猫耳娘
「……ああ、スペードがヤられちャッた▼ワタシのイチバンのおキにイりだッたのに■」
黒い城のバルコニーで、道化師はブツブツと恨み言を放っていた。
執事服を着た長身の男は城下を眺めながら、その小言を近くで聞いている。
「フン、だが事は成った。人間の死体ならこれから文字通り腐るほど増える。また作ればいいだけだろう」
「あのねェ?ナンドもイッてるけど、あそこまでオレにナジませるのはジカンがカかるんだよ▲シタイがあればイいッてもんじャないんだから■」
やれやれと肩をすくめる道化師に、執事は拳を震わせながら睨みつける。
「そもそも、貴様が下調べを怠らなければ体を失うことも無かっただろうが。貴様の体などどうでも良いが失敗は許されん。それに貴様は他にもだな……」
道化師の主張は執事によって軽くあしらわれ、道化師が苦手な説教の雰囲気を作り出されてしまう。
だが執事が説教を続けようとするその瞬間。空間が歪み、開かれた時空の穴から純白の天使が現れた。
「戻ったか。カトレア」
「……」
カトレアと呼ばれた天使は無言で道化師に近付くと、枝のような細い剣を手渡した。
「……あなたの仕事、私がやったから。ご褒美は私のもの」
「グギギギギ■クヤしいィ~▲」
無表情で勝ち誇ったような事を言う天使に、道化師はわざとらしくハンカチを噛む仕草をする。
「貴様ら、そろそろ招集の時間だ。魔王様を待たせる訳にはいかん」
空を見上げていた執事が二人に呼び掛けた。
「……ん」
「リョウカイ♪」
天使は感情の読めない無表情で、それとは逆に道化師は待ってましたと言わんばかりの嬉しそうな表情で執事の後を追う。
三つの影が城内に消えた。
「旦那様、んっ……だんなさまぁ……」
「……おい、何してんだ」
心地よいまどろみの中、身体に違和感を感じて目を覚ますと、全裸のキャシーが頬を染めながら俺の耳元で喘いでいた。
仰向けで寝ていた俺の上に覆い被さり、身体をぴったりと密着させている。
「おはようにゃ!旦那様がえっちな夢を見れるように頑張ってたにゃ!」
キャシーは元気良く挨拶した後、俺の背中に手を回して抱き着いてきた。身体がより密着し、薄い布越しに程よい肉感が伝わる。毛布をかぶっているため露出は控えめだが、もし無かったら俺の理性が心配だ。
「だからって全裸は駄目だよ……とにかく服を着てください」
隣ではディセラがすやすやと静かな寝息を立てて寝ているし、テーブルの上には昨日から目を覚まさないフェイもいる。この現場を見られたら誤解を招きかねない。
俺は手の置き場所に気をつけながらキャシーを引き剥がす。
不満そうにしながらも、キャシーは素直に背筋を伸ばした。毛布が落ち、上半身が露わになる。
だが、俺は目を背けることが出来なかった。
「キャシー……その、ごめん。綺麗に治せなくて」
そのスレンダーな双丘の中央には、一生治ることの無い傷痕が刻まれている。魔髄核を切除した後、他に皮膚を接合する方法が思い付かなかったとは言え、女性の身体に一生物の傷を付けてしまった事実に変わりはない。
謝っても仕方がないことは分かっているのに、俺は自分を守る為に謝ってしまった。どうしようもないクズだと自分でも思う……
「謝るにゃ!」
「ヘブッ!?」
自責の念を募らせた末の謝罪は、猫耳娘の唐突なビンタによって返答された。
まさか引っ叩かれるとは思ってもいなかった俺は、突然の衝撃に右頬を抑えながら目をパチクリと瞬かせてキャシーを見た。その瞳は怒りに震えている。
「もし旦那様が居なかったら、キャシーはここに居なかったにゃ!たかが胸を傷付けたくらいで謝られてたら、命の恩人の心を傷付けたキャシーはどう償えばいいにゃ!?それくらい、キャシーにとって命は重いものなんだにゃ!」
キャシーはそうまくし立てると、ベッドから降りて着替え始める。
右頬が痛い。痺れるような痛みだ。だが、俺はそれよりも胸が痛かった。単なる自己満足のつもりがキャシーを更に傷付ける事になるなんて、考えもしなかった。
「キャシー、俺が間違って……ん?」
ふと顔を上げると、下着姿のキャシーがこちらを見ている。俺が慌てて目を逸らす直前、猫耳娘はいたずらな笑みを浮かべて言った。
「でも、責任は取ってくれるよにゃ?旦・那・様♪」
ああ、情けない。年下の女の子に説教されて、励まされて。
だがこの瞬間、俺は不覚にも、キャシーを魅力的だと思ってしまった。
……いっその事、本当に責任取っても良いような気がしてきたな。
着替えを続けるキャシーを見つめていると、ふいに肩を掴まれた。
「オーグー?」
振り向くと、隣で寝ていたはずのディセラがジト目で俺を睨みつけていた。
尻尾は……これは怒りか?いや、この場合は不満が近いか。
「また尻尾見て、ボクが何考えてるか当てようとしてるでしょ!」
バレてる。でもディセラも俺が話している時に表情をジロジロ見てくるので、お互い様だ。
「ディセラ姉ちゃんが不機嫌な理由に心当たりがないから、ちょっと確認してただけだよ。ハハ……」
本当に心当たりがないので正直に話すと、ディセラは疑いの目で俺の顔をジロジロ見てくる。そして嘘偽りが無いことを確認すると、両目に涙を浮かべてしまった。
「オーグ、ボクと結婚してくれるって約束したのに……ボクが嘘ついて皆を危険な目に合わせたから、ボクの事嫌いになっちゃったんだ……」
結婚……子供の頃、そんな約束をしたようなしてないような……てかよく覚えてるな。
俺は人差し指でディセラの涙を拭いとり、頭を撫でた。
「ディセラ姉ちゃんを嫌いになったりなんかしてないよ。言ったでしょ?見捨てたりしないって」
「本当……?」
ディセラは不安そうに俺の表情を覗き込む。
「本当だよ」
本当だ。俺は幼い頃から一緒にいたディセラを家族のように思っている。
それが伝わったのか、ディセラは安心した顔をして俺に抱き着いてきた。キャシーとは違う、豊満な膨らみが押し付けられる……
「旦那様~?」
豊かな恵みを堪能していると、ふいに肩を掴まれた。
デジャヴを感じながら振り向くと、制服姿のキャシーが貼り付いたような笑顔で俺とディセラの胸の接着点を見つめていた。そして自分の胸と見比べて……ディセラ同様、目に涙を浮かべた。
「やっぱり男の子って、大きいおっぱいの方が好きなのかにゃ……」
「おっぱ……っ!?オーグ!そんな事考えてたの!?」
「違うんだ!俺は小さいおっぱいも好……って違う!とにかく違うんだー!!!」
俺は叫ぶ。今は金竜の刻、完全なる近所迷惑だ。
「んん、うるさい……」
一番最初に被害に遭ったのはテーブルの上に置かれた枕で寝ていたフェイだった。両腕を伸ばし、目をこすって周りの状況を確認している。
「あたし、なんであんたの部屋で寝て……まさか」
しばらくして状況を整理したフェイは、何を勘違いしたのか自らの体を抱くようにして俺を睨みつけた。慌てて弁明し、その事情を説明する。
「……なるほどね。一人でいるのは危ないからあんたの部屋に、それは分かったわ」
「誤解が解けて良かっ」
「でも、それならレーネに頼めば良かったじゃない。それに、なんでこの二人はあんたと一緒に寝てるわけ?しかも同じベッドで」
「キャシーは旦那様のものになったにゃ♪」
「ボクはオーグの浮気防止!」
フェイの指摘に俺は凍り付き、キャシーは無邪気に、ディセラは元気に答える。
この後、ディセラの腹が鳴り俺が朝食を作る事を口実に逃げ出すまで、俺はフェイから地獄の質問攻めを受け続ける事になった。
気のせいかもしれないが、フェイの言葉にはいつもより少しトゲがあるような気がした。
「んー!おいしー!!」
「う、うますぎるにゃ……!」
「……!!」
今日はちょうどダンシングチキンが卵を産んでいたので、普段食べている硬いパンをフレンチトースト風にしてみた。キラービーの巣から取ってきた蜂蜜は少々甘みが強い気がするが、三人共満足そうで何よりだ。フェイに関しては一度に頬張りすぎてリスみたいになっている。
「フェイ、本当に体は大丈夫?炎で俺を守ってくれた時、羽が充血してるみたいだったけど」
「羽が充血ねぇ……。あたしは
頬を指で突きたくなる衝動を堪えながらの俺の問いに、フェイは背中に生える半透明の羽を見ながら答える。
半透明の羽をよく見ると血管のような赤い脈が透けて見えるが、昨日はその比じゃない程に羽全体が紅く染まり、高熱を発していた。炎の発生源はフェイで間違いないとは思うのだが……。
「昨日の事といえばボクも気になった事があるんだけど、オーグってお医者さんの勉強してたっけ?キャシーから
考え込んでいると、いち早く食べ終えたディセラが鋭い事を聞いてきた。いつの間にかキャシーの事を呼び捨てにしている……
この世界は
「あの時は必死だったから、たまたま上手く行っただけだよ」
「……ふぅん」
ディセラは俺の表情を見て嘘でないことを確認する。
そう、嘘ではない。俺は前世で人体について恐らく一般人よりは詳しい程度の知識を学んではいるが、それでも昨日の医療が必死だったのは違いない。
「ま、いっか!そろそろ金竜が傾く時間だし、ボクはもう行くね!ごちそうさま!」
「キャシーも部屋に戻るにゃ!ご飯ありがとにゃ、旦那様♪」「あたしも」
皆が部屋から出た後、俺はベッドサイドに置かれた魔髄核を眺める。
キャシーから摘出した魔髄核は通常ではあり得ない程の大きさと硬さを備えているらしく、ディセラの剣でもレーネの元素魔法でも破壊できなかっため、俺が持ち帰る事になった。
最下層にある部屋の外に動かすだけでも巣は機能を失うので、キラービーの被害についてはもう心配はないそうだ。
だが、キャシーが最下層に捕われていた理由は不明だ。本人曰く、
これから先、魔王軍や未知の脅威がディセラとキャシーを襲う可能性は極めて高い。
「……もっと強くならねぇと」
俺は剣を手に取って外に出た。
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