頑張れ、わたし! ~その背中を押すのは私です~

サイトウ純蒼

頑張れ、わたし! ~その背中を押すのは私です~

――何でこんなつまらない話をするんだろう


小学五年生の美恵子は周りにいる女子の友達の会話を聞きながら思った。



「でね、川平君がさあ……」

「うそぉ、まじで!」


授業の間の休憩時間、サッカークラブでエースを務めるクラスの人気者の話で盛り上がる友達。爽やかでイケメンではあったが、美恵子はそんな話には興味が持てなかった。



ドン!


「あ、ごめん」


その時、横を通りかかった同じクラスの山本拓郎の腰が机に当たった。丸い顔、恰幅の良い体、いわゆるデブである。


「何あれ……」

「まじキモイ」


拓郎は顔じゅうに汗をかき笑いながら席に向かう。美恵子の友達はあからさまに拓郎に嫌な顔をすると悪口を言い始めた。



「……美奈子もそう思うでしょ?」


突然振られた美奈子は驚きながら思わず答える。


「う、うん……」



――本当にくだらない。本当に、くだらない……


美恵子はぼんやりひとりそう思った。






「いただきます……」


誰もいない部屋。帰宅した美恵子はひとりで夕食を食べる。


(美味しくない……)


宅配の夕飯。

毎日のことは言え、これまで一度も美味しいと思ったことはない。


くちゃくちゃ、くちゃ……


口に入れて噛んでも噛んでも味のしない夕飯を黙って食べる。



「もう食べられないな……」


ほんの少し口をつけただけでその大半を残した夕食。美恵子は残した食事を見てまた母親が「また残したの!?」と言って怒る姿を思い出す。



「うっ……」


無理やり口に入れようとしても体が拒否反応を示す。美恵子はすぐに食べるのを諦めた。


美恵子の家は裕福であった。

両親は医者でお金に困ることはない。ただふたりとも夜遅くまで勤務しほとんど家に居ないことが多かった。高校生の兄は家を出て医大付属高校の寮生活を送っている。小学五年生の美恵子は毎日ほぼひとりで留守番をしていた。


広いが暗い家の中を見て美恵子は思う。



(こんな家は嫌。お金なんかなくてもいい。家族で一緒に……)


美恵子には今ここにいない家族を思い出しひとり寂しさに涙を流した。






「いただきまーーーーすっ!!!」


学校の給食。

美恵子の隣に座った山本拓郎が大きな声で言った。慣れたとはいえ美恵子の耳が痛くなるほどの声。そして掛け声と同時に勢いよく食べ始める。



ガツガツガツ!!!


「ウメウメウメ、ウメーーーーッ!!!!」


とにかく豪快だった。

小食でほとんど食べることのできない美恵子は、隣に座る拓郎と言う生き物が不思議に映って仕方がなかった。それでも見ていて気持ち良かった。見ているだけでまるで自分が食べているかのような気になれた。



「ん? 山崎、また食べないのか? 食べてやろうか?」


顔中に汗をかきながら拓郎がほとんど食べない美恵子の給食を見て言う。


「う、うん……」


美恵子は周りの目を気にしながらそっとパンをひとつ差し出す。


「ありがと!!」


拓郎はそう言うと再びガツガツと食べ始める。


「ふふっ」


美恵子はそれを見て小さく笑う。



「あー、足りねえ!」


拓郎は美恵子のパンを食べてから更にもの欲しそうに周りを見渡す。美恵子はすぐに自分の残りのパンを拓郎の皿の上に置いた。



「お、いいのか?」


「うん、私あまり食べないから。牛乳も飲んで」


美恵子はそう言うと紙パックの牛乳も一緒に置く。拓郎が言う。



「そんなちょっとしかなくて大丈夫なのか?」


さすがの拓郎もおかずしか残っていない美恵子の給食を見て心配そうになる。美恵子が答える。



「うん、大丈夫だよ。私、小食だから」


「そうか、じゃあ貰うな!」


拓郎はそう言うと再びガツガツと食べ始めた。美恵子はそれを笑って見つめた。






「井上君、本当にカッコイイよね!!」

「うん、もうしびれちゃうよ」


学校の帰り道、美恵子は友達が話すバスケットクラブの人気の男子の話を黙って聞いていた。秘密のファンクラブがあるとか、どこかのクラスの誰かが告白したとか、美恵子には全く興味のない人間の話で盛り上がっている。



「美恵子もそう思うでしょ?」


「え? あ、うん……」


とりあえず話を合わせる美恵子。

ほとんど聞いていなかったので何を言っていたのか分からない。


「だよねー、そうだよね」



「うん、あ、じゃあここで……」


美恵子は友達に手を振ると、ひとり自宅の方へと歩き出す。





(あっ)


そんな美恵子の少し先に、ひとりの太い男の子が歩いているのが見えた。


(拓郎君……)


美恵子はすぐにその恰幅の良いクラスメートの顔を思い出す。いつも汗をかき、たくさんの給食を食べ、ちょっとドジな拓郎。そんな隙だらけの拓郎が美恵子はなぜか気になっていた。




「声、掛けて見なよ」


「え?」


拓郎から距離を取って歩いていた美恵子に、後ろから声が掛けられた。

振り返る美恵子。

そこには髪の長い奇麗な大人の女性が立っていた。



(誰? 知らない人……)


美恵子はその女性と面識はなかった。それでも女性は美恵子に遠慮なしに言う。



「話し掛けて見なよ、気になるんでしょ?」


美恵子はどうしてこの人はそんなことを知っているのか不思議でならなかった。それでもすっと心の中に入ってくるその声に不思議と嫌な感じはしない。


「でも……」


少しずつ離れていく黒いランドセルを見ながら美恵子が言う。



「でもやっぱり……、あれ?」


美恵子は初めてその女性のお腹が少し大きくなっていることに気が付いた。


「赤ちゃん、いるんですか?」


髪の長い女性は自分のお腹を撫でながら答える。



「うん。大切な赤ちゃん。大好きな人との子供だよ。あ、そうだ。ねえ、良ければこの子の名前考えてくれない?」


「名前?」


美恵子は唐突に言われた質問に戸惑う。それでも自然とその見知らぬ赤ちゃんの名前を考え始める。



家族、家族、暗い家庭、帰らない両親。

明るい赤ちゃん、女の人、子供。

元気に育って、明るい未来。

楽しい未来。


幸せな未来。



――未来みらい




「未来、なんてどうですか?」


美恵子は女性の顔を見て言う。



「未来、いいねえ。うん、いい名前だよ!」


女性はお腹を優しく撫でながら答える。




ドテン!!


「いてっ!!」


ふたりは前の方を歩いていた拓郎が思いきり転ぶ声に気付いて振り返る。

どう転んだのか知らないがうつぶせに派手に転がっている。



「あ……」


美恵子が心配そうな顔をする。



ドン!


「きゃっ!!」


その時、女性が美恵子の背中を叩いて言った。



「行って来なよ、早く!!」


「えっ、あ、うん!!」


美恵子は女性に背中を押されて、恥ずかしいと思いながらも転がる拓郎の方へと真っすぐに駆けて行った。



(頑張れ、……。)


女性はその真っ赤なランドセルを見つめながら心の中でつぶやいた。






「おーーーーい!!!」


三十路過ぎの男、その男は顔中に汗をかきながら公園の芝生の上を駆けて座っている女性の方へと向かって走った。



ドテン!!!


「痛ってえええ!!!」


男は走りながら転がるように派手に倒れた。


「た、拓郎さん!?」


女性は立ち上がると、転がった男への元へと慌てて走り寄る。



「拓郎さん、大丈夫??」


女性は男のそばに行くと腰を下ろして手を差し出す。男が言う。



「だ、大丈夫だよ。美恵子ちゃん。それよりお腹が大事な時なんだから、無理しちゃだめだよ」


男は女性の大きくなったお腹を見て言う。女性が答える。



「私はあなたが転んだ時はいつだって手を差し出すわよ。さあ、つかまって」


男はそう言って差し出された手を頷いて掴んで起き上がる。



「ありがと。さあ、戻ろうか」


ふたりはそう言ってレジャーシートの方へと歩き出す。女が言う。



「ねえ、私ね。この子の名前考えたんだ」


「え、そうなの? どんな名前?」


女性がお腹を優しく撫でながら言う。



未来みらい。いつだって、どんな時だって明るく、楽しく、幸せな未来を見られるようにって」


「みらいか……、いいねえ。うん、そうしよう。男でも女でも行けるしね!」


女性はほっとした顔で言う。


「良かった、気に入ってくれて」


男が答える。


「当然だよ、君が考えてくれた名前なんだから。さあ、お弁当食べよっか」


ふたりはレジャーシートへ戻ると、食べかけの弁当を手にする。女性が言う。



「私、もうお腹いっぱいだよ。拓郎さん、まだ食べられる?」


男は汗をかいた顔で大きく頷き女性に言う。



「もちろん! 美恵子ちゃんが作ってくれた弁当を残す訳ないだろ? さあ、貸して」


男はそう言って弁当箱を受け取ると大きな口でガツガツと弁当を食べ始めた。



「ウメウメウメウメ!! ああ、美恵子ちゃんの弁当、本当に美味しい!!」


女性は小学生の頃、隣の席で同じように美味しそうにご飯を食べていた光景を思い出す。そして彼と一緒になってから初めてご飯が美味しいと感じるようになった。



(もうすぐ三人で一緒に食べられるのかな)


女性はそう思うと自然と目に涙が溢れて来る。そして女性は汗をかきながら一生懸命弁当食べる男を見つめながら小さく言った。



「ありがと、拓郎さん」



「ん? 美恵子ちゃん、なんか言った?」


弁当を食べながら男が聞く。女性は首を振りながら答える。


「ううん、何でもない、何でもないよ」


男は笑顔で頷くと再び弁当を食べ始める。



女性は彼の弁当を食べる姿を見ながら心の中で言った。



――頑張ったね、私。


女性の頭に、あの日必死に追いかけた黒いランドセルの男の子の背中が思い出された。

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頑張れ、わたし! ~その背中を押すのは私です~ サイトウ純蒼 @junso32

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