この世界で「やりたい」と思うこと
前世と前の世界について話しすぎてしまったアンナ。ぷかぷかと浮いていた体を戻し、上半身だけ湯船からあがる。
次のネイさんの言葉を待っていると、そう間もなくネイさんが口を開いた。
「アンナちゃんは見かけによらず大人で、色々と考えてるんだねぇ。それって偉いことだぞ〜」
いまだに湯船に体を少し浮かしているネイさん。目を閉じながら、褒めるような口調で言った。
「偉いですか......。でも自分は無力です。ウチは弱くて、何もできない。どれだけ努力しても、天才には勝てませんしね」
温まった上半身が外気によって急速に冷えていき、やはり寒いので、もう一度湯船に戻るアンナ。
するとネイさんが目を開いて、「いよっとぉ」と言ってアンナの右肩に右腕を回してきた。
「いやね。確かにその通りだけど、今は違うんでしょ?」
まるで見透かしているような言い草で、そして赤い腕を指差す。
確かにこの腕は前はなかった。そして体も名前も今は違う。
でもだからといって、アンナは強くない。左腕の能力は凶悪的な強さだが、それは真に強さとはいえない。
「ウチは弱いですよ」
「いや、君は強い。今までの発言から分かった。君は元々、他人のことを感じて考えられる心の強さを持っている」
そう言われ動揺が胸を駆け巡る。こういうの「胸がドキッとする」というのだろうか。
まさかそんなことを言われると思っておらず、どう反応していいかわからなくなる。
「で、でも」
「まあまあ、そう卑屈しない。それと強いとは言ったけど、一つだけアドバイスしてあげるよ」
ネイさんはアンナに急接近し、お互いのほおがひっつく距離まで詰めてくる。
そして左腕で空を指さす。今日の夜空は雲に覆われており、星さまは一つも見えない。
「雲......ですね」
「雲だねぇ。本当はこういう時夜空を見上げて『悩むことはないよッ!』ってかっこいいセリフと声でキメるんだけど......。まあそれは置いといて」
イマイチ決まらなかったことに不満を抱いているのか、ネイさんは決まりが悪そうな表情で「ごっほん」と咳払いする。
そして夜空に向かって伸ばしていた左腕を戻し、お互い見つめ合うように離れる。ネイさんはだいぶのぼせて赤くなった顔で「アドバイスはね」と一言置いて、そして言った。
「抱え込みすぎるな!あの夜空みたいに超絶自由に、やりたいことをやりなさい!です!」
やりたいことをやりなさい。てっきり他利行を積むべく「他人を助けろ」と仏様のようなことでもいうのかと思った。
「やりたいこと......」
それはなんだろうか。旅をしたいとは思う。でもそれは茫然とした目標であって、具体的なことは何も決まっていない。
今すぐ決めろということではないだろうが、ネイさんに言われたことは忘れないようにしようと思う。
「分かった。ありがとう」
「どいたま!」
ビシッと親指を上げるネイさん。デリバーと違えど、この人も大概面倒見が良い人だと思った。
それにしても長い時間話し込み、湯船に浸かってしまった。
多分三十分くらいは話し込んでおり、体が少し特別なアンナはともかくネイさんは顔も耳も真っ赤で危なっかしい。
「ネイさん、流石にお体に悪いですよ」と言って、アンナは先に上がろうとすると。
「ま、待ってぇ......。うあぁ〜」とゾンビみたいな声を出して、アンナの足首を掴んでくるネイさん。
これは茹で上がってしまっている。どうしたものか。
「とりあえず運ぶんで、ウチの背中に乗ってください」
「ういぃ」
ネイさんを無理やりお風呂から引っ張り出し、背中におんぶする。自分より身長の高い人をおんぶすると少し大変だ。
うまく調整して、そのまま運び出していく。露天風呂から室内風呂へ。そして脱衣所まで持っていき、誰もいないことを確認してタオルで自分とネイさんの水気をとる。
そしてネイさんが自分で起きるまで色々とお世話し、全てが片付いたのは大体十五分後くらいだった。
二人して暗い夜道を歩き、まっすぐ帰路につく。
家に着いたのは何時ごろだったのだろうか。玄関の扉を開けても明かりがついておらず、まだデリバーが帰っていないことが分かる。
「うへぇ、もう限界......。お、おやすみ......」
「ちょ、ネイさん?」
睡魔に負けてしまったネイさん。幽霊のようにふらふらとソファに向かって歩いていき、そのままぐったりと横になって眠ってしまった。
とりあえず着替えて汚れた服の入ったカバンを端に置く。
「うっんん〜」
アンナも寝る準備をするために体を伸ばし、そして自分は寝れない体質なのを思い出して、どうしたものかと悩む。
「......少し歩くか」
ネイさんは一人にしても大丈夫だろう。そんなものの数分で強盗が押し寄せるとは思えない。
それにあまり遠くを出歩くつもりはない。すぐに戻るつもりだ。
「この街の夜の風はどんなものかなぁ」
一応上着を羽織って、外出のためズボンだけ履き替える。
そして家を出てそのまま数分間歩き続けた。
「ここは......」
デリバーと一緒に、この街に入ってからネイさんの家に行くまでの道のりで通ったところを歩いていると、テニスコート二面くらいの広場に辿り着いた。
こんなとこ来たかも思い出せず、もしかして迷子になったのかと不安になりつつ、とりあえず目の前のベンチに座ってみる。
「よいしょっと」
木製のベンチだがしっかり塗装されており、この世界の技術力が意外と高いことに驚かされる。
もしかすると自分が知らないところで、未知の技術が応用された製品が多数存在するのかもしれない。
現にこの広場を照らす街頭は「電気」によって照らされている。
ネイさんの家もさっきの銭湯もだったが、この世界では電力という概念が存在し、何かしらの技術で送電しているに違いない。
しかし電柱が見当たらず、今のところ発電所を目にしたことはない。不思議は残るばかりだ。
(下手したらウチの世界よりも上手なんじゃないか?)
まだ世界を見て回ったわけではないのでわからないが、色々なところでこの世界特有の物は見かける。
ネイさんの家だってそうだ。あそこで売ってた商品は、アンナの世界にはまず売ってない。
「......風がちょっと吹いてるのか」
森の中にいたときは木々の揺らぐ音、それに自然の匂いと冷たく強い風を感じた。
ここはどうだろうか。風は強くはないが、人気が無くなった夜の静寂は驚くほど静かだ。何か出てきそうな不気味さも感じる。
「明日からもっと出歩きたいなぁ」
この街に何日滞在するのかわからないが、許されるなら夜の街を出歩いてみたい。この街での冒険をこの身に感じたい。
「......あ」
自分のやりたいこと。まだ完全な目標とはいかないが、当面の間「やりたい」と思ったことが決まったようだ。
昼間はともかく、夜の間は眠れないのを逆手に取って街を歩き回る。そして何かを発見するような、体験するような冒険をする。
これからの旅の予行演習として、今決めた小さな目標はいい練習になるだろう。
まるで必死に足掻いて生きる目標を見つけているようにも思える。アンナ自身、内心では必死に「やりたいこと」を探している。
以前の世界ではそんなもの持ってなかった。そして息絶えた。
この世界でなら何かできるかもしれない。左腕の凶悪的な力を持って産み落とされたのには理由があるはず。
「夜って落ち着くなぁ」
しかし今はそんな焦りや疑念は放っておこう。まだ時間はある。今夜は夜空を眺めるだけでいい。
夜空を見上げながら、アンナは足を伸ばしてベンチにもたれかかる。
そして何も見えないと思っていた夜空に、偶然雲と雲の間をくぐり抜けた、一つだけ輝く星を発見した。
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