第20話『失くせないもの』
フローラル・メティア侯爵令嬢達に周りを包囲されて連れてこられたのは、男子寮と女子寮の間にある泉の近くだった。
泉をぐるりと囲うように請け負いの庭師によって美しく整備された庭園となっており、休日や放課後等は婚約者同士で散策したり、高位貴族の御令嬢方は自分の侍女見習いへ茶会の準備をさせて同じく高位貴族の御令嬢方を招待して社交を行うなどして過ごす場所となっている。
両脇にいたご令嬢が二人がかりでいきなり両腕を掴むと私を拘束してきた。
「ちょっ、なにをするんですか!? やめてくださっ! うぐっ……」
拘束から逃れようと暴れるとバシッ!と言う音と共に左頬に鋭い痛みがはしる。
どうやらご令嬢の一人に、左頬を平手で打ち付けられたようで、口の中が切れてしまったのか口の中に血の味が染み渡る。
「暴れるんじゃないわよ、このあばずれ!」
痛みに呻く私の制服の胸元へ手を入れると何かが引き出される感覚がして血の気が引いていく。
それはレオナルド殿下からお預かりした大切なブローチと許可証、私室の鍵が入っている巾着だった。
「あら汚らしい……ボロ袋」
そう言ってさも汚い物でも摘み上げるようにこちらへ見せ付ける。
もし失くしでもしたら信用問題に関わるため常に肌身離さず長めにしていた紐を首から下げる形で持ち歩いていた。
嫌がらせの一貫か私に割り当てられている机やロッカーに入れてあった私物カバンを荒らされてからは更に注意して懐に忍ばせていたのだ。
「返してください! それは大切な物なの!」
両脇からの拘束を振り払おうと暴れながら、こちらを無視してフローラル侯爵令嬢が袋の口を開ける。
袋の底辺を持って逆さにし、数回振ってみせると、ブローチと許可証と鍵が草地に落下した。
それをこちらへ見せ付けるようにしながら一つ一つ拾い上げる。
「下級貴族が持って良い物ではないわよねこれ?」
ニヤリとフローラル嬢の美しい顔が醜悪に歪む。
次の瞬間大きく振りかぶったフローラル嬢の手から何かが泉へと投げ入れられた。
「いやっ、やめてー!」
次々と放物線を描いて飛んでいく物を涙で見えない目を必死に見開いて……それまで拘束から逃れるためにしていた抵抗すらやめてひたすら落下位置を覚え込む。
「うふふっ、いいきみね」
泣き叫ぶ私の姿の一体何が楽しいのだろう……クスクスと笑う令嬢達の考えがわからない。
それでも醜態を晒す私の姿に安心したのか、はたまた他の理由かそれまでの強い力で抑えつけられていた拘束が弛む。
「なに!?」
「ちょっと! きちんと拘束しなくてはいけませんわ!」
その力が弛んだ隙を掻い潜りそのまま泉へと飛び込んだ。
覚えた場所へ頭を上げたまま平泳ぎで進む。
岸辺から三メートル程はなんとか水底に足がついたけれどそれ以上進めば直ぐに足がつかないほどの深さになった。
これ、一番深い所でどれ程の水深があるのだろうか……もしかしたら見つけることができないのではないかと恐怖なのか、はたまた寒さのせいなのかわからない震えが襲ってくる。
「ぶざまねぇ、ねぇ? いい加減あきらめたら?」
この世界では女性は入浴時にお湯や水で身体を清める位しか水に身体浸すようなことはしない。
比較的豊富にお湯を使えるのは貴族かその恩恵をもらえる使用人くらいだろう。
そのため水泳なんて習わないし、水遊びは小船に乗って遊覧くらいが精々だ。
躊躇いなく岸から離れていく私の姿にそれまでクスクスと笑いあっていた令嬢たちの顔色がどんどんと悪くなっていく。
「もうブローチも許可証も水底に沈んだのよ! 諦めなさい!」
岸辺から必死に叫ぶ声が聞こえてくるけれど振り返ることなく進み続ける。
「フローラル様、このままではあの子溺れ死んでしまいませんか?」
「そんなっ、そんなことをある訳がないではありませんか!」
「でも……」
なにやら揉めだした様だが、ブローチが落ちたと思われる場所の近くに来たので息を大きく吸い込み水の中へと潜る。
「キャァァ! しっ、沈んでしまいましたわ!」
「溺れたのかしら!?」
なんとか目を開けて周りを探るけれど、もう外は夕闇で光が届かない水中はさらに視界が効かない。
呼吸が続かなくて水上に出れば騒いでいた令嬢たちが逃げるように岸辺から去っていく。
「私達人を殺してしまったの?」
「いいえ! あの娘は勝手に泉に飛び込んだのよ! そんなはずあってたまるものですか!」
息を整えてまた水中へと潜る。
二度と失くせないものレオナルド殿下(勝っちゃん)との細く短い繋がりを切らしたくない。
そう、誰に何を言われようと……
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