第四話 聖女
森の奥、
「近い……」
昼間でも陽の光が届かない森の中。進むにつれ、
わたしは太刀を杖に戻し、結晶化している部分を光らせた。
すると、声が聞こえてきた。
「そこで輝きを放っているのは誰かな?」
拍子抜けするほど、落ち着いた低く甘い声。
「わたしは仙術師です。あなたたちのような鬼と呼ばれる存在を調伏しにまいりました」
「あはは。正直だね。せっかくだから話をしよう。それから調伏でもなんでもするがいい」
「話? 姿も見えないのに?」
「今、そちらに行く」
大木がガサガサと音を立てて揺れ、何かがふわりと地面に降り立った。
「ごきげんようお嬢さん」
夏の夕焼けのような鮮やかな紅色の豊かな髪に、琥珀色の瞳。
純白の束帯は凛々しく、同じく純白の角が一本、頭の上で淡く光を放っている。
「……
「どうやらそう呼ばれているようだね、僕のような優秀な鬼は」
「話とはなんでしょう?」
「いいね。君はすぐに襲ってきたりはしないんだね」
「それはあなたもでしょう」
「どうせなら名前で呼んでほしいな。僕の名は
「ただの
「ああ。僕は人間を殺したりしない。その証拠に、さっきここらへんで暴れていた豚の
そう言って
「僕はね、いつもは東の太門のあたりに住んでいるんだけれど、ちょっと気が向いてね。こちらに来てみたんだ」
「東の太門……」
東の太門は造られてから一度も壊れたことが無い。妖魔もなぜがそこからは出てこない。
八つある太門の中で一番平和な門だ。
「信じられないかもしれないけれど……、僕は
ほんのわずかな瞬間。わたしは考えた。
葦原国は古来より祟り神を祀り、その禍々しい力を祝福の祈りへと昇華させてきた。
太古の人々が
だから
「わたしの名は……
竜胆は目を見開き、一瞬動きを止めてわたしを凝視し、大きく息を吐いた。
「
「末裔、という言葉は少し違いますが、一族の者ではあります」
「でも、髪色が……」
「わたしは少し特殊な力の受け継ぎ方をしたのです」
「ほう。それも偶然か必然か……。僕のこの髪色は母譲りなんだ。母は魔女族に極めて稀に生まれてくる特別な存在、〈聖女〉。もしかしたら、君は遠い遠い親戚なのかもしれないね」
「……そうですね」
「それはそうと、よく名前を教えてくれたね? 僕が悪い奴だったら呪われているところだよ」
「ああ、わたしは大丈夫なんです。もうすでに呪われているので」
「……なるほど」
「それで……、あの、調伏ってしたほうがいいのでしょうか。どうやら竜胆さんは
「おっと、次に言おうとしている言葉を発するのはやめてくれ。その言葉には因果がつきまとう。僕はまだ、自由でいたいんだ」
竜胆は苦笑しながら立ち上がった。
わたしが言おうとしたのは「神」。竜胆は人間たちに気づかれないよう、彼らや他の弱い立場にいる種族を護っているのだと思う。
どうして気づかれないようにしているのかは、「神」という言葉を避けることから推察はできる。
信仰されるのを避けているのだ。土地に、
「調伏されるのも嫌だなぁ……。そうだ、手を組まないかい?」
「手を組む、ですか?」
「そう。お互いの〈敵〉は同じ。護りたいものもそう大差ない。僕は
それだけで信用に値するというわけでもないけれど、いざとなれば、
わたしの責任の範囲で判断しても問題ないだろう。
「わかりました。手を組みましょう」
「ありがとう、
「それは……、竜胆さんの手柄を横取りしろってことですか? 信念に反するのでお断りします」
わたしの言葉に驚いたのか、目を丸くして竜胆は頷いた。
「なんと、君は柔軟そうに見えて頑固……、いや、真面目なんだね。手柄なんて大層なものでもないのに」
「それは置かれている立場によります。そうだ、竜胆さん、〈聖女〉のふりをしたらどうですか? それなら人間は納得すると思いますけど」
「僕、身も心も男性なんだけど」
「姿を見せる気はないんでしょう? それなら、〈聖女〉も条件は同じです。彼女たちは双子の兄弟姉妹以外に滅多に姿を見せないですから」
「……そういうことか。のった! 僕のことは『龍神湖の聖女』ってことにして噂を流そう」
「いいですね。それでいきましょう」
東の太門近くには、かつて
今ではその力の大半を失い、女神は百年以上前に
女神のいなくなった湖ならば、人間は近づかない。
それに、人間にとっては、
わたしの
「じゃぁ、
竜胆は何かを企む子供のようなキラキラとした瞳を私に向けてきた。
「そうですか……。では、皇帝家を襲いそうな
「ほうほう。皇帝家か……。数えきれないな! よし、僕が同行しよう!」
竜胆の提案が突拍子もなさ過ぎて、わたしは聞き返してしまった。
「……はい? ついさっき誰にもバレたくないみたいなこと言ってましたよね?」
「それとこれとは違うだろう? 僕は
「えええ……。でも、玖藻祭は三日間あって、
「大丈夫だ。僕にも多少は仲間がいるからな」
「
「いや、精霊種だ」
「精霊種⁉ こんなに瘴気が濃い場所で生きていけるものなんですか?」
精霊種はいずれ〈神〉にもなり得るほど清く強い霊体のことを言う。
姿かたちを持たないために無防備だが、猫や猿、梟といった霊感の強い動物に憑依し、何百年にも及ぶ修業を行うとされている。
「改造したんだ。吸った瘴気を糧にできるようにね」
「か、改造……? 蒸気機関みたいに?」
「蒸気機関……? ああ、あの
「そうです。生活を便利にしてくれるものです。でも、生命じゃありません。精霊種は生命ですよね? 改造って……」
わたしには想像が出来なかった。命あるものを特定の物質に適応させるために改造するなど。
「植物と同じだよ。
「す、すごいですね」
「一時期、太門を通って西欧諸国へ行き、錬金術師たちに交じって実験をしていたこともあるからね」
「なんと……そうですか。では、同行をお願いします」
「やった! 五十年ぶりのまともな外出だ」
「行動予定表はまた後日持ってきます。そのときに色々打合せしましょう」
「楽しみにしているよ。
「あなたに比べたら、すべての種族は短命ですからね」
何気ない会話のつもりだった。でも、一瞬、
「まぁ、そうだな……。新しい友情に感謝だ」
「そうですね。では、わたしはもう少しこの辺の
「わかった。僕は東に帰るとするよ。今日は本当にふらっと来ただけだからね。家を護らないと」
「お気をつけて」
「
わたしは竜胆に会釈すると、人里近くまで来た道を引き返していった。
貴族たちの要請で建てられた関所は徴収される税が高く重い。そのせいで、
そのひとたちがどうするかというと、危険だけれど無料で通れる道を行くしかない。
それが太門の近くの獣道なのだ。
(新しい皇帝陛下が、数多くあるこういうことにちゃんと気づくと良いんだけどね)
わたしは杖をまた二振りの太刀に変え、周辺を歩き始めた。
救われるべき人々を救うために。
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