『悪魔の崇拝』編

【01】飲み会

「それじゃあ、かんぱ~い!」


 人々の会話声で賑わう酒場で、二人の男女がグラスを合わせた。


 新聞部の怪異を解決した2週間後、俺は以前同じ会社に勤めていた3つ年下の後輩、水谷杏奈みずたにあんなと居酒屋に来ている。


 飲みに行こうと誘ってきたのは彼女の方からだった。

「それにしても久しぶりですね~」

「あぁ、そうだな。あれから元カレは付きまとっていないか?」

「はい、おかげさまで!もう全く現れなくなりましたよ」


 俺が高木探偵事務所に入った時、まず初めの依頼として、彼女の元カレのストーカー被害を解決することにしたのだ。

 水谷が住んでいるアパート前で張り込みをし、元カレが現れた所で、高木が一芝居を打って追い返した。


 その後、また現れていないか心配したが彼女の答えを聞いて安心した。

「そうか、それはよかったよ。仕事はどうだ?上手くやれてるか?」

「それが聞いてくださいよせんぱーい!」


 水谷はグラスに入っているビールを豪快に飲みながら話し始めた。


「先輩が辞めた後、新人が一人うちの部署に入って来たんですよ。池田君っていうんですけど、私と1つしか歳離れていないんですよ。なのに、彼すっごく仕事ができるんですよ!やっと後輩ができたって喜んでたのに私より仕事できるんですよ!?全然教えることもなくて、私より仕事任されてて、最悪ですよ~」


「ふーん」


「先輩の方はどうです?探偵の仕事って実際何してるんですか?」


 さて、どう答えたものだろう。

 水谷には、俺が幽霊の怪異に遭ったことは言っていない。

 幽霊に関する情報は一般人には話していけないことになっている。

 幽霊等が引き起こす怪異は、人々の恐怖心によって強くなると考えられており、それらの情報は一般社会からは隠す必要があるらしい。

 俺も高木や東雲さんから聞いただけだから、詳しいことはわかっていないし、人々の恐怖心で怪異の力が増す、という話もよくわかっていない。


 だからと言って、幽霊を信じていない人にその話をする気も起きない。

 やばい人だと思われるのが関の山だ。

 ここは、幽霊に関することは話さずにそれ以外の依頼の話で乗り切ろう。


「仕事は浮気調査とかペットの捜索とかそんな感じかな、あんまり忙しくはないよ」

「そうなんですか。でもあの時はびっくりしたなー。いきなりやめるって言い出すし、転職先が探偵なんですから。なんで探偵になることになったんですか」

「あー、実は今一緒に働いている高木って奴が昔の友人で、人手が欲しいって懇願されちゃったんだよ。それを断れなくてさ」

「人手が欲しい?でも仕事はあんまり忙しくないって……」

「まぁ、そうなんだよね」

「……先輩、その探偵事務所ちゃんと給料払ってます?」

「あぁ、ちゃんともらってるよ」

「ならいいんですけど……」


 その後もくだらない世間話や水谷の仕事の愚痴は続いていき、居酒屋を3軒もはしごした。

 3軒目の店を出る頃には時刻は深夜1時を過ぎており、水谷はもはや自分の足で歩くことができないほど酔っぱらっていた。

 女性を外に一人で置いて行くわけにもいかず、俺は仕方なく水谷を背負って彼女の家へと向かった。

 幸にも、先ほどまで飲んでいた店は、彼女の家から近く、水谷をおんぶして20分ほど歩いたら部屋に着いた。


 部屋の鍵を水谷から受け取り、鍵を開ける。

 水谷を持ったままどうにかドアを開けて部屋に入る。

 そのまま部屋に置いてあったベッドに彼女を寝かせて、一息ついた。

 普段そんなことをしないから、人を抱えながら歩くのはかなりキツかったな……。


 よく考えると、女性の部屋に入るのなんて久しぶりだ。高校生の時に一度、同級生の女子の部屋に入ったのが最後だな。あの時はただ、テスト勉強の手伝いをしただけだったが。


 俺は女性と付き合ったことがない。


 別に女の子が嫌いな訳でも、嫌われていた訳でもない。

 高橋理恵、幼馴染のりーちゃんが、社の怪異が原因で死んでしまった自責の念で、女性と仲良くなるのは悪い事だと考えていたからだ。

 原因の怪異を東雲さんが祓ってくれたおかげで、リーちゃんの魂は解放されたらしいが、それでもまだ自分を責める気持ちが残っている。


 俺があの時、軽率な行動をしなければ、りーちゃんは死なずに済んだのだ。

 りーちゃんの贖罪のために、俺は高木の下で怪異を解決する仕事の手伝いをしているのだ。

 改めて、ベッドに寝かせた水谷の様子を見てみる。


 こいつは、そんな俺を先輩だと慕ってくれているんだよな……。


 なのに、俺は彼女に嘘をついている。


「うっ、うぇ……」

 眠っていた水谷が呻きだした。

 まずい、こいつ吐く気か!?人が深刻に悩んでいるというのに!


「おい、大丈夫か?トイレ行くか?」

「み、水を……」

 俺はすぐに台所に向かい、コップを一つ棚から取り出し、水道水を汲んだ。

 それを急いで水谷の所に持っていった。

「ほら、水だぞ」

「あ、ありまう」

 もうほとんど呂律の回っていない声で彼女は水を受け取った。

「ほら、飲んだらコップ貸せ。こぼすから」

 俺は飲みかけのコップを水谷から取り上げた。

 コップを置くところがベッドの向こう側にあるテーブルしかなかったので、手を伸ばしてそこに置いた。


 その時、突然水谷が俺の身体を引っ張った。

 不意に力が加わったため、身体が引っ張られて、咄嗟にベッドに手を付けた。

 水谷の顔が目の前にくる。

 俺は彼女の身体に覆いかぶさるように倒れている。


「先輩……」

 彼女の顔が妙に紅潮している。

 その原因は、酒の飲みすぎだけではないような気がした。

 今気づいたが、水谷の耳には、会社にいる時は付けていなかったイヤリングが付いていた。

 はだけた胸元から彼女の身体が少し見える。

 彼女が誘っているということはすぐに分かった。

 このまま、彼女に身を任せてしまおうか……。


 そんな俺の思考を遮るように、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。


 それに呼応するように何人かの男性の念仏、男性や女性の叫び声や怒鳴り声が聞こえ、高橋理恵と初めて会った時の、彼女の笑顔が頭に浮かんだ。


「……ごめんな」


 俺は身体を起こし、水谷の手を軽く握って、玄関へと向かった。

「鍵はちゃんと閉めておけよ」

 俺はそう言って、彼女の家を後にする。


 玄関の扉を閉める時、部屋の奥から「ばか……」と、聞こえたような気がした。

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