きれいなものみつけると君に教えたくなる
城谷望月
きれいなものみつけると君に教えたくなる
だってその人はぼくの一番大切な人だから、今日もぼくはレンズ越しに世界を切り取ってはそれを送ろうか、いや迷惑ではないかと迷い、結局SDカードの中に丁寧に切り取ったはずの世界の一部分を押し込めたままにしてしまうのだ。
たとえば落ち葉の吹き溜まり。たとえば蜘蛛の巣に捕らえられた雨露。たとえば夜空に点滅する障害灯。
その人がきれいだと言った物を全部、ぼくは切り取ってポケットに仕舞い込んできたんだ。
よく晴れた冬のキンと冷えた朝、ぼくは早起きをしてコーヒー豆を煎る。人生の価値が毎朝の過ごし方で決まると聞いたことがあるけれど、ぼくは挽き立ての豆の香りが部屋に満ちるこの瞬間のために毎朝早起きをするのだ。高校生のころには知らなかった喜び。
「コーヒー飲まないなんて、人生損してる」
ちょうどパズルのピースがパチンと嵌まるように、その人の言葉はぼくの胸の中に空いていたほんの小さな隙間を埋めてくれた。
朝日が昇り出すころ、トースターでバターを乗っけたパンをこんがり焼き、目玉焼きとウインナーを添える。熱々のコーヒーと共に、ぼくの体の中だけでなく、心まで温めてくれる。
朝食の後、すぐに仕事に取りかかる。半年前から雑誌に連載し始めたエッセイが話題となり、半年間の契約だったはずが一年に更新された。ぼくの身の回りで起こる些細な出来事を綴った素朴なエッセイだった。
そこにぼくは6回も文章を載せていたけれど、一度もその人のことを書いたことなんてない。一番大事なものって、やっぱり書けない。二番目、三番目ばかりで溢れている。空っぽな言葉。だけど、人気になってしまった。
「人間の恋愛感情は三年しか保たない」
その人がぼくに授けてくれた最も救いのある言葉だ。
三年。
三年経てば、その人のことを忘れられる。
そう信じてぼくは近い将来訪れる安寧の日を待ち続けてきた。
――でも、四年も経ってしまったよ。
ぼくは人間じゃないのかもしれない。
エッセイの下書きを終えると、ぼくはランニングウェアに着替えて部屋を出る。毎日のルーティーン化された行動は、時として人を救う。
走りながら、ふと目に入るきれいなもの。
光る海面。常緑樹の木漏れ日。渡り鳥の隊列。
この時間帯を選ぶのは、出勤前のサラリーマンジョガーとぶつからずに遠慮なく走れるからだ。
時たますれ違うのは定年退職後健康管理のためにウォーキングを始めた60代男性。あとはベビーカーを押した主婦。
ぼくは彼らのように生きることができないから、こんな時間に走ったりしている。
きっとその人は今頃こんな風に住宅街を走ったりせず、立派なビルのオフィスの中でまともに働いているはずだし、その人の妻となった女性はさっきすれ違った主婦みたいにして子どもを抱きかかえているのだろう。
ぼくみたいなマイノリティーなんかの相手をするのは青春のほんの一ページに過ぎなくて、来るべき時期が来たらさっさといい会社に就職していい女性を捕まえいい結婚をし、いい家庭を築く。
まるでぼくという存在なんて最初からいなかったかのように。
ぼくが切り取った世界の中に自分がもう入り込まないように、さっと身をかわす。
ジョギング帰りに、また世界を切り取る。きれいなもの。その人に教えたくなってしまうもの。
たとえば雲一つない空。たとえば膨らみかけた梅の蕾。たとえば悲しくなるくらい繰り返される懐かしいメロディー。
明日から、五年目が始まる。
きれいなものみつけると君に教えたくなる 城谷望月 @468mochi
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