第二十九話 妹と兄

*山影リョウ*


擬体化することで、戦う意欲が「異常に」増す。これは、ハンドラーのすべてが感じていることだった。戦う技術を持っている子なら、その技術で相手を食らいたくなるような、どう猛な感情。ただ…。

ハンドラーには事実として格闘系の子どもが多かったが、そうでないタイプの――自分を追い込んで記録を追求する、どちらかというとマゾ気質の――少年も一定割合で存在する。


山影はまさにそのタイプだった。短距離~中距離を得意とし、小学生にして100メートル12秒前半。韋駄天の名をほしいままにし、中学生での活躍が期待されていた。


そんな山影が、ハンドラーに選ばれた。様々な個性や能力の中で、山影の「速く走る能力」は戦いには明らかに不向きな部類だろう。もしも武器があるのならば少しは良いかもしれない。山影は考えた。逃げ足は速い。突撃することはできる。それ以外でなにか…なかった。

やむなく、突撃してタックルする戦法を練習した。自分の擬体ならばトップスピードで時速7~80キロは出るだろう。体ごとぶつかり、相手を壁に激突させてダメージを与える。これしかなかった。


山影はその唯一の戦法を、この最後の戦いで、ためすことができなかった。


もう捕まってしまったからだ。相手の擬体のパワー、とくに手のパワーがすごいなあと感心する。擬体の一部に指をひっかけられただけで捕まってしまった。

山影は世界が回転するのを見る。投げられたのだ。そしてそのまま猛烈な圧力を感じる。抑え込みというやつだ。首と右腕が極められている。そしてその圧力がどんどん強まっていく。


せめてもう一度、全力でトラックを走りたかったなあ、と思った。


自分の擬体がつぶれる音がした。



* 未咲*


土埃が舞う野球場で、恰幅のある青い擬体と、スリムな白い擬体が対峙する。

柔道対空手。共に「道」を名乗る、歴史ある武道。捕まったらやられる。逆に、捕まらなければこちらが有利だ。


「あんたは一度、妹に仕留めそこなわれてるだろう」青い擬体は言う。「兄としては、かんたんには負けられないな」

未咲は、体…いや、擬体の芯に、カッと火がつくような感覚を覚えた。

「擬体が治るのにずいぶんかかったわ。あなたの妹に『不意打ちで』やられたぶんまで、借りは返させてもらう」


未咲は、全ての屈託を脱ぎ捨て、純粋に戦いに集中する。目の前の屈強な擬体を、研ぎ澄ませた打突で倒す。それだけだ。


だが、安易に飛び込むと捕まる。

未咲は外から回りこみ、左の上段蹴りを放つ。右腕でガードする青い擬体。ガードしても装甲にはひびが入るほどの威力。

青い擬体は、多少の攻撃は食らう覚悟で、擬体の首元を狙ってくる。外からダメージを与え、素早くバックステップを踏む未咲。


永遠とも思える時間、攻防が続く。業を煮やしたのか、青い擬体が首か頭を狙って突っ込んできた。ボディががら空き。未咲はその隙を逃さない。渾身の中段蹴りを放つ。頑強なボディの筐体が破砕する音がする。しかし。


青い擬体、杉野兄妹の兄である虎太郎は、それを誘っていた。右腕で脚をがっちり抱え込む。

「捕まえた、ぜえ!」


しかし、未咲もそれを知っていた。“中段蹴りをつかむのは定番なのよ”、未咲は心の中でつぶやいた。

抱えられた左脚をあえてあずけ、それを軸にして宙に跳ぶ。背中から回転しながら全身のひねりを加え、右脚を青い頭部に叩き落す。

「せいやああああ!」

変則の胴回し回転蹴り。


青い擬体の頭部の装甲が砕ける。よろける虎太郎と、うつぶせに落ちる未咲。

「一撃はもらう覚悟なんだよ!」虎太郎はうつぶせ状態の未咲に後ろからつかみかかる。


空手に、「ウンスー(雲手)」という形がある。空中で一回転してから着地し、すぐに戦闘態勢に入る。それよろしく、未咲は右ひざを内に抱えた状態で着地していた。そしてそれを真後ろに、全力で蹴りだす。カウンターとなった後ろ蹴りが、青い擬体の顔面を破壊する。


さらに追撃。

未咲は跳ね起きると、左の上段回し蹴りをしかける。これ以上頭部にダメージを食らいたくない虎太郎は思わず右手でガードする。しかしこれは入念な囮だ。このために何度も同じ軌道を、あえて見せてきたのだ。


蹴りの軌道が変化する。

蹴りは真逆の方向、青い擬体のがら空きの右側から、顎に命中する。裏回し蹴り。


もんどりうって倒れる青い擬体。

「つええな。強すぎる。打撃格闘技ってこんなに強いのかよ」

息も絶え絶え…の虎太郎が、強がりのように言う。

「でもどうしても、お前をぶん投げてえ…」


青い擬体が立ち上がる。未咲には、ゆらゆらと闘気のようなものが立ち昇っているように見えた。空手の大会の決勝で戦った長年のライバルにも、これを見たことがある。次が最後の攻防になる。未咲は予感した。


「おらあああああああああああ!!」

青い擬体は両腕を前に、イノシシのような突進をしかけてくる。もはやガードをする様子もない―ただ全力で、“決意”として、未咲を捕まえる。そんな突進だった。


空手には「せんせん」、「せん」という言葉がある。極意と言ってもいい。

未咲はうなりをあげて迫る青い擬体、そのあまりにも力強い掌(て)が、未咲の頭部に触れるその瞬間。


未咲の右の拳が青い擬体の正中―どてっ腹を貫いた。

ただの、一番速い、中段逆突き。何千、いや何万回も打ってきた拳。

相手の動きが見えれば、誰よりも速く突くことができる…それが空手だ。

青い擬体の動きが、とまった。


「いやー、残念だ」

未咲の背後で、ハンサムな少年が、体を起こす。

「どうしてもあんたを、オレの必殺・袖釣り込み腰で投げ飛ばしたかったんだけど」

少年は笑いながら、泣いていた。

「すがすがしく負けた。まあ、相手があんたで良かったよ。スタジアムでもがんばれよな」


未咲は擬体のまま少年に正対する。「あなた、手加減したでしょう」

少年はクッ、と笑った。

「手加減はしてねえよ。必死こいて捕まえようとした。だけど…」


また一筋の風が吹き、土ぼこりが舞った。


視界が晴れた時、少年は消えていた。

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