2日目その3
産婆の女性は「サバンサ」という名前らしい。
サバンサに抱かれた俺は、新たな人生の最初の一歩「自宅冒険の旅」に出かけた。
産まれてから36時間以上いたベッドの上から飛び出したのだ。
いまだ介助つきではあるが、大きな一歩だ。
「ほら~ご本がいっぱいありますよ~」
俺を遊覧飛行に連れ出したサバンサはガイドも兼ねている。本の山に俺を近づけた。
本物の0歳児には本も壁も区別がつかないと思うが、俺は外見は赤子だが中身は大人なので非常にありがたい。
本だ。その表紙や製本からざっと情報を得る。印刷技術あり。本の装丁も粗末だが装飾にまで気が回っているレベルだ。文化レベルが低い感じはしない。そもそも部屋全体の雰囲気が、貧乏をしている感じではない。豪奢ではないが、文化的といっていい。生活に余裕がある感じだ。
彼女たちが着ている服も、俺が着ているものも、それなりと言っていい。世界全体はファンタジー中世という感じだが、技術はそれなりに発達しているようだ。
なんとなく、この世界の雰囲気というものを、この部屋の様子から感じ始めていた。
サバンサはゆっくりと壁際に近づいた。そこに飾ってあるのは、写真だった。
白黒写真の存在に驚いたが、よく見るとその紙はわずかに、虹色の鉱石のように輝いている。我々の写真とはまったく異なる技術であるようだ。
その写真には二人の男女が、少し緊張したような表情で並んで立っていた。
結婚する二人の写真のようだ。
「これがあなたのお父さんだよ。ほんとなら、ねぇ。きっと今頃は大喜びではしゃいでたんだろうけどね」
その口調から、なにかがあったことは容易に想像できた。俺は転生先で会うはずだった人生の最重要人物の一人を、写真の中に見ていた。
彼が俺に何を語り、何を与えてくれただろうか。その答えはもはやどこにも存在しない。
そっと頭を触られた。マリーの指先が俺の頭を優しくなでる。彼女はそのまま黙って写真を見つめていた。
「はい、次は地図ですよ~」
サバンサはその空気を察してか、俺を写真から離した。壁に貼ってある世界地図に近づく。
印刷物で多色刷り。彩飾過多でどれくらい正確かどうかわからないが、世界地図だ。
巨大な大陸の周囲を海が囲み、波間には怪物の絵も描かれている。どこまでがフィクションであるのか。もしかしたら怪物は本当にいるのかもしれない。それに大陸が一つだけ、海の向こうに世界はあるのか?
そんな事を気にしても仕方ないのはわかっている。なぜなら現実の俺は、いまだこの家の一室からすら飛び出すことができないのだから。
「次は…」
サバンサが地図から離れようとしたので、俺は慌てて
「あばぁあばぁ!」
と暴れて地図に手を伸ばす。
「あらあら、地図に興味津々?」
「そうだよ」
そう答えられないのがもどかしかった。まだ喋れないのもあるが、生後2日で喋りだしたら、様々な問題が起きすぎる。俺は地図をなんども指差し(悲しいほど指は短く、まったくポイントを示せなかった)、なにか教えてくれと懇願した。
「はい、ここはアルテリアのボリュテ大陸」
サバンサの答えに赤子の目が光る。
(アルテリア!それがこの星、あるいは世界の名前か。そしてボリュテ大陸!)
いきなり地面が固まったかのような感覚。まさしく脳内の世界観に大地が産まれた瞬間だった。
「あぶあぶ!(もっともっと)」
地図をひっかくように手を動かして要求する。
「あらあら、知りたがりさんね、将来は学者さんかしら?」
(生きてたら、なんでもやってみせるよ)
俺はとりあえず笑顔を作って返事をする。魅力のステータス20は伊達ではない。サバンサは俺の笑顔に蕩けたような顔で続けた。
「私達の住んでいるランド王国、ここのでっかいのが王都ランドール」
地図の領域の半分を占めるランド王国。東の海岸に接している王都。情報が一瞬で脳に焼き付く。すでに世界地図全体のインストールも完了している。
(なんて性能の良い脳なんだ。クソ!これが出来る奴の脳みそってわけかよ。最初から違いすぎる)
「そんで、ここが私達の村、テルステル。小さいね~」
たしかに小さい。地図上に名前すら書いてない点だ。だが王都からの距離は近い。とんでもない田舎というわけではないらしい。
地図の縮尺は不明だが、距離は50~100キロといったところ、徒歩で移動可能…
(赤子の足じゃ無理だ!)
抱っこされ、宙をぶらぶら揺れている自分の短足をみて絶望する。
「そしてこれが…」
その地図には手書きで様々な書き込みがあった。まだ文字はよくわからない。脳が自動的に解析中でその並びと意味はぼんやりとわかるくらいだ。
地図には黒いグシャグシャとした塗りつぶしの部分があった。塗りつぶしの時期が違うせいか、黒の濃さにグラデーションがある。
西から東に向かって、黒の領域が広がっている。まるで酷い病気が大陸を伝染してきているかのようだ。その黒の先端は、すでに王都ランドールのそば、そして今いる現在地テルステルのそばにまで来ている。
「ナノウ帝国…」
サバンサの代わりに、そばに来ていたマリーがその名を告げた。
そして地図の一点を指差す。帝国と王都の接点だ。
「あなたのお父さんは…」
マリーはそこで言葉を止めた。赤子である俺に、それを今伝えることではないと思ったのだろう。
しんみりとした空気を変えるようにサバンサは昼食にしようと元気に言った。マリーは彼女から俺を受け取ると笑顔で同意し、地図のそばから離れていった。
赤子はその地図から目を離さなかった。
その暗く塗りつぶされた部分を。
そこに赤子の、人生の目的があるはずだからだ。
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