこから何個かターミナルを通過し、バスの中も少し空いてきたときに、目の前で座っていた一人の女子生徒が自分のバックを詰めて、健一に目線を合わせる。まるで健一に隣どうぞとでも言っているかのようだった。健一があたりを見渡すと付近で立っているのは健一しかいないらしく、その女子生徒のご厚意に免じて座り感謝の会釈をする。


「………」

「………」


 ふとした沈黙が健一にとって非常に気まずいことはすでに把握していた。見ず知らずの人に座席を譲ることはもちろん、譲られたこともないためどうしようかと迷っていた。

 そこから長い沈黙が再び続き、健一はせめて譲ってもらったことに対してのお礼くらいはしてもいいという解釈に走った。


「おはようございます。ありがとうございます。」

「お、おはよう………ございます。いえいえ…………」


 それだけ言うと、その女子高生はバッグをギュッと握りしめて、健一とは目を合わせたくないのか一面に広がる雪景色を見つめた。その行動がふと気になって健一がよく見ると同じ制服を着ているため、目的地は同じということだろう。

 健一はお礼の挨拶くらいしつつされつつであることと、社会常識というやつで間違っているわけではないと思いながらも、言葉を閉じた。

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