第二十六話 ありえない

 太陽が昇り、魔物たちがその光が持つ強さを恐れ巣へと戻っていった。

 わたしは自分の中に渦巻く感情をどうすればいいかわからず、その嫌悪感と、幾ばくかの罪悪感にさいなまれていた。

翼禮よくれいお疲れ! ……どうしたの? 顔が怖い」

「え、ああ……」

 なんと言えばいいのだろう。どう話せばいいのだろう。

 困惑が混乱となり、涙が流れた。

「え、えええ! え、ええ、ええええ、え! 大丈夫⁉」

「す、すみません。ちょっと、あの……」

 わたしは花折、いや、透華とうかが現れ、助けられ、殺せなかったという事実だけを話した。

 竜胆は頷きながら聞き入り、小さくため息をついた。

「それは……。ねぇ、怒らないで聞いてくれる?」

 朝陽も六に届かない山からとりあえず空へと飛び、内裏に帰りながら竜胆は話し始めた。

「あのね、私……。実はその、透華とうかだっけ? そいつのこと、そこまで嫌いになれないのよね」

 わたしは心に降り積もる何かを振り払うように深呼吸を繰り返し、竜胆の話を聞き続けた。

「間違ってるとは思う。想い方とか、やってることは。でも……、本気で翼禮よくれいのことは大事に想っているというか……。好きよね、彼。翼禮よくれいで心がいっぱいって感じは伝わってくるのよ。それにまあまあ外見が良い」

「……そうですか」

「こう言ったら元も子もないかもしれないけれど、彼は呪物を作って売ってるだけなのよね、本当に。それを買って実行しているのは人間の方だから……。ううん。だってほら、銃を作ってる人は責められないけど、銃を使って人を殺した人の方が悪人でしょ?」

「……でも、連続殺人鬼ですよ」

「それも……、気づいてるんでしょ? 私にだって調べられたんだから、翼禮よくれいならもう知っているはず」

「……殺されているのは性犯罪者に小児性愛者。そのほかにも強盗致傷を起こし再犯の可能性の高い保釈中の犯罪者や家庭内暴力で通報歴のある男女……。それでも、私刑は犯罪です」

「わかってる。わかってるわ。でも……」

 竜胆は言いにくそうにうつむくと、意を決したように息を吐き、わたしを見つめて言った。

杏守あんずのもり家が請け負ってきた暗殺もそうじゃない?」

「それはっ……」

 わたしは言い返す言葉もみつけられなかった。

翼禮よくれい、怒った? 言いすぎちゃったかしら……」

「いえ、真実ですから。言い返せないわたしも、やはり罪悪感があるということ。はっきりと言ってくれて、ありがとうございます」

「そう? ……会いに行ってみない?」

「誰にですか?」

透華とうかよ、透華とうか

「え、なんで」

「名前もわかったし、呪術師だってこともわかったし、居場所も簡単にわかるでしょう? 翼禮よくれいが言ったらやめるかもよ? 呪物づくり」

「行ってなんて挨拶するんですか? 『こんにちは。あなたのこと殺そうか迷っています』って言うんですか?」

「馬鹿ねぇ。二人で会う約束をするのよ」

「なぜ」

「助けてくれたお礼位はしないと。お茶に誘うとか。翼禮よくれいは礼儀を知らない馬鹿な女じゃないでしょう?」

「ぐっ……」

 痛いところを突かれた。たしかに、あの時お礼すら言っていない。

 なんだったら、他の呪術師たちが来なければ殺そうとまで考えていた。

「じゃぁ……、ちょっとお昼過ぎにでも行ってきます」

「うんうん。服、ちゃんと選びましょうねぇ」

「……は?」

「水干で行くつもりなの……?」

「そうですけど。だって仕事上の危機回避に関する感謝ですし」

「うわぁ……。恋人いたことないって本当のことだったのね」

「何か問題でも?」

「問題は……無い……けど」

「じゃぁ、いいですよね」

「もう……」

 竜胆のことだ。多分諦めないだろう。

 もし透華とうかとお茶をしに行くことが決まったら、化粧までさせられそうだ。

「内裏に着いたら報告書を書いてお風呂入って寝ましょう」

「そうね。私もベッタベタ。あいつらの血って粘度高すぎるのよ。私もだけど」

「しっかり洗い落としましょう。今日も夜は当番ですから」

 竜胆は可愛らしくあくびをしながら頷いた。

 ここ何日もずっと女性の姿に変身しっぱなしなので、疲れているのだろう。


 十四時過ぎ、どうしてもついていくと聞かない竜胆を伴い、わたしは呪術師の詰め所へと訪れた。

 大内裏にあるそれは最近建て替えられたもので、新しい木の匂いが心地い建物だ。

 受付をしている新人らしい呪術師の青年に「透華とうかさんという方はいらっしゃいますか」と聞くと、はっと顔を赤らめて「すぐに呼んでまいります」と飛び出すように早歩きしていってしまった。

 嫌な予感がする。恋愛に疎くても、あの反応から推察できる事象には心当たりがある。

「よ……、翼禮よくれい様!」

 ほら来た。やじ馬たちと一緒に。

 大方、あの先輩呪術師たちが言いふらしたのだろう。

 『透華とうかの好きな人が誰かわかったし、会ったぞ!』とでも。

 透華とうかが顔を真っ赤にしながら嬉しそうに駆け寄ってくるものだから、余計に注目されて視線が痛い。

「あの……、助けてくださったお礼がまだでしたので、その、ありがとうございました」

「そ、あ、ふひっ。可愛い……。あ、あ、当然のことを、したまでですので……。これからも、いつでも助けに行きます。永久に……。ふひっ」

「……それは」

 ぽん、と肩を叩かれた。竜胆が少し怖い顔でわたしを見ている。

 「結構です」と言おうとしたのがバレたようだ。怖い。

「わ、わたしも恩返しできるように精進します」

 竜胆は不満そうだったが、さっきよりはマシだろう。

 透華とうかは目を輝かせながら喜びに震えている。

 もう、どうすればいいかわからない。はやく帰りたい。

「あ、あの、翼禮よくれい様」

「なんでしょう」

「お茶に誘ってもかまいませんでしょうか」

 竜胆の顔が露骨に笑みに変化した。

「お茶……。でも、透華とうか様もお忙しいでしょう。有能な呪術師でいらっしゃるようですし」

「時間なら作ります! 明日か明後日、どうですか」

 くそ、明日は非番だ。

 どう断ろうか考えていると、竜胆に尻をつままれた。怖い。

「……明日は時間があります」

「わあああ! では、明日、お迎えに上がります!」

「あ、わたしがこちらまで参ります」

 内裏以外の居場所を特定されたくない。

「ひゃぁ……。では、十三時はいかがでしょう」

「わかりました」

「夢みたい嬉しい好き……。あ、あ、待ってます。全力で」

「……では明日」

「あ、送っていきます!」

 断ろうとしたら、竜胆に背中を押された。

「私、寄りたいブティックがあるので、お二人で先に内裏に帰っていてください。では」

 悪寒がした。隠すつもりもないのか、透華とうかの笑顔が喜びに歪んでいる。

 ゾッとしているうちにそそくさと竜胆が大内裏の外へと出て行ってしまったので、わたしは精一杯の笑顔を作り、「では……、行きましょう……か」と言った。

「光栄です。ふひ」

 横を歩く。さりげなく車道側を透華とうかが歩いていることに少しもやっとしながらも、まさかこの距離で何の手出しも出来ないことに頭を抱えそうだった。

翼禮よくれい様と一緒に歩けるなんて夢のようですがいつか必ず叶えようと思っていたので想定内でもあるというかもう至福です」

 早口。ねっとりした内容を早口で話している。

「あの、正直に言いますが、わたしはあなたを殺そうと思っているんですよ、まだ」

 流石に引くだろうと思ったのに、それどころか透華とうかは恍惚とした表情でわたしの目を見つめてうっとりとした。

「それは、また会いたいということですよね⁉ だって、会わないと殺せませんから! あはははは! わああ! 会いたいと思ってくださるなんて! 胸が弾け飛びそう! んんひひ」

 気持ち悪すぎる。無理。

 早くこの時間が終わってほしいのに、道が混んでいて内裏までが遠い。

「そ、それはともかく……。あの口紅は? 竜胆が言うには、わたしにぴったりの色だと言っていました。つまり、わたしを殺そうとしていたってことなのでは?」

「ああ、あれはちょっと違います。翼禮よくれい様のために作ったけど作ってないというか……」

「はあ?」

「お化粧品の依頼がくると、いつも、その、翼禮よくれい様のその可愛くて美しくて魅力的で甘いお顔を思い浮かべてしまうのです。どんな色が一番似合うかなぁとか、口吸いキスしてちょっと落ちた口紅の色も計算しなくちゃ、とか。だから、結局誰の依頼で造ったとしても、翼禮よくれい様に似合うお色味になってしまうのです。ふふ」

 こいつは病気なの⁉ え⁉ 何なの⁉

 寒気がしてきた。初夏なのに。

翼禮よくれい様のために作るなら、最高級の蜜蠟と杏の精油を調合して作りますよ」

「結構です」

 断ったのに、「翼禮よくれい様の怒ったお顔かんわいぃぃ」と呼吸を荒くしている。

 ここが人気ひとけのない荒野だったらもう百回は刺し殺しているだろう。

 どこがどうよくて竜胆はわたしとこいつを二人っきりにしたがるのか。

 見た目は……、長めの前髪に肩まで伸ばした髪をさっと結んでいる。

 艶やかな黒髪は呪術でも使うからいつ切ることになってもいいように伸ばしているのだろう。

 耳には呪術の効力を上げるための自傷の一環で多数のピアス。

 先ほどまで興味もないから気づかなかったが、かけている丸眼鏡のデザインは好きかもしれない。

 身長はわたしよりも十センチくらい高いだろうか。

 戦闘も多いからそれなりにがたいはいいのかもしれないけれど、呪術師の正装が大陸風の黒い旗袍チーパオだから布がたっぷりとしており、少しひょろく見える。

 肌は白め。睫毛はちょっと長いかも。唇は少し荒れているが血色は良い気がする。

 ん? 頬が赤くなっている。どうしたのか……。

「よ、よよよよよ、翼禮よくれい様」

「なんですか?」

「しょ、しょんなに見つめられたりゃ、溶けてしまいしょうですぅぅ……」

「え、あ、すみません。不躾ぶしつけなことをしてしまって」

「え! いや! 最高に幸福な時間でした! ただ、女性とこうして歩くことも、視線を向けてもらうことも全くない人生だったので、慣れていないのです」

「はぁ、そうですか」

 興味ない。どうでもいい。

 溜息をついていると、不意に身体が引き寄せられた。

 不覚。牛車がふらつきながらこちらへと突っ込んでくるところだった。

 透華とうかがとっさに放った呪術が、暴れ牛を眠りに誘った。

 頬が透華とうかの肩より少し内側に触れ、微かに香る薬草の甘い匂い。

 見上げれば、先ほどとは違う、勇敢な顔つき。

 肩を抱かれる手が熱い。鼓動が早い。これはどちらの心臓の音なのか。

「大丈夫ですか⁉」

「え、あ、はい……」

「どうやら、蹄に棘がはいりこんでいたらしいです。危なかったなぁ」

 そっと離れた手。さりげない。

 動揺を隠そうとするも、瞳に弾けた小さな星たちが、わたしの心をときめかせ続ける。

 お願い、止めて。静かにして、わたしのどうしようもない経験不足の心。

「ふふふ。あの時の刀傷、まだあるんですよ」

「か、刀傷……?」

 透華とうかは平然としている……、ように見える。

 耳が赤い。なぜ、同じ動揺を抱えるのか。怖い。

 動揺と、混乱がもたらす変化の意味が、怖い。

「は、初めて勇気を出して翼禮よくれい様のもとへ行った時です。だ、内裏で」

「……ああ、殺そうとした傷ですね。良く生きていましたね。残念です」

「んふふ。あの傷、初めて翼禮よくれい様が私にくださった贈り物なので、傷跡が残るように治療したんです。だから、この身体には翼禮よくれい様との思い出が文字通り刻まれているのですよほほ」

「……そうですか」

 気持ち悪さが一周回って少し面白くなってきたかもしれない。

 何を言われても好意的に受け取るのは透華とうかの才能なのか。

 そう思ったら不覚にも笑ってしまった。

「面白い人ですね」

「……きゅん。語彙力が死亡しました……。かわわわわ。可愛い。かわわわわ」

 透華とうかのことは変な生き物だと思うことにした。

「あの、お茶するときに是非見ていただきたい写真があるのです」

「写真? どんな写真ですか?」

「それは明日のお楽しみです。秘密は小出しにしないと……。翼禮よくれい様に会ってもらえなくなるのは嫌なので」

「別に秘密が無くたって会うことはあるでしょう? 透華とうか、という名前は呪術師の組の一つ、『蓮華組』で貰える名ですよね? ということは、仕事でも御一緒することは多いでしょうし」

 空気が少し変わった。わたしは何か変なことを言ってしまっただろうか。

「ひ、秘密が無くても、あ、ああ、会える⁉ そ、それ以上、素敵なことを言われると……、理性が粉々になりそうなので、あの、ちょっと大嫌いな先輩の顔を一瞬思い出しますね。もう、そうしないと、また私は翼禮よくれい様の……、あの、勝手に触れてしまいそうになるので」

 ぶわっと身体が熱くなった。わたしは何を言ったのだろう。

 そんな、自ら会うことを望んでいるような、おかしな発言をしてしまった。

 混乱する。目がチカチカする。

 胸の鼓動が変だ。これはいったいなんなのだろうか。

「あ、じゃぁ、ここまでですね。明日、楽しみにしています」

「あ、そ、そうですね。では、明日……」

 気付けばそこは建礼門けんれいもんの真ん前だった。

 透華とうかが微笑み、名残惜しそうに小さく手を振りながら来た道を戻っていった。

(振り返るかな……)

 振り返った。そしてまた、手を振り、戻っていった。

 わたしは何かおかしな術にでもかかってしまったのだろうか。

 どうして今、振り返るかな、などと期待したのだろう。

 わからない。わからないから気持ちが悪い。

 でも、嫌ではない。混乱する。

 はやく竜胆に帰ってきてほしい。

 相談しないと、脳と胸がパンクしてしまいそうだからだ。

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