第三十一話 楔

 祇宮祭十三日目。

「これは、異常よ」

 竜胆リンドウは昼の陽射しに照らされてキラキラと光る螺鈿細工を見て顔をしかめた。

真珠層マザー・オブ・パールを使った呪物ですね。見事な宝石箱ジュエリーボックスです」

 純金で縁取られた漆塗りの箱に施された螺鈿は、光が当たる角度によってその色彩を変え、見る者を幻惑の世界へと誘うが如く、その美しさを放っている。

「贈り主もわかっているようですね。とても危険なものだと。この宝石箱が入っている箱、錬金術では『魂の牢獄』と呼ばれる物質、〈鉛〉で出来ています。何の力も持たない人間がこの世で唯一呪物を保管することが出来る金属です」

「ってことは、これを作っているのは人間ってことね」

のろいを込めるのは誰でも出来ますから」

 螺鈿の隙間にわずかに残る血液。

 のろいをかけた人物は、手のひらを切り、呪言じゅごんを唱えながら宝石箱を撫でまわしたのだろう。

 模様を形作る螺鈿の一つ一つに強力なのろいがかかっている。

 わたしは杖を突き立て、伝わる周波数でそれが何ののろいなのかを調べた。

「ああ……。またです。堕胎ののろい

「しつこいわね、本当に! 犯人は誰なのかしら」

「後宮の人間だということしかわかっていませんからね……」

「今回は呪詛返ししてみない?」

「ううん……。呪詛返しの先が他の人物だと困りますし……。呪物の作りが精巧なので、この宝石箱を作った人物はきっとそれを見越していると思うんですよね。顧客を護るために」

「……また買ってほしいってこと?」

「人間は残酷です。楽に他人を陥れることが出来るなら、きっとまたやるでしょう。だから後を絶たないのです。呪物の売買が」

「法律で禁止にできないの?」

「無理でしょうね。呪物はのろいが込められて初めて成立します。うつわだけを取り締まることは出来ませんし、のろいなんて目に見えないものを取り締まるのはもっと難しいでしょう」

「端から見れば綺麗な工芸品だものね……」

「通常の美しい工芸品にはのろいを受け入れる力はありません。何故なら、作り手の〈祝福〉がかかっているからです。無意識の〈希望〉と〈祈り〉。『この作品を手に取る人が、どうか喜んでくれますように』という、慈しみの心。でも、呪物は違う」

――どうかこの呪物によって相手が傷つき苦しみ、あわよくばその命の灯火が消えますように……。

 そんな恐ろしい願いのろいを込めて作られるのが呪物だ。

透華とうかさんが呪物を作らなくなったことで、他の製作者たちにお鉢が回って来たんですね」

「うわぁ……。最大大手がいなくなったせいで市場が活性化しちゃったってことね。客の争奪戦がおきているってわけかぁ。そりゃ、なんとしても顧客の命は守ろうとするわよね」

「せっかく呪物づくりを辞めてもらったのに、これではもっとみやこが危険になってしまい、複雑な気持ちです」

「いやいや、一撃必殺級の恐ろしい呪物が出回る方が迷惑よ。私たち二人で業者をつぶしていきましょう」

「そうですね……。頑張りましょう」

 わたしと竜胆は呪物の解呪をしてから凛星リンゼイに連絡し、後宮へと向かった。

 こうなったら、敵の眼前で調査をし、相手が襤褸ぼろを出すのを待つしかない。

 わたしたちへとその怨念が向くのは好都合だ。

「行きましょうか」

「おめかししなくていいの?」

「今日は着飾らない方が、敵が油断してくれるでしょう」

「なるほどね。ふらっと立ち寄ったと思わせるのね」

「そうです」

 二人で清涼殿近くの扉から地下道を通り、後宮へと向かった。

 地下道にはまったく人影がない代わりに、わたしの姉が放ったと思われる死霊がふわふわと巡回していた。

翼禮よくれいのお姉さんって本当に強いのね」

「姉は幼いころから仙力よりも霊力のほうが強く、今もその力は成長中です。最大で何体出せるのか、自分でもわからないそうですよ」

「わぁお……。そういえば、お兄さんは? どうせ強いんでしょう?」

「兄は強いというか……、かなり特殊なひとです」

「特殊って?」

「兄は、この世にあるすべての光が見えるんです」

「……どういうこと?」

「赤外線、紫外線、ガンマ線、マイクロ波……。兄の目にはこの世界は文字通り光で溢れているんです。だから、いつもは眼鏡かコンタクトレンズで視界を制御しています」

「それはとんでもなく大変そうね……。だって、夜でも見えちゃうってことでしょう?」

「そうです。兄はその特殊な目と共に、自由自在に光線を操る力も持っています。だから、禍ツ鬼マガツキ妖魔もののけに対してかなり強く出られるのですが……。目を酷使してしまうので、あまり長い時間戦ってはいられないんです。いつも戦闘後はひどい頭痛に苦しんでいます」

「そうなのね……。だからこんなにもはやく、翼禮よくれいがいろんなことを引き継いだのね」

「そうです。家族には健康でいてほしいですから」

 わたしにとっては当然の選択だ。でも、竜胆は微笑んではくれなかった。

 きっと、わたしの棘薔薇いばらのろいを気にしているんだろう。

 「あなたにだって、ハンデはあるでしょう?」と言いたそうな顔。

 それでも言わないでいてくれるのは、わたししかいないから。

 弟はまだ幼い。それを抜きにしても、わたしと同じような仕事をさせたいとは思わない。

 弟が働きだすころには、仙子せんし族が自由に生きられる世界になっていてほしい。

「さぁ、着きましたよ。地上に出ましょう」

 地下道の階段脇にある小さな鈴を鳴らすと、観音開きの扉が開き、凛星りんぜいが待っていた。

「よくお越しくださいました」

「さっそく、見回らせていただきます」

「よろしくお願いいたします」

 凛星の顔は疲れ切っており、眠ることも忘れて後宮を護っていることが伺える。

 まず、わたしたちは皇后陛下の居室へと向かった。

「……お待ちしておりました。どうぞ、中へ」

 皇后陛下付きの女房に促され、わたしと竜胆は中へと入っていった。

 御簾で仕切られた室内。

 風が通るたび、はらはらと、装飾品についている色と後取の糸が揺れる。

 香る薫香は庶民では手が出せないほど高価で高貴。

 深く平伏し、言葉を待つ。

「顔を上げなさい。女房達、しばし席を外してちょうだい。小宰相こさいしょうもよ。翼禮よくれいたちと話があるの」

 衣擦れの音。女房達が優雅に素早く退出していく。

 わたしは顔を上げ、まっすぐと姿勢を伸ばした。

「お久しぶりでございます、陛下」

 後宮の主にして最高級の宮、紫桜宮しおうぐうに住まう女傑が纏う空気は、重い。

「やだ、もう。そんな他人行儀な態度、やめてちょうだい」

「そういうわけにはいきません」

「子供の頃はよく遊んであげたじゃないの」

「その節はありがとうございました」

「むう」

「陛下は国の母でございます。もう昔のように接することは……」

「夫とは友達になったそうじゃないの」

「そ、それは……」

「わたくしは幼馴染よね? 友達よりももっと絆があるはずよ」

「そうおっしゃられましても……」

「ねぇ、翼禮よくれい。久しぶりの妊娠で不安なのよ。あのころのように、わたくしに笑いかけてちょうだい。お願いよ」

 芍薬すら皇后陛下の美しさの前では開いた花を閉じてしまうほどの美貌。

 それなのに、少女のような可愛らしさを失わずにいる。

 雛菊も照れてその花びらを桃色に染めてしまいそうになるほど可憐な困り顔。

 負けた。これだから、両親の患者たちは厄介なのだ。

「……裕子ゆたかこ様、久しぶりですね」

「そうそう。それでなくっちゃ」

「はぁ……」

 裕子ゆたかこと友人なのは姉のはずなのに、いつも妹のわたしも可愛がってくれていた。

 育ちの良さを鼻に掛けることなくなんにでも挑戦するお転婆な御姫様だった。

「お隣にいるのは竜胆の君ね? なんて可愛いのかしら! よろしくね」

「お初にお目にかかります、陛下。身に余るお言葉、ありがとうございます」

「あなたも固いわ。裕子ゆたかこって呼んでちょうだい」

「では、裕子ゆたかこ様」

「素直で気に入ったわ」

 竜胆はすごいなぁ、と思いながら二人を見ていたら、裕子ゆたかこが突然視線を向けてきた。

「ねぇ、わたくしに隠していることがあるでしょう? 小宰相も凛星の君も何も言ってくれないのよ。どうせ、バレたんでしょう? 妊娠していることが」

「さすが、察しが良いですね」

「もう。嫁いだ日からあらゆる方面からのろいだのなんだのが送り付けられているんだから、今更驚かないのに」

「妊娠中の御身体は不安定ですから。心配をかけたくなかったのですよ」

「それこそとんだ間違いよ。わたくしはすべてを知っておきたいの。そのうえで最善の選択をして最高の結果を出したいのよ。そうでしょう?」

「その性格をすべての者が理解しているわけではないでしょう。それに、理解していたとしても、心配なものは心配なのです。特に、実妹君の小宰相様は特に」

「あの子はわたくしに尽くし過ぎなの。自分の幸せを掴んでほしいのに。翼禮よくれいのお兄様とね」

「え」

「知らなかったの? もう二か月になるんじゃない?」

「……その話は聞かなかったことにします」

 いきなり兄の恋愛を暴露され、わたしは気まずい気持ちでいっぱいになった。

 兄弟姉妹のことは愛しているが、知らなくていいこともある。

「で、誰がわたくしを呪っているの?」

「そのことで調査に来たのです」

「なんでも言ってちょうだい。協力するわ」

 裕子ゆたかこには五歳の息子と四歳の娘がいる。皇子みこ皇女ひめだ。

 皇子みこは春宮様、皇女ひめは小春宮様と呼ばれ、市井の人々にも人気がある。

「では、さっそくすべてのぐうに外出禁止を言い渡してください。抜き打ち調査を行います」

「わかったわ」

 裕子ゆたかこは手を二回打ち鳴らすと、素早く戻って来た女房達に伝令を命じた。

 一時間もしないうちに用意が整った。

 わたしと竜胆はすぐに紫桜宮しおうぐうを出発すると、きさきが持つ位の高い順に宮を巡り始めた。

 その途中、后の子供たちが遊んでいる場所に出くわした。

 春宮の親友は地位でいう所の第三位の女御の息子らしい。

 わたしと竜胆はちょうど、その女御のところへと向かっているところだ。

「入ります」

 怪訝そうな顔をした女房達に迎え入れられ、わたしと竜胆は宮の中へと入っていった。

 美しいひとだ。さすが女御。

 少し戸惑った顔をしているが、おおむね協力的。

 女御の側には占星術師となった彼女の実姉が般若のような形相で立っている。

「仙術師様方が突然このようなことをされるとは……。後宮と言う制度は失敗だったと思わざるを得ませんわね」

「そういうことは主上おかみにおっしゃられてはいかがです?」

「ふん。生意気な女子おなごだこと」

 後宮になる前から女房達や占星術師の間では毎日いろんな噂が飛び交ってきた。

 その中に、わたしと裕子ゆたかこを繋げるものがあっても不思議ではない。

「ねぇ、あのおばさん邪魔じゃない?」

「聞こえてるわよ!」

 竜胆がごく小さな声でつぶやいたにもかかわらず、占星術師には聞こえていたようだ。

 なんという地獄耳。

 その時、わたしは板間の隙間に何か黒ずんだものを見つけた。

 そっと杖をかざすと、腕がピリッと痺れた。

のろいに使った血液の跡……)

 しかし、占星術師からも女御からも何も感じない。

 あの呪物、宝石箱から螺鈿を一枚はがして持ってきたというのに。

 でも、螺鈿はこの血の跡に反応している。

 今にも血に吸い付いていきそうだ。

 そのあと、宮にいたすべての女房や女官の前で螺鈿を握ってみたが、誰にも反応しなかった。

 仕方ないので、一度宮から出て他の宮へと向かおうとしたとき、螺鈿がある人物に強く反応した。

「……春宮様」

「わあ、翼禮よくれい様だぁ」

 鼓動が動揺で早くなる。螺鈿はなおも手の中で暴れている。

 まるで、血の持ち主の元へと帰りたがっているように。力を欲しがる、魔物のように。

「春宮様はいつもこちらの宮へ?」

「うん! よく遊びに来る……」

 わたしの表情に何かを察したのだろう。賢い子だ。

 見る見るうちに顔が青ざめていく。そして、わたしの手を引いて走り出した。

「え、ちょ、翼禮よくれい!」

 わたしは手をひかれるがまま、後をついていった。竜胆も、その後を追いかけてくる。

 着いたのは後宮の中央にある大きな池の真ん中にある東屋。

 春宮はわたしの手を放し、青ざめた顔で言った。

「僕、とんでもないことをしてしまったかもしれないの……」

 そっと両手をとってみると、手のひらには一筋の傷。

「宝石箱に触りましたね」

 春宮はビクッと肩を震わせると、瞳にたくさんの涙を浮かべながら頷いた。

「だって、だってね、あの、あの占星術師様が、お、お母様に、あ、新しく、お、おお、男の子が生まれたら、ぼ、僕は用済みになるって! 未来で、僕は弟に、こ、殺されるって言うから……」

 背中を棘薔薇いばらが這うのを感じた。

 幼い子に嘘を吹き込み、自分の母親と弟を呪わせるなど、言語道断。

 もしその占いが本当なら、とっくに凛星が裕子に忠告している。

 そのような未来が来ないよう、何日もかけて祈祷をするはずだ。

「春宮様、それはあの占星術師の嘘にございます」

「そ、そんな! それじゃぁ……、僕は、まだ見ぬ弟を……」

 うわあああん! と、激しく号泣する春宮を竜胆が優しく抱きしめた。

 わたしはしゃがみ、春宮と視線を合わせながら言った。

「大丈夫、大丈夫ですよ。この翼禮よくれいが壊しておきましたから。母上も赤子も無事です」

「ほ、ほ、本当⁉ よ、よよ、よかったぁああ」

 泣きじゃくる春宮を前に、わたしは身の内に激しくのたうち回る怒りに、自分を律することが困難になっていた。

 子供にのろいを使わせるなど、許されない。

 それも、何があっても愛しあっていける平穏な家族に向けさせたのろいなど、反吐が出る。

 恐怖心をあおって子供を従わせるなど、大人がやることではない。

「竜胆、春宮様をお任せします」

「任せて。私だと、後宮全体を瘴気で汚染しちゃいそうだから……」

 竜胆は震えて泣きじゃくる春宮を抱きしめながら、心の中で燃える怒りをどうにか抑えているようだ。

「行ってまいります。春宮様、起きた時には、すべて良い方へと風が吹いていますからね」

 わたしは春宮に優しい眠りの仙術をかけると、すぐにあの占星術師の元へと向かおうと立ち上がった。

 いや、向かうまでもなかった。

 彼女は池のふちに立っていた。

 まるで、事実を知ってしまったわたしと竜胆、そして春宮を殺そうとでもいうように。

「竜胆、飛べますか」

「もちろん」

 竜胆は大きな鷹の姿をした精霊種を三体出すと、それらを護衛に着けて紫桜宮の方へと飛び上がった。

「逃がすか小僧ども!」

 占星術師が和紙で出来た札を数枚、竜胆めがけて飛ばした。

「はあ?」

 竜胆は口から黒炎を吐き、それらを燃やし尽くした。

「な! 何者……」

 わたしはこれ以上竜胆と春宮が狙われないよう、杖を二本の扇に変えて斬りかかった。

「あなたの相手はわたしですよ」

「クソ生意気な小娘がぁああああ!」

 占星術師は獅子座の印を結び、白く光る獅子を二体召喚した。

「これで三対一だよ小娘!」

 占星術師は射手座の印を結び、大きな弓を手に持ち構えると、わたしめがけて撃ちだした。

「あははははは! 逃げ場なんて無いんだ! さっさとられちまいな!」

 矢が水干すいかんをかする。ある程度の追尾性能があるようだ。

 獅子たちの追撃もしつこい。

 扇で切り裂くが、強靭な爪の力で弾かれてしまう。

 ここはあくまでも後宮。激しい術を使うわけにはいかない。

 わたしは今日竜胆とした会話を思い出しながら、今一番ふさわしい術を思い出した。

「仙術、水月鏡花すいげつきょうか光ノ傀儡糸くぐついと

 わたしは鏡面に変化した扇を持って舞い、池の水面をあおいだ。

「は……ああああああああああ!」

 池は鏡のように太陽光を反射し、扇から放った紫外線とともに占星術師の全身を焼き始めた。

「や、やめろぉおおおおお! ざ、残酷な! 悪魔めぇええええええ!」

 のたうちわまる占星術師。服は焼け、露出した肌は赤く沸騰したようにぶくぶくと腫れ始めた。

「命まで奪う気はない! もう二度と、後宮に近づかないと誓うなら、逃がしてやる」

「くそ! くそ! くそぉぉおおおおおお!」

 占星術師は焼けただれた手で鷲座の印を組むと、召喚した光る鷲の足につかまって飛んで行ってしまった。

 最後までわたしに罵詈雑言を吐き散らかしながら。

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