偽りの人魚姫

スミンズ

偽りの人魚姫

 「死ぬんですか?」フェリーの上で、流れていく海を漠然とみていた俺に、女性は言ってきた。歳は俺と同じくらい、おそらく20代中盤だろう。ロングヘアーに白いワンピースを身に付けていた。


 「例え死ぬとして、それがあなたになんか関係あるのか?」


 そう言うと彼女も海をみながら言う。そんな彼女を横目でちらりとみる。


 「いえ、全く関係ないですよ。ただ、ね」そう言うと薄く笑った。


 「……あんたも死ぬ気なのか?」


 「そうですね。いや、そうね……。私は人魚姫だから海に戻るとでもしておきましょうか?」


 「おきましょうか?って。まだ決心がついてないんでしょ?」俺がそう言うと軽く頭を縦に振る。


 「別に死ななくても良いんだ。人魚姫にならなくても良いんだ。なんならゴリラでも熊にでもなってしまえば良い。それで森のなかで暮らしていければきっと今より幸せだよ。人間がいない場所に行きたいだけなの。でも、人間のまま自然に放り出されても、私はどうせ生きていけない」


 「なら、手っ取り早く死のうって思ったわけか?」


 「……そう。もしかしたら海に落ちた時に、私の足が尾びれに変わるかも知れないでしょ?」


 「それは人間のまま森で暮らしていくよりも可能性が低いね」


 「そうかもしれない。だから迷ってるんだよ。行き先を」


 「行き先ね」俺はまた海に視線を落とす。「そう言えば、なんであんたは俺が死のうと思っていると感じたんだ?」


 「わかるよ。海をみている視線が、他の人よりも下を向いていたから。水平線ではなく、海の底をみている感じ」


 「当たりだね。ただ、今から死のうと思っている割に、人の生き死にを気にすることが出来るんだね」


 「自分が死ぬのは良いけど、人が死んだら嫌だから、ね」


 「さっきあんたは人間のいない場所に行きたいって言っていたけど、そんないて欲しくない他人という存在の死が嫌なのか?」


 「いて欲しくないのは、私に関係のある人間だよ。他人の死は悲しいし、嫌かな。だからこそ、人間のいない場所に行きたいんだよ」


 「そうか。難しいな。関係のある人間、って言うのは仕事仲間のことか?」


 「それもひとつ。ただ、昔からの付き合いとか、考え方の違う人とかもいるし……」


 「もつれってやつか」


 「うまく行かないって言う感じだね」そう言うと彼女も海を見おろした。


 「まあ、俺もそんなもんさ。海が好きで、船乗りになったんだけどさ、関わった航海士オフィサーが糞過ぎてさ。こんなやつが海で仕事をしている世界が、なんかやるせない感じがしたんだ」


 「やるせない、か」彼女は肩で笑った。そしてゆっくりと俺を見てきた。「死ぬ前に、お互いちょっと遊ぼうか?」


 「遊ぶ?なにをして」訊ねると、彼女はまた、海を見た。


 「わたしさ、色々なことをしたけどさ。……セックスってしたこと無いんだよね。どうせ死ぬからってスイートルームに泊まってるんだけど、どうかな」


 「死ぬのにヤる意味あるのか?」俺もまた海を見ながら言った。


 「意味はないね。……じゃあセックスは無し。けれど、さいごにも一回だけ、他人の君と船を回ってみたい」


 「俺とか?」


 「うん。私とおんなじ死にたい病の人間に会ったのは初めてだからね。興味があるんだ、単純に」


 俺は顔を彼女に向けた。


 「名前はなんだ?覚えとくよ」


 すると彼女はフフッと笑った。


 「偽りの人魚姫、とでもしておきましょうか?」


 「それじゃあただの自己紹介じゃないか」


 「第一これから死ぬ人間が覚えとく意味があるんですか?」


 「どっかで廻り会ったときに覚えとくためだよ……。俺は正岡雄二」


 「そう、じゃあ私は中松、とだけ言っておくよ。親のつけた名前なんて名乗りたくもないからね」


 「わかったよ、中松」


 そう言うと彼女は笑った。あくまでも、他人という俺に。

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