#028 獣の三日間③

 出会った瞬間から、危うい雰囲気があった。

 元アイドル。椚夕夜の信奉者。しかし、それでも冬美は戦力として音羽を引き入れた。その因果が訪れた。ただそれだけの話だ。冬美は表情を歪ませながら、魔法を発動した。

 発動した魔法は広範囲に冷気を放つ。それは音羽部隊を巻き込み、一気に凍らせていく。音羽のみは笑みを浮かべながら、歌う。音羽が歌うと、冷気が搔き消されてしまう。何らかの方法で相殺されているのだ。

 音羽の動きは実に優雅で軽やかだった

 明らかに訓練された者の動き。音羽に攻撃が当たらない。それなのに、音羽は冬美の間合いに入り込み、掌底を放つ。咄嗟に冬美が受け止めようとすると。


弾けろフォルテ


 衝撃が、冬美を襲う。


「――ッ!?」


 冬美の身体に衝撃が駆け巡る。冬美は呆気なく吹き飛ばされる。震える身体に鼓舞を打ちながら、氷を生み出す。氷の壁を足場に衝撃を氷の摩擦で受け流す。アイススケートの要領で氷の壁を滑っていく。


「お、楽しそうー!」


 音羽はけらけらと笑っている。

 冬美は厳しい顔つきで、移動する。氷を足元に噴出させ、その勢いで様子見の距離を取った。

 分が悪い。それが現状だ。

 音羽はこれまで実力を隠してきたのだろう。明らかに強者であり、至る所で冬美は音羽より劣っていた。特に、身体能力の面が如実な差が出ている。

 元々、冬美は身体能力が高い方ではない。マーシャル・アーツで誤魔化しているが、本来の身体能力は非魔法使いよりも劣る。有り体に言えば、運動音痴。

 攻撃は魔法で相殺され、間合いには詰められる。何より、音羽の攻撃は厄介だ。微かな攻撃でも音をされる。嫌らしく、しかも効率的だ。


「冬美さーん。お話しましょうよー。どうせこれ以降話すこともなくなってしまうわけですしー」

「お前と話すことはないッ!」


 冬美は氷の礫を放つ。音羽は楽しそうに歌う。それが合図となり、放たれた礫は砕けてしまう。

 音、だ。音が魔法をかき消している。


「アクティブ・ノイズキャンセリングって、知りませんか?」


 音羽は冬美の間合いに詰め込みながら言う。冬美は答えず、音羽の動きを読み、回避に専念する。繰り出される打撃の数々をどうにか躱す。その隙を縫うように氷の塊を放つが、これもまた相殺される。


「音っていうのは、プラスとマイナスに分類できるんですよ」


 不意に、音羽から蹴りが放たれていた。

 冬美の意識外からの蹴りは、突然と現れたように認識された。当然、反応も遅れてしまう。冬美はいっそのこと、回避するのを止めた。むしろ、近づき音羽の蹴りを受け止める。

 遅れてやってくる衝撃。思考がブレて、体は痛みを訴える。しかし、冬美もただでは倒れない。接触と同時に足を凍らせた。白く染まる足に対しても、音羽は表情に変化を見せない。


「簡単な原理です。プラスとマイナスをぶつければゼロになる。冬美さんの魔法がプラスとして、わたしはその逆の『音』を出せばいいんです。それで、相殺する」

「御高説、どうも」


 冬美は冷めた目で見ていた。

 音羽はふふっ、と笑うと、凍った足をとんっと、地面で叩く。音は響き渡り、一気に白がパッと咲いた。魔法が、崩される――。


「ご覧の通りですよ、冬美さん」

「お前は、喋らなきゃ気が済まないの?」

「ヒドいなー。冬美さんが喋ってくれないから話題を出したのにー」

「話す気はない」

「またまた、話したいこと、聞きたいこと、いっぱいあるじゃないですかー」


 音羽の言い方に無性に腹が立つ。沸々とした感情を抑え込もうとするが、溢れそうになった。いちいち反応するな。それは相手の思惑の内。そう頭では理解しているのに、冬美は口を開いた。


「裏切った奴の言葉を聞いて意味がある?」

「裏切られるってことは、それなりの原因があるとは考えませんかぁ?」

「っ……、」

「まあ、冬美さんって、何も見えてませんしぃ。仕方ないかもしれませんけど」

「だ、……」


 黙れ。そう言いかけた言葉を飲み込む。

 語るまでもない。響音羽という人物は、X機関から送られた間者だった。故に、裏切ったのではなく、最初から味方ですらなかった。ただそれだけの話だ。それにおいて、冬美が追及することも、後悔することも、はたまたショックを受けていることもない。

 ただ、それを踏まえても。音羽の言葉に多分で含まれている真意に、冬美は気づかないふりをする。


「……そもそも、わたしは理解できない」


 冬美は吐き捨てるように言う。


「お前は最初に言った。椚夕夜の信者だと。仮にゆうく――椚夕夜の信者であるなら、なんでX機関につく?」

「ノンノン。冬美さん。勘違いしてますよ」


 ちっちっ、と指を振る姿は、苛立ちを尽く刺激させる。素知らぬ顔を突き通す音羽は続ける。


「わたしにとって、X機関に入ったのは必然なんですよ。求めているものが、冬美さんの認識と違うだけです」

「……」

「あーあ、やっぱり冬美さんと話、全然続かないなぁ」


 音羽は肩をガクリと落とす。


「最初から気が合いませんもんね」

「わかりきったことを」


 冬美と音羽は同時に動き出す。


「――♪ ――♫」


 音羽の魔法は音によって決まる。歌は音の連なりとなって、周囲に変化を強要させる。歌は大地を揺らし、大気を支配し、魔法という形で顕現する。

 衝撃波の嵐。超広範囲で放たれた歌に、冬美は同じく魔法で反撃する。


「――大氷河アイスレンジッッ」


 解き放つ冷気。冷気の波動と衝撃波の嵐が激突。数秒の均衡。遅れて、音羽から発する歌の音程が変わり、冬美の魔法がかき消された。アクティブ・ノイズキャンセリング。相殺の魔法。

 音羽は歌っている最中、リアルタイムで魔法を変幻自在させることができる。

 音羽の動きは歌で強化される。間合いに詰め込み、肉弾戦に持ち込もうとしていた。事前に把握していた冬美は、抜刀の構えを取り、カウンターを目指す。


「お、」

「――雪名刀」


 振り抜く一閃。振り抜くと同時に氷の刀は形成され、解き放たれる……、はずだった。


「ふふふっ! 無駄ですってっ!」


 音羽は素手で刀を掴み、衝撃波を出した。冬美は目を見開く。確かに見た。音羽の衝撃波と、冬美の雪名刀が接触すると、弾けるように魔法が消える瞬間を。

 がら空きの冬美の隙。

 音羽は微笑みながら告げる。


「――さよなら、冬美さん」


 繰り出される手刀をもって、冬美に止めは刺される寸前。



「さよならはお前だ」



 ――――――――――ピタリ、と。

 音羽の動きが、止まった。


「…………あれぇ?」


 音羽は不自然な動きのまま、身体を硬直させていた。顔すらも動かない。視線だけを右往左往させ、所々が白く染まっていたことに気づいたようだ。


「こ、れ……は……?」

「――粉雪振袖スノウレンジ


 冬美は音羽の目の前で立っていた。


「気づかなかったでしょ? 見えない冷気。効果が遅いし、人によっては効かないのがネックだけど、確実に。冷気はお前を徐々に凍らせ、気づいたときには氷像行きよ」

「なるほどなーるほどっ」


 音羽も驚きの顔から一転して、笑みを浮かべている。どうしてそれほど楽しそうに思えるのか。冬美には理解できない。


「冬美さんがこんな狡い手を使うなんて……、冬美さんもそういうことできたんですねー?」


 侮っている。児戯を見るかのような瞳。舐め腐った態度に冬美は怒り心頭だ。感情の赴くままに語る代わりに、冷ややかな視線に殺意がこもる。


「こっわーい」


 くすくすと、笑みが絶えない。


「……終わりだよ」


 間もなく、音羽は氷像と化す。動けなければ音は出せない。魔法も発動できない。わたしの勝利だ。冬美はそう悟り。



「――牧野冬美。やっぱり小物ですね」



 そう言葉を残し、白く染め上げた。

 冬美は暫くの間、動けない。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 やはりと言うべきか。意外と言うべきか。哲朗と白奈は〈鴉〉の中で順当なルートで進み続けていた。襲いかかる敵は〈獣〉の下々であり、部下も当然リタイアしていくが、戦力は一割減、といったところ。

 中間部を通過し、更に最奥へと進むことに成功した。


「この先って、集落でしょ?」

「……ああ」


 哲朗と白奈にとってのゴールは集落の制圧だった。このまま阻まれることなく到着すれば、〈獣の一族〉の集落に辿り着く。

〈獣の一族〉といえど、全員が戦闘できるわけではない。非戦闘員たちもいる。集落を制圧するのは〈鴉〉にとって当然の帰結。しかし、気分は乗らない。重くなるばかりだ。


「何かと嫌な役回りだな、オレたちは……」

「文句言わない。わたしたち以外に任せられないよ」


 制圧するために、武力は行使せざるを得ない。

 このルートに冬美を行かせるわけにはいかなかった。今の精神状態の冬美であれば、大量虐殺も厭わない。その可能性は多分に含まれる。少なくとも、哲朗と白奈にはその気はない。戦争といえど、極力命は奪いたくない。甘くとも、それは誓いだった。


「夕夜がいてくれたら……、」


 白奈が、そう呟く。

 哲朗は答えない。そんなもの、仮定の話に過ぎない。――否、空想だ。

 仮面の男が椚夕夜を名乗った。冬美は直前まで信じていたが、哲朗たちは一切信じてはいなかった。椚夕夜は死んだ。死んでしまったのだ。いくら願おうとも、現実から目を逸らそうと、生存説が不自然に流れても。

 その事実は変わらない。

 死者は甦らない。


「――あなた方が一番乗りですか」


 集落まであと少し、といったところだろうか。彼はいた。柔らかな雰囲気を纏った青年。名は、ライノス。八角天が一人。


「ようやくお出ましか……、」


 哲朗は不敵に笑う。後ろに控える部下たちは血の気が多く、ライノスを見た瞬間に騒がしくなる。


「このルートは確実に来るだろうとは思ってました」


 やはり、物腰が柔らかい。哲朗はそう感じた。哲朗は〈獣の一族〉に関して野蛮な印象を受けていた。勿論、そうではないタイプもいるだろう。それでも、意外だと感じてしまった。


「鎧塚哲朗と鵜坂白奈とお見受けします」


 ライノスは、哲朗たちを見据えた。


「ここから先は主の命により、通すわけにはいきません。一度だけ言います。降伏の宣言を」

「ははっ、〈百獣〉の中にも中々穏便なヤツもいるな」


 哲朗は苦笑した。なるほど、雰囲気に違わぬ性格らしい。哲朗は敵ながら好印象を覚える。


「けど、悪いな。オレたちも戦いに来たんだ」

「ええ、わかってます」


 哲朗は白奈を見た。


「シロ、」

「うん」


 戦いの火蓋は切られ――



「――その戦い、僕も入れてよ」



 火が、

 それは、哲朗たちの背後で起きた。真っ先に動いていた白奈に腕を引かれて、偶然、哲朗は助かった。周囲に訪れた火は部下たちを巻き込む。悲鳴を上げる瞬間すら奪われ、焼失する。火は荒れ狂い、そこから、一人の男が現れる。真っ赤に燃える髪をした、火の化身。

 哲朗は表情を凍らせた。呻いつの間にか、いていた。


「ほんっとうに。嫌な役回りだッ」

「……うん、」


 哲朗の嘆きに、白奈は頷いた。

 ライノスもまた、突然の乱入者に目を見開く。


「まさか、あなたは――、」

「やあ、〈鴉〉と〈百獣〉の諸君。火遊びをしようじゃないか」


 乱入者はただ一人――〈アグニス〉のリーダー。現最強の魔法使い、ホムラだった。

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