遥かなるレムリア
ガミル
第1節 狭間の世界
「――おーい――大丈夫――?」
声がした。どこか懐かしい聞き覚えのある声だ。
その声に呼応するかのように俺は目を開ける。頭がひどくぼんやりする。どれくらい眠っていたのだろうか?それすらも記憶にない。だが、目の前に現れた制服姿の少女を見て、俺の脳裏にかかった靄は一瞬で霧散した。
「――もしかして、ヒマリ……なのか?」
柔らかな風が奔る草原の真ん中で両腕を広げた少女がおかしそうに笑う。太陽光が彼女の色素が薄いロングヘア―をオレンジ色に染めていく。そこで初めて自分が何処に寝ているのか気づいた。
起き上がり、周りを見渡してみる。
広大な草原、見たこともない巨大な樹木群。空は虹色に光沢し、言葉にならないくらい数多の星々が宝石の様に煌めいていた。
ここまでくれば話は早い。これは夢だ。ただの夢。ありえない風景、いるはずのない人物。夢以外の何物でもない。
そう。こんなの絶対にありえない光景なんだ。
だって彼女は――俺の幼馴染『朝比奈ヒマリ』はもうとっくにこの世にはいないのだから。
どうしてこんな夢を見ているんだろうか。分かっているくせに自問自答してしまう。
そうさ、結局俺はあの子に囚われているんだ。昔も今も。未練と負い目が複雑に絡み合って心の奥底にいる何かが彼女の存在を忘却することを決して許さない。
当然だ。……あの日、ヒマリが命を落とすことになった原因は俺にあるのだから。
「ねぇ。キミはどうしてそんなに怖い顔をしているの?」
手を組みながら険しい顔をしていたのを不思議に思ったのか、ヒマリがキョトンとした表情で尋ねてきた。小動物みたいにクリッとした茶色の目、透き通ったように白い肌、小さな口元。あの頃と一寸違わない顔立ちは、目の前にいる少女が紛れもなく本人だと告げているようで、俺の心はひどく揺らいだ。
俺が言葉も発することもできず、ただ茫然としていると、ヒマリが「あっ!」と何かに気付いたかのように声を上げた。
「そういやさっきキミ、わたしのこと『ヒマリ』って呼んでたよね?残念だけど、わたし、そんな名前じゃないよ?もしかして誰かと勘違いしているの?」
……声も一緒か。どっからどう見ても本人にしか見えない。いや深く考えることはない。そもそもこれは夢なんだ。だから何でもありなのだろう。
「そうか。じゃあさ、ヒマリじゃないなら、君は一体誰なんだ?」
俺がそう言うと、ヒマリに似た少女は顎に手を置く首を可愛らしく横に傾げながら答えた。
「そうだなぁ、しいて言うなら『アルマ』かな?」
返事をたいして期待せず尋ねてみると、意味深な回答が返ってきて驚いた。
『アルマ』?人名なのか?というか、しいて言うならってなんだよ、曖昧すぎる。
それにしてもなんだろうこの感じ。俺の罪悪感が作り出した存在のくせにやけにファンシーだよな。本当にここが俺の夢の中なのか不安になってきたよ。ちょっと聞いてみようかな。
「えーと――アルマだっけ? 君にこんなこと聞くのもいろいろと変なんだけど、ここって、俺の夢の中だよな?」
するとアルマは開いた両手を開いて肩を竦めると、そのまま首を左右に振りながら「何をいってるんだこいつは」と言いたげな表情で言った。
「夢?何を言ってるの?キミさ自分が今どんな状況に置かれているのか分かってないの?」
「は?何が言いたいんだ?」
何か引っかかる言い方をされたため、少し食い気味に返答してしまった。
すると、彼女は盛大に溜息を零した後、憐れんだ様な目で俺を見つめてこう言った。
「あのねぇ、キミは……死んだんだよ?」
――予想の斜め上どころか直角の答えが返ってきた。
「俺が……死んだだって?冗談だよな。いくら夢だとしてもそれは酷すぎないか……!?」
あまりに突拍子のないことを言われたせいか語尾強くなってしまった。そりゃそうか、いきなり死亡宣告されたんだからな。それも死者と同じ顔をした人間に。むしろ動揺しない方が人としておかしいだろ。
俺が傍から見ても分かりやすい様子で取り乱していると、アルマは澄ました顔で言った。
「だから夢じゃないって。ほらね、普通夢の中でそんなに意識が鮮明になることってまずないでしょ?だからさ、キミは――死んだの。お分かり?」
「死んだ、死んだって。そう何度も連呼するなよ!あのな、君が言うように本当に俺が死んでるんだったら、その証拠はどっかにあるのかよ?」
そうさ、こちとら死んだ覚えなんてさらさらないんだよ。適当なこと抜かしやがって。だけど、これでこの質の悪い夢ともおさらばだ。
俺が捲し立てるように言うとアルマは、「ハァ」と短い溜息を洩らし瞑目すると一指し指でこめかみを二回叩き口を開いた。
「いやぁ。なーんにも覚えていないんだねぇ。それでさ、キミは知りたいの?キミの――キミ自身の惨めで醜い顛末を」
そう言うとアルマは何処から出したのか、目玉焼きのような花を咲かした一本の草木を俺に向かって差し出した。
「この花の香を嗅ぎ続けてごらんよ。そうしたらキミの言う『証拠』とやらにつながるから」
アルマから花を受け取り、花びらに顔を近づける。
「なんだよ、なんも変わらない――」
その先の言葉を繋げようとした瞬間、突然俺の目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。意識が点滅し、目の前が暗くなる。しばらくすると視界が徐々に開け、気が付くと俺は見覚えのある場所に立ち尽くしていた。
散雑としたトネリコの樹木群、テントウムシを模した大きくアーティスティックな遊具。忘れることはない。裏山の上にある俺とヒマリの思い出の場所だ。その中でもとりわけ大きいトネリコの木の下に誰かがいる。脚立に乗って何やら作業をしているように見える。
景色が明滅する。太い枝に白いロープが掛かっているのが見える。瞬間、脳裏に「あの日」の記憶が蘇った。その白い肌を一層白くさせて、木の太枝からぶら下がる少女。宙に浮いたその肢体はブラブラと不規則なリズムで揺れていて――
「やめろ!」
その先はもう見たくなかった。この後の俺の末路を俺は思い出した。
生前のこと――俺の死因。それはどうしようもないほどに惨めで最低だった。
同じだったんだ。以前の彼女の辿った末路と。
後追い自殺――そう。その日、俺は……ヒマリが命を落とした場所で首を吊って自殺した。
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