【09】

 長岡慎二の怪談が終わった。


 話を聞いた後、誰一人として口を開かなかった。いや、開くことができなかった。

 長岡慎二は部屋を灯していた最後の蝋燭の火を吹き消した。

 代わりに青白く光る無数の火の玉が部室を照らしている。


 今の話は怪談……なのか?

 まるで他人のことを話しているかのようだったが、今の話はおそらく彼自身が体験したいじめを話したのだろう。

 最後に語っていた、妖怪というのは何だ?

 高木が以前受けた依頼で『妖狐』という半妖の妖怪を使役していたのを思い出す。

 妖怪というのは、何千、何万という幽霊が集まって生まれるらしい。

 この子は、その妖怪になろうとしているのか。


「……僕はこれから皆さんを殺して、皆さんの魂をいただきます」


 沈黙を破り長岡が呟くように言った。その表情は青い照明に照らされ、ひどく不気味に見えた。


「そして僕のことをいじめたあいつらを殺します。しばらく他の幽霊達の用事を済ませたら、今度は日本中で他人をいじめている奴らを殺します。それが終わったら次は世界中のいじめっ子を殺します」


 それは俺達に話しているというより、これから自分がやることを整理するために呟いているという感じだった。

 これは、想像していたよりもやばい状況かもしれない……。

 俺はさりげなくポケットに手を伸ばし、高木から渡されたお札を握った。


「ふざけんなよ……」


 険しい表情をしていた新藤が怒り混じりの言葉を長岡にぶつけた。


「いじめた奴に復讐するのに俺らは関係ねぇだろうが……!」


「そうだよ!私達は関係ない!」


 佐々木が涙混じりに声を発した。


「関係ない?えぇ、まったくその通りですね。でも、だから?関係ないから何なんですか?殺されるのは理不尽だと言いたいんですか?世の中は理不尽なことばかりですよ。暴行、強盗、殺人、戦争……。N君のいじめだってそうですよね?まさに理不尽そのものです。被害者が加害者に懇願しても無駄なんですよ?」


「そんなに復讐したければ、本人達に直接行けばいいじゃねぇかよ」


「……僕だって、できるならすぐにそうしたいですよ。でも今の僕にはそれを行うほどの力は無いんです。力をつけるには魂が必要なんです。皆さんのような純粋な魂がね」


「さっきから、妖怪だの、魂だの、何わけのわからないこと言っているんだ?全部お前の一人芝居なんだろ?後ろの火の玉も、扉が開かないのも。悪ふざけもいい加減にしろよ」


 まずい。彼は目の前にいる幽霊の危険性を認識できていない。


「……お前もあいつらと同じだ」


「なに?」


「そうやって見下しながら他人と接する。何にもえらくないくせに」


「なんだと……!」


「……ちょうどいい、まずはお前からだ」


 長岡がそう言うと、部室全体が震え出した。部屋にある備品から金属の震える音が聞こえてくる。

 揺れはどんどん強くなる。

 青い光の影から無数の白い手が伸びてくる。それに呼応するように何かのうめき声が部室に響いた。


 今しかない……!


 俺は握っていたお札の一枚を長岡に向かって思い切り叩きつけた。

 どういう原理なのか、長岡の身体にぴったりと張り付いたお札からぼんやりと光ったかと思うと、彼の周囲に何匹かの犬に似た物体が出現した。それらは現れるや否や一斉に長岡にとびかかった。

 長岡は犬に襲われ、叫びながらその場に倒れ込んだ。


「今のうちだ!みんな逃げろ!」


 二枚目のお札を握りながら俺は叫んだ。

 早く逃げ出したかったのか、俺の声を聞くとみんなすぐに立ち上がり、部室の扉へと向かった。

 部室には影から伸びた無数の手が、獲物を探すようにゆらゆらと動いている。

 指原さんが扉を開けようとしている。しかし、扉はピクリとも動いていない。


「どいて!」


 俺は指原さんをどかして、二枚目のお札を扉に貼った。

 お札は少し光っただけで特にそれ以外の反応がない。

 なんだよ、怪異に効くんじゃなかったのかよ!

 俺は扉が開かないか確認する。やはり戸は動かない。

 半ばやけくそで、扉を思い切り蹴り上げる。

 すると、扉が外れた。なんとか脱出できそうだ。


 俺達は急いで部室から出た。

 しかし、そこは以前いた学校ではなかった。

 それまで学園祭が開かれていたはずなのに、人々の姿は全くなく、廊下にはごみが散乱している。

 なによりおかしいのは、窓から差し込む光が赤い。


 空が、赤いのだ。


 時間的には夜空になっているはずの空が不気味なほど赤い。

 それを見ていると、不思議と吐き気がこみ上げてくる。

 これはあの幽霊の仕業か?

 しかし、今はそんなことを考えている余裕はない。すぐにでもアイツから離れなければ。


「みんな、とにかくアイツから離れるんだ!」


 部室を出た俺達はとりあえず廊下を走った。行先など決める余裕もない。とにかく走った。


「きゃあ!」


 後ろを走っていた女子生徒が一人つまずいて転んだ。


「大丈夫か!?」


 一番後ろを走っていた新藤が転んだ女子生徒に駆け寄る。

 その時だった。

 止まっていた二人に無数の白い手が襲い掛かった。

 二人はあっという間に大量の手に覆われる。

 一瞬の間を置いて、二人の悲鳴声が廊下を埋め尽くした。

 無数の手の渦が解かれていく。

 渦の中には二人の生徒が倒れていた。


「逃げろ!!!」


 俺が叫び、他の生徒たちは我に返り、再び走り出した。

 皆、無我夢中で走った。真っ赤な光が差し込む廊下を走り抜け、階段を駆け下り、生徒が使用する玄関に着いた。

 しかし、扉はすべて閉め切られていて、鍵がかかっている。

 後ろから長岡が迫っていた。扉にお札を貼る暇などなかった。

 生徒がまた一人、長岡に取り込まれた。

 俺にはどうすることもできない。ただ逃げることしか出来なかった。




 なんとか逃げ延びた俺達は、3階にある音楽室に隠れていた。

 逃げる間、さらに二人の生徒が長岡に取り込まれ、音楽室にたどり着いたのは、新聞部員の指原と、『封印された蛇口』の怪談を話した佐々木の二人だけだ。

「みんな……みんないなくなっちゃった……」

「佐々木さん落ち着いて……」

 指原は頭を抱えて震えている佐々木を慰めている。

 俺は携帯電話を何度も操作して高木に連絡を取ろうと試みた。

 だが、一度も電話が繋がることはなかった。

 画面の右上には「圏外」という文字が表示され続けている。


 思えばあの時からおかしかったんだ。俺が部室に着いたとき、すでに圏外だった。

 恐らく、あの時点で外部と連絡が取れないようになっていた。あの段階で異変に気付くべきだった。

「ほんとに意味わかんない……。私達が何したっていうの……?ていうか、アイツ何者なの?私、幽霊なんて信じたことないのに、マジで意味わかんない……。もう家に帰りたい……」

「うん……そうだね」

 肩をさすっていた指原も視線を落とした。

 なんとか彼女達だけでも脱出させなければ。彼女達の姿を見て俺は思った。


「神崎さん、私達これからどうしたら……」

「……もう一度1階の玄関に行こう。どうにかしてこの学校から出ないと」

「でもあそこは鍵がかかっていて……」

「多分これを使えば大丈夫だと思う」

 俺はそう言うと最後の一枚のお札を見せた。

「それは?」

「俺の仕事仲間から貰った物でね。幽霊に対して効果があるお札なんだ。新聞部の部室の扉もこれで開けた」

「……そうだったんですね」

「そろそろ移動しよう。いつここが長岡にバレるか分からない」

「そうですね。佐々木さん、動ける?」

「うぅ、気持ち悪い……」

「もうすぐここから出られるから、頑張って……!」


 音楽室を出た俺達は、長岡が徘徊していないか注意しながら、できるだけ静かに、1階にある玄関へと移動した。

 幸なことに、玄関前に到着するまでの間、長岡も無数の手も見なかった。彼等はまだこの学校内を彷徨っているのだろうか?

 予定通り、玄関前に到着した。

 鍵のかかった扉にお札を貼り付ける。

 高木特製のお札は、わずかに光り、やがて何も反応しなくなった。

 扉を押してみる。

 新聞部の部室の扉とは違い、今度はすんなりと開いた。

 よし!これでなんとか学校からは脱出できる。あとは、高木と連絡さえ取れれば……!


「そんなにうまくいくわけないじゃないですか」


 え?


 振り返った時、長岡慎二が立っていた。


 彼の隣に、真っ白な瞳と気味が悪いほど赤い口を持った人間のような怪物が立っている。

 その化物は、笑っていた。満面の笑みで。

 それを見た瞬間、強烈な恐怖が俺の脳内を支配した。

 全身に鳥肌が立つ。

 そいつは、背丈は長岡よりも幾分大きく、2メートル以上はあるだろう。身体はボロボロの包帯に巻かれていて、その隙間から黒ずんだ肌が露出していた。

 本能的に、あいつが長岡慎二の力の源なのだと理解できた。


 ふと、横に目をやると、指原と佐々木が倒れているのが見えた。

 もうすでに魂を抜き取られてしまったのかもしれない。いったい、いつの間に?

 ……最後に俺の番というわけか。

 今気づいたが、あの化け物を視認してから、身体がピクリとも動かなくなった。

 金縛りなのだろうか?奴の力なのか?

 おかげで、もう逃げられそうにもない。

「何か言いたげな顔ですね」

 長岡慎二が笑みを浮かべながら言った。

「話してもいいのか?」

 身体は動かないというのに、顔面だけは動かすことができた。

「言い残したい言葉があればどうぞ」

「君、あの時の少年だろう」

「は?」

「ずっと気になっていたんだ。どこかで見たことがある顔だと思っていたが、2週間くらい前に街中でいじめられていた学生だろう?」


 映画を見に行った帰り道、路地の隙間で4,5人のグループにいじめられていて、東雲さんが止めに入った時の、あの時いじめられていた学生だ。彼が長岡慎二だったのだ。

 長岡は一瞬、嫌な記憶を思い出したように顔をひきつらせたが、すぐに元の表情に戻った。

「あぁ、そういえばそんなこともありましたね。あの時余計なことをしてきた人達ですか」

「余計なこと?」

「そうですよ。次の日になって、鬱憤晴らしのために僕はあいつらにもっとひどいことをされたんです」


 鬱憤晴らし。何があったのかは想像できる。

 いじめをするような連中のことだ。東雲さんにいじめを止められて、不完全燃焼で終わってしまったいじめを、次の日になって倍返ししたわけだ。

 長岡にしてみれば、確かに東雲さんの行動は迷惑だったかもしれない。

 しかし、あの時止めようとしないのは正しい行動なのだろうか?

 根本的な問題解決にはならないが、……見て見ぬふりをすることが正しい行動なのか?

「言いたいことはそれだけですか?じゃあもういいですね」

 長岡がそう言うと、隣にいた化け物が俺の方へ向かって歩き出す。


 見れば見るほどおぞましい容姿だ。包帯の隙間から見える肌はひどく腐敗しているようで、所々が崩れていて痛々しい。

 それでいて、手には刃物のような、長く鋭い爪が伸びている。

 逃げたくても足が動かない。ゆっくりと動く化け物の姿を見つめることしか出来ない。

 本能的な死の恐怖に頭が支配されている時、長岡の後ろ、遠くの方に誰かがいるのが見えた。


 おかしい。

 なぜあの人がここにいるんだ?

 なぜ、彼女がここにいるんだ?


網切あみきり


 彼女が呟いた。

 次の瞬間、彼女の隣に化け物が現れた。

 その化物は蛇のような下半身と人間の上半身をくっつけた見た目をしていた。顔はまるでカラスのようだ。両腕は、大きな鎌になっている。

 3メートルは優に超えているそいつは、現れるとすぐにこちらに寄ってきた。

 信じられない速度で化け物が這いずりながら移動する。

 そして、俺の目の前にいた、長岡の隣にいた化け物をあっという間に切り刻んだ。

「なっ!?」

 突然現れた化け物に驚き、長岡は振り返った。


 東雲愛がそこにはいた。高木の上司、霊能力者の東雲愛が。


「お前、あの時の!?また僕の邪魔をするのか!」

「網切、両足」

 東雲さんが短い単語を言い終えると、巨大な化物は腕の鎌で長岡の足を切り裂いた。

 両足の支えを無くし、長岡はその場に倒れ込む。

 幽霊だからなのだろうか、切られた足からは出血はしていないようだった。

 東雲さんは倒れた長岡に歩み寄り、身体を抱きかかえた。

 そのまま彼女は長岡のことを抱きしめた。


「ごめんね。つらかったよね……」

「は?何を言っている?」

「助けてあげられなくてごめんね……」

「う、うるさいっ!お前に、何がわかる!?」

「大丈夫」


 彼女はそう言うと長岡の髪を優しくなでた。


「…………」


 長岡は何も答えない。


「大丈夫」


「う、うぅ」


「もう一人じゃないよ」


「……うぅ」


 いつの間にか長岡は泣き出していた。

 東雲さんはそんな長岡をなだめるように抱いていた。

 しばらくした後、東雲さんがまた口を開いた。


「私の中においで。みんなが迎えてくれる」


 そう言うと彼女は長岡を見つめ、唇を重ねた。

 長岡は一瞬驚いたような表情を見せたが、やがて受け入れるように、ゆっくりと目を閉じた。


 そして、そのまま消えていった。

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