明かせない初恋

とがわ

明かせない初恋

 初めて、人を好きになった。

 男は女を、女は男を好きになると初めから決まっていた。けれど、同性を好きになることだってなんら変わらないことを知った。そして、人を恋愛感情として見ることのできない人がいることも知った。

 自分はどの属性なのだろうと、焦る気持ちで色んなことを調べた。だけれど、漸く。二十歳を迎え、恋をした。初めての恋。一度も恋をできずに終えるのかと思ったがそれは免れた。キラキラと歯がゆい心地の良い恋心を、ようやく味わえることになった。


 俺は、免許取り立ての大学の友人に車を出してもらい、もう一人交え三人でネモフィラ畑に向かっていた。「本当は彼女と行きたかったんだけど」と運転席で友人は笑いながら言った。そうはいっても、なんだかんだで俺たちが好きな優しい奴だ。

 高速道路で百キロを出して死ぬ思いまでしたが、数分も経たずに目的地についた。ハンドルを握る友人は「俺まだ駐車はできなんだよね」と言って、駐車場の白線などガン無視して駐車をした。「おいおい、まずいだろ」と俺は言うが「大丈夫だって」と軽く返事をされ納得した。もう一人は後部座席で眠そうにしていた。

 眼前に広がるネモフィラ畑は、規模は大きくないため期待はしていなかったが、ネモフィラ一輪一輪が精いっぱい咲いていてとても綺麗だった。友人らは拍手をしていた。

 ネモフィラ畑をズガズガと進んでいく途中、運命は訪れた。

 真っ青なネモフィラ畑に囲まれながら、そっと吹くそよ風に、真っ白のワンピースと綿毛のようなふわふわの茶髪が揺れている。彼女を一目見て、瞳も心も一瞬で奪われた。ストン、とハートが型にはまっていく。ネモフィラも、そのワンピースも君のためにあるのだと腑に落ちた。

 ネモフィラに夢中だった君は、横顔ばかりであまりよく見えなかった。だが友達と一緒にいる君はとても可愛らしく笑って、話をしていた。もっと近くで、顔をみて話をしたい。好きと伝えたいと強く思った。

 友人らは俺の背中を力強く押した。「俺らはその辺歩いてるから」と。男前じゃないか。それに応えるべく君に近づいていった。

 距離としてはそれほど遠くない筈なのに、随分遠いかのようになかなか近づくことができなかった。ネモフィラが俺を後ろへと巻き戻しているかのように。手を伸ばしても君を掴めない。君は友達と移動していく。俺は焦った。待ってくれと声を発しても届いていないようだった。走った。ネモフィラを踏みつけていることすら気づかずに、ただただ君を追いかけた。頼むから、俺に気づいて。この手を取って。俺の気持ちを繋げてよ。心から願った。

 すると君は振り返った。俺を見ている。じっと。友達を先に行かせたようで、ただじっと見つめ立っている。ニコリともしないが、真正面からみる君の顔はとても可愛くて、包みこんであげたくなった。

 ようやくたどり着いた時、俺は君をぎゅっと抱きしめた。

「やっと会えた……」

 言ったのは俺だが、君も「ええ」と答え、強く抱き締め返した。

 知っている匂い。ふわりと柔らかく、可憐で上品な香りが鼻腔を蕩かす。綿毛のようにふわふわの髪は、どれだけ経っても変わらない。わたあめみたいに、白くふわふわつるつるな肌。ぎゅっと抱きしめると身体にフィットして心地いい。この感触全てが、君を証明する。

「好きだよ」

 初めて逢ったはずなのに互いに感じている運命。君を知っている感覚。

 俺らは繰り返しキスをした。君をもう離したくない一心で、涙を流しながら、君に口づけをする。

「ねぇ、私たち、恋人よね?」

「当たり前だろ」

 ネモフィラ畑の中心で、接吻を繰り返す男女は、観光客からすると迷惑で気狂いだ。知っていた。

 止めてくれたのは後部座席で終始眠そうにしていた友人だった。さっきとは打って変わって目をキリっとさせ俺たちを引きはがした。途端俺は過呼吸になって君を探した。君は瞬時に俺の手を取った。

「帰らねーの?」

 運転手の友人も、君の友達もやってきて、怪訝な表情で俺たちを見た。

「彼女と、帰る」

「この人と、帰る」

 君も同じ様に言った。

「誰よこの人」

 君の友人が今度は腹を立てながら畳み掛けてきた。

「私の恋人よ」

「あんた、彼氏いるじゃん。浮気?」

 俺も驚いたが、その彼氏はきっと何かの気の迷いだろう。

「この人とはずっと、結ばれていたの」

 そうだ。そうなのだ。ずっと悩んでいたことが馬鹿らしい。本当はずっと、愛おしい君がいたのに。

「もういいよ」

 友人らは皆声を揃え俺たちから遠ざかっていった。俺はもう一度君の身体をぎゅっと抱き寄せて、熱く深いキスを交わした。

 恋人繋ぎをしたまま、すっかり夜になって誰一人いないネモフィラ畑を歩き回った。

 月のない夜。ただ、ネモフィラが一輪一輪、青白く輝いていたお陰で、君の可愛い顔を永遠に、眺めることができた。


 朝、目を覚ますと、泣いていた。頬に涙が流れていて、枕が濡れていた。ベッドにある枕は、ひとつだ。

 初めての出逢いはきっと、一瞬の出来事だった。その一瞬で身体全体に君の姿も匂いも声もが刻み込まれた。

 夢だったのだと気づいた時、苦しくて苦しくて、俺はもう一度泣いた。それでももう一度君に会いたくて、仕方がなかった。きっと君はこの世にいて、君も同じタイミングで俺と出逢って、今泣いているのだと思うと、抱きしめたくて仕方なかった。俺はここにいるよと、叫んでしまいたい。

 けれど、これを人にいってしまえば笑われるのは容易に想像がつく。だからこれは、俺たちだけの秘密の恋物語だ。俺の初恋は正真正銘のもの。きっと君はこの世のどこかで、息を吸っている。これからの人生は、君を探す旅だ。

 俺は紙に君の絵やネモフィラ畑の絵を描いた。あくまでそれはおまけで、最初から最後まで、思い出せる限り詳細にメモを残した。いつか君に夢の中での出逢いを話すためだ。

 待っていて。いま、会いにいくから。



「好きだよ」

 かつて好きだった初恋の相手にまた、ぎゅっと強く抱きしめられていた。これは夢の中だと瞬時に気づいた。懐かしく切なく儚い初恋。

 初めて貴方に出逢ったのはいつだったか、忘れてしまったけれど、貴方は私のことを本気で愛してくれていた。現実世界で出逢ったことは確かにないけれど、貴方は最初の出逢いから何度も私の夢に入りこんで会いにきてくれた。現実世界で彼氏のいた私の心は、冷静になっても貴方に心を奪われていて、彼氏とは大喧嘩しながらお別れをした。貴方は何度も会いに来て私に誓いの言葉をくれたし、キスもたくさんしてくれた。どの季節だってネモフィラは咲き誇っていて、私たちを包んでくれていた。

 当然、友達からは酷く呆れられた。冷静になった時、ほんの少しおかしいのかもしれないとも思った。それでも夢の中の彼はいつまでも心の中に、いや身体全体に染みついて忘れることなどできず、本当にこの世にいるのだと信じていた。もともと好きな人などに興味もなく適当なお付き合いをしていた私が初めてできた本当の好きな人だ。初めての甘酸っぱいあの重たい想いは心地よかった。

 しかし、やがては霧も晴れるものだった。親からの結婚の圧が私を焦らせ、思い切って見合いをしたかと思えば、相手からの猛烈なアプローチに落ちていた。案外すんなりだった。恋は盲目とはこういうことをいうのだろうか。しかし。


 朝起きて、枕が濡れていた。恋は盲目なのか。いや、この涙は私が単に未練を残しすぎている証拠だ。

「やぁ千恵さん。おはよう」

 夫を愛しているのも、本当のはずなのに。

「おはようございます」

 この人が夢の中の相手ならどんなに良かったかと、何度願い、期待したことか。

「今日、昔の夢をみたの。久しぶりにね」

「例の初恋かい?」

「ええ」

 私が覚えている限りの夢の内容を夫に話したことがある。もしかしたら彼なのではないかと、胸を膨らませ話したが、人生そう願い通りにはならなかった。

「彼もどこかで素敵な恋をしているさ」

「……そうね」





『彼もどこかで素敵な恋をしているさ』

 千恵の夫である宗一のこの言葉は本物だった。

 宗一と千恵には長男がいた。数年前、家を出ていった息子の部屋の整理をしていた時、宗一はあるメモ用紙を見つけていた。そこには、若い女と花畑の絵の下に長々と文章が記されていた。その内容は、千恵が昔話してくれた夢のネモフィラ畑で出逢った男の子視点からのものとよく似ていたのだった。不思議に思った宗一は、千恵から夢の詳細を聞きメモをした。夜、千恵が眠った後に息子のメモと見比べるとやはり二人の夢は完全に一致しており、それぞれの相手の特徴は昔の千恵であり、大学生時代の息子だった。

 どういった時空を漂っているのか。親子で同じ夢を見ていたという事実は揺るがないものだった。

 夢の世界がどうなってしまっているのか、狂い始めているのか、はたまたこの親子がどうかしてしまっているのか、確かめる術はなかった。

 二人の初恋の真実は、きっと互いに知らない方が綺麗で美しいままだ。

 息子が結婚をしたとき、宗一がどれほど安堵したか、二人は知る由もない。

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