第十話 混戦トレーション(1)
緑チームの三人は、擬体の超握力を利用して壁面をよじ登るという謎の新スキルを使い、観衆の笑いを買いながら二階へと進んだ。
壁から顔を出して様子をうかがった三人は、同じフロアのはるか奥に動く擬体を視認した。赤いオーラをまとった、赤銅色の体。
「さっき逃がしたあのヤロウがいる」平良が声を出す。「今度こそ倒す。奇襲で」
なぜか楽しそうにククク、と笑う平良。
「おお〜、やっぱり奇襲は最高だよね。でもこの場合はあたしがオトリかな?」なつが同調する。
「そうだね、杉野なつが戦っている間に、僕が背後から忍び寄って襲うよ。観客に騒がれないように気をつけなくちゃ。奇襲が台無しになるから」とかく名前を忘れられがちな田中が言う。
奇襲に胸を躍らせる三人は、クククと楽しそうに笑うと、両手指で壁をつかみながら敵に見つからないように近づいていく。あちこちに穴が開いてはいるが、部屋のようになった場所で、平良となつが左右の壁面に分かれて待ち伏せる。
戦いの時は、ほどなく訪れた。
赤いオーラの擬体――九頭竜と大河原の二人が、壁の内側に踏み込んだ瞬間、ゴングは鳴った。
まるで樹上から飛びかかるヒョウのように、なつが大河原に飛びかかった。首を狙われた大河原はとっさにかわした。
「ちぇ、おしい」
両手両足で着地したなつはすぐさま構えを正して迎撃に準備する。
赤いライナーのなつの擬体と、ウルトラマンのような大河原の擬体の印象は少し似ている。その二人が相手を組み伏せようと対峙した。
「出たね~通称『最強女子』。でも今日からはあたしが最強って名乗ろうかな」なつが言う。
「天才とかかわいいとか言われて調子に乗ってる妹ね。あたし、かわいい女の格闘家は全員つぶすって決めてるのよ」
女子格闘家同士の殺気が場を支配する。その一方で、すでに超高速の打撃戦が再開されようとしていた。
待ち伏せしていた平良が壁から九頭竜に仕掛けたのは、とび蹴りだった。一瞬の殺気に反応した九頭竜はカウンターを返そうとしたが、上空から迫る敵への効果的な攻撃がとっさに出なかった。
「おしい。今度は逃がさねえぞ」平良が笑うような声で言う。
「そっちこそ、もう卑怯な奇襲しないでくれよな。俺苦手なんだよそういうの。って、言わなかったっけ?」
「知るか」
平良は跳躍のためのエネルギーを溜めるようにしゃがむと、引き絞った左拳を突き出しながら九頭竜に突っ込んだ。まっすぐトサカ状の頭を狙う。
肉眼では追えないほどの速さの突きだったが、九頭竜は当然のごとくかわした。そして同時に平良が準備していた二撃め、右の中段突きをはたき落とした。九頭竜のディフェンス、目の良さは、もはや未来が見えているかのようだった。
九頭竜はカウンターのヒザ蹴りを繰り出すが、平良も予期していたように後退してかわす。
軸足のみとなった九頭竜に対して、平良は顎を狙った上段突きを放った。
その時だった。片足状態だった九頭竜は、ひざ蹴りを空振った足先をムチのように蹴り上げると、突っ込んできた平良の頭部に、打ち下ろした。かかと落とし。テコンドーではネリョチャギとも言う。
「ぐあっ!!」
鈍い打撃音と平良の痛切な声に、にらみ合っていた女子選手二人がはっと振り返る。
「たいらくん!」なつが叫んだ。
その間隙をついて、それは起きた。
ウルトラマンことレスリングの名手・大河原沙織は、人生で初めて、背中を完全に取られた。
「取った」のは、音もなく近づくステルス男、田中。
田中は無駄のない動きで大河原の大きな擬体を裏投げに投げた。大河原は足をかけて防御しようとしたが、かかるほうの足をすかされ、巨躯が空中に舞った。
柔道の試合であれば、完全なる「一本」だった。大河原は頭部を守るべく受け身を取ったが、ひねりを加えて叩きつけられたダメージは甚大だった。肩から背中にかけて、装甲が大きく破損。あと一撃大きなダメージを食らえば、擬体はもたない。
「ノナカくんすごいっ!」なつが思わず声を上げた。
大ダメージを負った大河原は田中の追撃――おそらくは抑え込みか関節技――を避けるべく必死で這って逃げようとした。しかし田中の右手が大河原の足首をつかみ、そのまま足を極めに行く。
なつの視界に金色のトサカ頭、九頭竜が割って入った。「あぶない!」
田中の攻勢は、乱暴に叩きつけられた蹴りによって阻止された。
九頭竜の赤銅色の擬体の、太く長い脚から力まかせに繰り出された蹴りは、田中の頑丈な擬体のガードもろともはじき飛ばした。
「は!チーム戦むずいな!いちいち助けに入らなきゃならねえ」田中を蹴り飛ばした九頭竜が上気して叫ぶ。
「わわ。ヤバい」なつが声をあげる。
「どこ見てやがる!お前の相手はこっちだろうが」
頭頂部を破損した平良の銀色の擬体が九頭竜に再び殴りかかった。しかし、これはフェイント。九頭竜の反応をみて取り下げる。
「脚部を狙ったほうが効果的」――平良は基本を忘れない。九頭竜が放ってきた電信柱のようなミドルキックを受けて吸収すると、軸足に向けてローキックを放つ。擬体のローキックのダメージは大きい。九頭竜の赤銅色の脚にミシリと打撃痕がつく。
九頭竜は明らかに怒ったようだった。ローキックは自分の
九頭竜は憤怒の攻撃を繰り出す。超高速、損壊しつつある平良の頭部を狙ったハイキック―しかも軌道が変化する―ムチのように空中で変化し、蹴り下ろす。それを、平良は避けきった。
チャンスを逃さず、平良は距離を縮めた。が、目の前にほのかな光の残像を残し、九頭竜が消えた。
平良は忘れていた。「なにか隠している」と感じた、あの気配を。
とっさにピーカブー(両腕で頭部を守る防御)を取ろうした平良は、サイドからの激烈な一撃によろける。側頭部に衝撃。なにかシャープな、キレの良い攻撃を食らったと、かろうじてそう認識した。被弾。
ようやく姿を現した九頭竜がどうやら放ったのは「バックハンドブロー」か。またの名を回転裏拳。まったく見えなかった。これをピンポイントで当ててくる九頭竜の「当て勘」は非凡だった。いや、擬体の性能と言うべきか。
平良は悟った。頭部はもう限界。かすってもやられる。だとするとすることは一つ。
死なばもろとも。
「うおお!!」
ひと声吠えると、大ぶりのフックを浴びせる―フリをする。これはフェイントだ。繰り出されたカウンターのジャブの下をくぐる。
狙いはテイクダウン――ダメージを負った平良は打撃戦を避け、
しかし。九頭竜は平良が微妙に重心を下げたことをを見破っていた。下に落ちる平良の顔面を狙って痛烈なひざ蹴り。爆発音――直撃した。平良の擬体が、ずるりと崩れていく。
「うわ!」となつが悲痛な声をあげる。
これで終わりだと見ていた全員が思った。
「意外とあっけなかったな」九頭竜が心なしか残念そうな声を出す。そしてひざ蹴りに出した足を引っ込めようとした。
「あれ?」九頭竜の足先がなにかに引っかかったようだった。
つま先は、平良の指先でつままれていた。九頭竜がつま先を振りほどこうとした瞬間、まるでモーターボートのエンジンをかけるために勢いよくヒモを引くように―平良の銀色の擬体は指先だけで九頭竜の足を引いた。
バランスを崩す九頭竜。その残った軸足を、平良は刈った。重量のある擬体が背中から落ちる衝撃。
「とったぞ」平良は大きくひしゃげた頭部でかろうじてつぶやいた。
平良は九頭竜を馬乗りに組み伏せた。マウントポジション。
焦り狂う九頭竜が吠えた。下から構わず長い腕で平良の頭部に打撃を加える。
有利なマウントを取りながらも平良の擬体が、こと切れた。
「渋谷、たのむ」
平良の擬体が消え始めるのと同時だった。なつの擬体が動いた。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - ◆あとがき◆- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
平良くん(の擬体)は、筆者が大好きな格闘家をベースに作られています。
経歴からわかるかな?笑顔が魅力的なあの強い人。平良徹という名前にもヒントが…ってマニアックすぎるか…。
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