第九話 恋しいもの

「うまくいきましたよ、日奈子様」

「ああ……、本当によかった。ありがとう、翼禮よくれい

 わたしは清涼殿を飛び立った後、すぐに玖藻神社へと向かい、日奈子長公主の部屋に直接入った。

 待ち構えていた日奈子長公主は心配そうにわたしを見つめたが、わたしの第一声を聞いて大きく息を吐きながら安堵したようだった。

「どうやって兄を説得したの? 兄は結構、頑固だと思うんだけど」

「ああ、それは簡単でした。陛下は科学的に証明されていることや、再現可能な事象に関しては厳しい目をお持ちですが、仙子せんしや仙術に関してはある種の畏怖を感じてくださっている様子。そこを利用したのです」

「ふふふふふ。あなたって本当に素晴らしいわ」

「悪知恵です」

「ふふふ、ふふふふ」

 心の底から安心したのだろう。日奈子長公主はまるで少女のような無邪気な笑顔を浮かべてわたしの功績を喜んだ。

「ただ、まぁ、そのせいで日奈子様には『斎宮いつきのみやを務めるには力が不十分』という不名誉な噂が巡ってしまうことになります。申し訳ありません」

 わたしは手放しでは喜べなかった。

 幸せを護るためとはいえ、名誉に傷がつくような嘘が流れるきっかけを作ってしまった。

 バツが悪そうにうつむくわたしに、日奈子長公主は優しく陽だまりのような笑顔を向けてくれた。

「ああ、そんなこと? いいのよ。この力は欲しくて得たわけではないし。使わなければ、無いのと同じよ」

「……それを聞いて安心しました」

「うふふ。あなたには借りが出来てしまったわね。大きな大きな恩だわ」

「いえいえ。仕事の範疇ですのでお気遣いなく」

「そういうわけにはいかないわ。何か贈りたいの。拒否権はないわよ」

「わ、わかりました。では……、もしよろしければ、竜胆が働きやすくなるような、何かをいただけましたらとてもありがたく存じます」

「それなら簡単だわ。長公主直下の魔術師として雇うことにすればいいのよ。後日、玉札ぎょくふだ (身分証)を送るわね。……そういえば、さっき竜胆りんどうが体調を崩してしまったみたいで、少し散歩に出ているの。見に行ってあげてくれる?」

「あぁ……、大丈夫です。ただの生理月のものでしょう」

「あら、生理痛酷いのかしら? 私はあまりそういうのはないから気づいてあげられなかったんだわ。何か必要な物があったら言ってね」

「ありがとうございます」

 おそらく、竜胆リンドウは日奈子長公主からわずかに漏れ出ている強い祈祷の力と、陰陽師たちの退魔の力にあてられ、瘴気が満ちた身体が傷ついてしまったのだろう。

 周辺を見渡しても、瘴気が漂っていたような痕跡はない。

「周囲の護りを確認したら、すぐに出発しますので、ご準備をお願いいたします。この部屋にはあの侍女以外近づかないよう、他の者たちには伝えておきますので。姫様と烏天狗の君からすてんぐのきみの元へ向かいますよ」

「まあ! 嬉しい! でも、斎宮は……」

「手配してあります。午後には陛下からの勅旨ちょくしが届くと思います。『斎宮に代理をたてることとする』と」

翼禮よくれい……、本当に兄にどう話したの? こんなに手際がいいなんて……。感謝の言葉が見つからないくらいよ」

「光栄です。では、一時間ほどで戻ってまいりますので、準備をお願いいたします」

「任せて。家出は得意なの」

 日奈子長公主は部屋の外で待機していた侍女をすぐに呼び、音を立てないように荷物をまとめ始めた。

 わたしは庭に出て少し奥まった場所に来ると、周囲を見渡してから空枝空間くうしくうかんへと入っていった。

 薬草畑を通り抜け、家へと入る。

竜胆リンドウ? 大丈夫ですか?」

 声をかけると、蒸気機巧妖精ジャック・オ・スチームに世話をされている竜胆がソファから腕だけを上げて返事をした。

「大丈夫よ。ちょっとあの、なんだっけ、人間とかがなるやつ。えっと……、そう、貧血? みたいになっただけなの。人間の陰陽術師たち、なかなか力が強いのね」

「無事でよかったです。実はかくかくしかじかで……」

 わたしは主上おかみとのことや日奈子長公主と話したことをかいつまんで竜胆に説明した。

「あら、素敵じゃない! 日奈子ちゃんは好きなひとと暮らせるようになるのね」

「ちょ! 日奈子『様』です! 『ちゃん』はだめですからね」

翼禮よくれい、かたーい。いいじゃない。せっかく仲良くなったんだし」

「仲の良さで軽々しく身分の差を超えることはできないんですよ」

「変なの」

「はいはい……。で、どうですか、体調は。無理しなくていいですからね」

「大丈夫よ、本当に。ね? 蒸気機巧妖精ジャック・オ・スチーム

 蒸気機巧妖精ジャック・オ・スチームは金属から造られた人造妖精。

 購入するときに姿かたちや職業を選ぶことが出来、一つとして同じものがない。

 わたしが購入した蒸気機巧妖精ジャック・オ・スチームは猫型で、動力源はわたしの仙力を込めた充電池と蒸気。完全防水完全防塵。

 職業は家政婦と農家 (薬草、毒草、食用植物全般)、看護師、近接格闘家の四つをつけている。

 身長を高くし過ぎると比例して増える重さで土を踏み固めすぎてしまうと助言されたので、身長は百五十センチで造ってもらった。

 そのとても可愛くて何でもできる蒸気機巧妖精ジャック・オ・スチーム枇杷ビワが頷いているのだから、竜胆は回復したのだろう。

「じゃぁ、日奈子様のお部屋に誰も近づかないように、うまく人払いをしてきてもらえますか?」

「そんなの簡単よ。任せて!」

「よろしくおねがいします。わたしは特級陰陽術師に日奈子様が斎宮さいぐうから退き、代理を立てることを丁寧に説明してきます」

「はぁい」

 二人で空枝空間くうしくうかんから出て、竜胆が人払いに行くのを見届けると、わたしは入口を閉じ、特級陰陽時の元へと向かった。

 彼らはきっとものすごく憤慨するだろうし、わたしを罵るだろうが、午後に送られてくる勅旨を読んで顔が真っ青になるだろう。

 そしてもう一度わけを聞こうとわたしのことを探すも、そのときにはもういない。

 烏天狗の山へと出発しているのだから。

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