生き方も、死に方も

板倉

第1話

ここに立ってからどれだけの時間が経っただろうか。

数分なのか数時間なのか、あるいは数秒しか経っていないのかもしれない。

廃ビルの屋上、フェンスを越えてただただ立ち尽くす私の眼下には、メガホンを持った警察官と多くの野次馬が集まっている。


そう、私は所謂自殺志願者というやつである。

メガホンを持った警察官は、何やら必死に説得を試みているようだ。言葉は私の耳に入ってくるが、私を動かすには足りない。

「家族が悲しむぞ!」私には悲しむような家族などいない

「たった一つの命を投げ出してはいけない!」私の命だ、どう扱おうと自由なはずである。

「あなたが死のうとしている今日は、誰かが死ぬほど生きたかった明日だ!」誰かの名言的なやつだろうか。自分に関わりのない誰かのことを想って生きられる人間は、そもそも自殺など考えもしないだろう。

いまいちピンとこない説得を続ける警察官。

その声を聞いて増えていく野次馬。


何故説得がピンときていないのになかなか私が飛び降りないのかといえば、単に踏ん切りがつかないのである。

首吊りは苦しそうだし糞尿を垂れ流すと聞いたのでやりたくない。

電車の線路に飛び込むのは場合によっては死ねないし、多くの人に迷惑をかけてしまう。

リストカットも躊躇してしまえば意味がなくなる。

そう思って飛び降り自殺を選んではいるが、そもそも私は積極的に死にたいわけではない。ただ「生きていたくない」のだ・・・


「どうした?飛ばないのか?」

不意に聴こえた声に振り返る。フェンスを挟んで目と鼻の先に、黒パーカーに黒いズボンという出で立ちの男が立っていた。

「飛ばないのか?」

パーカーのフードで顔のよく見えない黒ずくめの男は再び言った。

「・・・生きていたくないから死のうと思ったけど、なかなか踏ん切りがつかなくてね。」

特に話したいというわけでもないが、決心がつくかもしれない。会話してみることにした。

「ふむ。なんなら背中を押してやろうか?」

「それはちょっと・・・。自分の意志で飛びたいから。」

そう、私は自分の意志で動きたい。

思えば私の人生に意志決定という言葉は無縁だった。

両親は幼い頃に交通事故で亡くなり、その後は親戚の家をたらい回しだ。転校を繰り返した私に友達などできるはずもなく、預けられた家では常に邪魔者として扱われる。

ただただ命を繋いでいただけ。いつしか名前を呼ばれることすらなくなってしまった。


「そうか。なら飛ぶのを待とう。」

男はこともなげにそう言った。

「止めないの?」

止めてほしくなどないのに思わず言葉が口を吐いて出た。

男は答える。

「どう生きるかも、どう死ぬかも、自分で決めることだ。お前が死ぬと決めたのなら止める道理などない。第一、赤の他人に止められたら死ぬのをやめるのか?先程から下で叫んでいる人間がいるようだが。」


そうか。


そうだったんだ。


やっぱり私は死にたいのではなかった。ただ私の意志決定を肯定してほしかっただけだ。

それが死ぬという意志であったとしても、今初めて肯定された。


「・・・やっぱりやめるよ。」

私は告げる。

「そうか。それもまたお前の自由だ。」

男はやはりこともなげに言った。この男にとっては本当にどちらでもいいのだろう。


「不思議な人ね。あなた何者?」

純粋な疑問だった。私が死ぬのも生きるのもどちらでもいいくせに今ここにいる。まるで人間ではないみたいだ。私の死を見届けに来た死神かもしれない。それでもいいけれど。

「他人に身分を尋ねる時は自分から名乗るものだと思ったが。」

「変なところで律儀なのね・・・私は」

言いかけて言葉に詰まる。名前は勿論あるのだが、今までの人生が嫌すぎて自分の名前までもが嫌いになっていた。

どうしよう。そうだ。

「どうした?」

怪訝な口調の目の前の男に、私は言った。

「私、今死んで新しく人生始めたようなものだから、それを見届けたあなたが新しい名前をつけてくれない?」

「そうしてほしいというのならそうしよう。そうだな、今五月蝿いくらい聴こえる音から取って---」



---数刻後---

飛び降り自殺をしようとしていた女性が説得に応じて自殺をやめたということで騒ぎも収まり、野次馬もすっかり消えた街の片隅に、黒パーカーに黒ズボンの男が立っていた。

どこからともなく、少年と青年の間のような声がする。

「よう相棒。いつになったら俺に魂を刈り取らせてくれるんだ?」

男の身に付けた鎌の形のペンダントからその声は出ている。

「不満なら他所に行くんだな。他に死神はいくらでもいるだろう。」

男が応じると、ペンダントも答える

「無理なことを承知で言ってくるんだから、やっぱ性格悪いよアンタ。

まったく困った死神だねえ。直接殺すんじゃなくて人を生かすなんてさ。」

「人間とは、生きるだけで他の動物に比べて多くの命を奪う生き物だ。存在しているだけで、我々に必要な多くの魂を確保してくれる。自殺などされては勿体ないからな。」

更に独り言のような会話は続く。

「それに俺は別に直接助けたわけではない。あの人間の選択を尊重しただけだ。死んだら死んだであいつの魂を頂けばいいだけのことだからな。」

「ちぇっ、そんなこと言って、ちゃっかり長生きしそうな名前までつけちゃってさ。あーあ、変わり者のマスターに振り回してももらえない俺って可哀想な鎌・・・」

「そう言うな。長生きした人間の魂ほど美味いものはないんだからな。」

「はいはい。わかりましたよーだ。そんじゃあとっとと帰りますかね。」

「そうするとしよう。」

男が姿を消す。

そんなことを知る由もないまま街には人が行き交う。

今日も何処かで変わり者の死神が誰かに名を与えているかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生き方も、死に方も 板倉 @itakura97

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ