小さな出会い

結論から言うと、俺は試験に合格した。

入試科目は筆記、剣技、魔法の三科目で、俺はそのうちの筆記が全問正解だった。


「オーギュスト・エスコフィエ、君は筆記以外が絶望的だ。特に魔法。君は最近の子にしては珍しく、体内に魔力が一切ない。これっぽっちもだ。それでも剣が出来るだけマシだが……それもあまり役に経たないだろうな。よって君を「妖精組インフェリア」に配属する」


そう、俺は筆記だけで合格したのだ。

早朝から校長室に呼び出され、俺は今日から妖精組と呼ばれるクラスに所属する事を校長から直々に知らされた。

そして妖精組はいわゆる落ちこぼれクラスというやつらしい。

村でディセラと特訓してきた事を否定されたようで、最初は少し傷付いていた。


だが、入学できた事が大きい。ここで戦闘の基礎を身に着ければ、あとは自分の時間で努力すればいい。最初から出来るやつなんてそうは居ないのだから。今ではそう考えるようになっていた。前世がネガティブだったぶん、俺はなるべくポジティブに生きたいんだ。


それよりまずは挨拶だよな。明るく、元気よく!大丈夫だ。学生時代は一度経験済み。二度目の人生に抜かりはない!

「妖精組」と書かれた看板を確認し、ドアの前で深呼吸をする。

俺は勢い良くドアを開けた。


「おはヘブッ!?」


しかし、事前に宿で何度も練習し完璧だったはずの俺の挨拶は、ドアを開けた瞬間に勢い良く突撃してきたによって遮られた。


「いててて、なんだこれ?柔らかい……?」


俺は左手でデコをさすりながら右手で現れたものを掴む。

ほんのりと温度を感じるそれは、例えるなら鶏肉を握っているかのような柔らかさがあり、俺は正体を確認するのも忘れて握ったり緩めたりを繰り返した。


「あっ、ちょっ、ちょっと!離しなさいよ!」


突然、手の中から甲高い声が聞こえて俺はとっさに手を離した。

開放された声の主は脈動する四枚の羽をパタパタとはためかせて空中に留まった。


「あんたねぇ!レディを乱暴に掴んでおいて謝罪の一言もないわけ!」


俺を少し見下す位置に浮遊して謝罪を要求しているのは、俺の手のひらと同じくらいの大きさの小さな妖精フェアリーの女の子だった。

燃えるような紅色の髪を羽まで伸ばしたツーサイドアップスタイルのその勝ち気な雰囲気の妖精は、自らの身体を隠すように抱いて真っ赤な顔で俺を睨んでいる。


「初対面であんなところまで触って……最低!」


そこまで言われて初めて、俺はさっきまで自分が堪能していた感触の正体に気が付いた。


「ご、ごめん!今まで妖精を見たことがなくて、つい感触を楽しんじゃったっていうか、柔らかかったというか……」


「か、感想を言えなんて言ってないっ!!」


「ゴメンナサイ」


急に飛んできたのはそっちじゃん。なんて、気付いたときにはもう手遅れだった。俺は教室中の視線を浴びている。彼らからしてみれば、俺は少女の柔らかい部分を堪能し、その感想を言うことで羞恥する姿を楽しんでいるHENTAIでしかない。


俺は弁明しようと立ち上がったが、それは始業時間を知らせる鐘の音と共に教室に入ってきた教師の挨拶によって叶わなかった。





教室は円形の造りになっており、教卓を半周するように生徒たちの座る席が用意されている。

俺は窓際の一番後ろに座った。……隣には先ほどの妖精がしかめっ面で座っている。

教師は全員が席に着くのを確認すると、咳払いを一つ。


「えー、今日から妖精組の担任になったマーシェル・ハリスだ。俺が君たちに言いたいことは一つ。とりあえず来年……少なくとも卒業までにはこのクラスから昇級してくれ。でないと冒険者としてはやってられん」


以上だ。と端的に終え、マーシェルと名乗る気怠げな男教師は手前の席から順番に自己紹介をするよう促した。

自己紹介を聞きながら、俺はこの学校の昇級制度について考えていた。

この学校には学年ごとに二つのクラスが設けられており、同学年での能力の差で「妖精組インフェリア」と「戦士組エクセレント」に分けられている。受けられる授業の質や冒険者になったときの信頼度ランクにも関わってくるので、殆どの生徒は戦士組で卒業する事を一つの大きな目標にしている。もちろん、俺もその一人だ。

入学時点で戦士組エクセレントに選ばれた生徒も油断はできない。妖精組から昇格するということは、戦士組から一人妖精組に降格するということでもあるからだ。

生徒の向上心を常に刺激するこのシステムによって、毎年戦士組からの卒業生の評価は高い。


そんな事を考えていると、自己紹介の順番は隣の妖精まで回ってきていた。

椅子が使えないため、人間用に作られたサイズの合わない机の上に座って羽を手入れしていた彼女は一瞬、みんなの方を向くと


「フェイ・フレイ」


それだけ呟いて、もう話すことはないとでも言うように、また羽の手入れに戻ってしまった。クラスのみんなの反応もない。

この微妙な空気で俺の自己紹介かよ。


「オーギュスト・エスコフィエです。気軽にオーグって呼んでもらえると嬉しいです」


勘弁してくれとは思いつつも、愛想ある雰囲気で無難な挨拶を試みた。するとフェイの時とは打って変わり、まばらに拍手が送られた。やはり愛想は大事だ。



その後は授業についての簡単な説明と寮の部屋の鍵を渡され、解散となった。

俺はディセラに合格したことを報せるため、二年戦士組の教室に来ていた。この時間は外での訓練が終わって、教室に戻ってきているはずだ。

あのディセラだ。学校でも妹扱いされてるに違いない。


「「「ディセラお姉様~~!!」」」


教室の前で三人の獣人の女子生徒に声をかけられている彼女を見つけ、俺の予想は一瞬にして否定された。


「お姉様!さっきの対人訓練カッコよかったです!」


「人間の男に圧勝するなんて!私スッキリしました!」


「ディセラお姉様は私達の希望です!」


蛇人、鳥人、猫人の女生徒たちにそれぞれ褒められたディセラは、普段俺に見せる照れ顔など一切なく、別人のような態度で答えていた。


「ありがとう。これからも応援してくれると嬉しい」


口調まで変わっているディセラに、俺は話しかけることが出来なかった。

幼馴染の意外な一面、というにはあまりにも違いすぎる。

俺は少しの放心状態になり、家に帰るために廊下を歩いていた。


「離して!!!!」


ディセラの豹変で頭がいっぱいだった俺の意識は、少し遠くから聞こえてきた甲高い悲鳴によって戻された。

直近で聞き覚えのあるその声は緊迫感を帯びていて、俺は少し駆け足になって声のした方へ、一年妖精組のところまで向かった。


「!!」


そこに居たのは妖精組の教室の前で騒いでいる人間の男女数人と、そのうちの一人に片手で掴まれてもがいている妖精、フェイ・フレイだった。


「おいおい、いつからこの学校は虫を入学させるようになったんだよ」


「制服も専用サイズって、調子乗りすぎ。虫のくせに、人間のつもりなの?」


彼女を掴んでいる黒髪の男子生徒と、そのすぐ隣で腕を組んでいる赤髪の女子生徒が侮蔑の言葉を投げかける。


「人間?ふざけないで!誰が人間なんかになりたがるのよ!!人間なんて大嫌いなんだから!!」


体を拘束されている状態でも、彼女は気丈に言い返していた。

だがまずい。俺の学生時代にもいじめはあったが、この手の手合いは標的が反抗的であればあるほど、それに比例してやり方も狡猾になる。俺はそれを知っている。


「ねぇダンテ、この虫うるさいし、殺すのはかわいそうだから森に返してあげようよ」


「あー、そうだな。んじゃ窓から投げるか」


「馬鹿ね。あたしの羽は飾りじゃないのよ!」


ダンテと呼ばれた黒髪の男子生徒が妖精を投げ捨てようとした瞬間、彼女はいじめっ子たちを刺激するようなセリフを、事もあろうに渾身のドヤ顔と共にお見舞いした。


バカはお前だー!!!!!!

心の中で叫ぶ。そんな事をしたら何が起こるかなんて、決まっている。


「……やっぱやめた。オレは用事思い出したから帰るわ。……でも思うんだけどさぁ、虫が服着てんのおかしくね?ま、あとはお前らの好きにしていいよ」


ダンテは隣りにいた赤髪の女子生徒に妖精を手渡すと、鞄を背負って行ってしまった。

そして俺の予想通り、ダンテの指示通りに、彼女は服を脱がされる直前だった。


「やめて!!やめて……やめてよ」


どこの世界も変わらないな、いじめってのは。

俺は心の中でため息を付きながら、いじめっ子たちのもとへ歩いた。


「あのー、すみません」


「……妖精組の人?どうしたの?私達今忙しいんだけど」


恐る恐る、と言った様子で俺が話しかけると、今まさにフェイのスカートに手をかけていた女子生徒が振り向いた。周りの奴らもこちらを見ている。正直、出ていった事を後悔しかけていた。


「ごめんなさい!ほんとは戦士組の人達の邪魔したくなかったんですけど、校長がその妖精に用があるって事で、探してたんです」


「校長がこの虫に?何の用事があるってのよ」


俺は内心、しまったと思っていた。この学校の校長は、先代の勇者と共に旅をした英雄の一人だ。そんなお方に呼ばれてると言えば素直に聞いてくれると思い、用事の内容までは考えていなかった。

一つだけ、頭の中に浮かんではいる。だがこれは、校長先生と妖精のどちらにも悪影響を与える可能性が高い。俺は他の理由を考えた。

考えて考えて考えて考えて、女子生徒が訝しげな表情をするまで思い付かなかった。

悪い、フェイ・フレイ。すみません、校長先生。


「その妖精は校長先生の愛玩動物なんですよ!」


「あいがっ!?」


「だから特別に入学を許されてるんです。愛玩動物に対するって言ったら……ねぇ?」


「そ、そうなの……」


突然の愛玩動物呼ばわりに、妖精が口をあんぐり開ける。俺は心のなかでもう一度謝る。

とんでもない風評被害だが、俺にはこれしか思いつかなかった。

校長の趣味を知ってしまった女子生徒は、まさにドン引きと言った様子で妖精から手を離し、他のいじめっ子たちを引き連れて何処かへ行ってしまった。

俺は開放され、俺の顔より少し低い位置で宙に浮いている妖精に向き直った。うつむいていて表情を伺うことは出来ない。


「ふう、なんとかなった。大丈夫?」


「……れが」


「だれが愛玩動物よーー!!!!!」


「ヘブッ!?」


小さな体から繰り出されるアッパーカットに、俺の顎は悲鳴を上げた。

顎をさすりながら彼女を見ると、既に二段目を構えている。俺は慌てて弁明した。


「ごめんごめんごめん!!とっさのことであれ以外思いつかなかったんだ!」


「よりによってあたしが、人間の……あい、あいがん……なんて…………!」


最後の方はほとんどつぶやきのように小さく震えた声だった。しかし、それでも妖精の怒りは止まらないようで、声だけでなく体まで震わせてうつむいている。

彼女が拳を握るのを見て、俺は次の衝撃に備えた。が、覚悟した衝撃は来なかった。


「……あ、ありがと」


代わりに聞こえてきたのは、小さな声で告げられた感謝の言葉だった。

顔を上げると、妖精の表情に怒りの感情はなかった。複雑な、思春期の子供がするような顔をしながら、俺の目をまっすぐ見つめていた。


「分かってるわよ。あんたがあたしを助けてくれた事くらい。でもあたし、人間が苦手で……特にあんたは朝の一件で警戒してたし……ごめんなさい」


「いいよ、フレイさんが無事で良かった。……あと、朝の件は本当にわざとじゃないから!」


礼まで言った人間に直接人間が苦手というのだから、彼女は本当に人間が苦手なのだろう。俺はなるべく距離を保つため、ファーストネームで呼ぶのを避け、そそくさとその場から立ち去ろうとした。


「フェイでいい」


しかし、何故か彼女は俺の隣をひらひらと飛行しながら、ファーストネームで呼ぶように要求してくる。


「えっと、フェイ……さん?」


「さんいらない。フェイでいい」


「わかったよ。フェイ」


なぜか俺の方を見ようともしない。俺は観念してフェイと呼ぶことにした。

俺が名前を呼ぶと、彼女は一瞬何かを考えるような素振りをしたあと、急に先ほどの申し訳無さそうな顔をこちらに向けてきた。


「あんたの名前……なんだっけ?オーク、オーガ……近いところまで来てるんだけど、思い出せないの」


真横で自己紹介聞いてただろ!

叫びたい気持ちを抑え込み、俺は苦笑いを浮かべて答えた。


「オーグだよ。フルネームはオーギュスト・エスコフィエ」


「オーグ、ね」


もう学校からは出ており、今は寮に向かっている。男子寮も女子寮も、建物自体は近くにあるが……まさか寮までついてくる気なのだろうか。

フェイはにこりともせずに俺の名前を復唱し、もう一度俺の方を向いた。


「オーグは、なんであたしを助けてくれたの?」


「なんでって、困ってる人を助けるのは当然だろ?」


「……オーグはあたしの事、人だと思ってるってこと?」


「うん、思ってるけど……?」


俺はフェイの質問の意図が分からなかった。「困ってる人を助けるのは当然」という価値観は前世だけのものではない。この二度目の人生でも、幼少期から両親にこの世界での常識を教わってきた。それは前世の道徳とほとんど差がないものだった。だから。俺は見落としていたのだ。この世界とあの世界の根本的な違いを。


「人間のクセに、へんなの」


いつの間にか着いていた寮の前で、俺は初めてフェイの笑顔を見た。

夕陽に照らされるその顔はさっきまでの緊張感など感じさせない。あどけない少女のいたずらな笑みだった。





フェイと別れ自室に戻ってきた俺は、心臓の高鳴りを抑えることが出来ずにいた。フェイの笑顔が素敵だったからではない。

俺は王都に着いてからの事を思い出していた。

ダードンの言葉、昨日のディセラ、今日のディセラとそのファン達の会話、ダンテ、そしてフェイの言葉。


「人間のクセに」


この世界には、人間の他に獣人や、亜人と呼ばれるがいる。それはあの世界のと同じようなものだ。ただ身体的な特徴に違いがある、それだけだ。

だが、あの世界に存在したように、どうやらこの世界にも存在してしまうらしい。


「人種差別ならぬ、……か。結局、どこの世界も変わらねぇのかな。こういうのって」


俺はベッドに横たわり、呟いた。

俺は憤怒しているのだろうか?

俺の村には、少なくとも俺が知る限り差別はなかった。これは王都だけの問題なのかもしれない。

差別は許せない!なんて正義を掲げるつもりもない。差別と一口にいっても大小様々で、仕方の無い事もある。鋭い牙と鋭い爪を持っているものを、無いものが警戒するのは当然だ。文化や価値観の違いなども。

だけど。


もう一度、フェイの言葉を思い出す。



差別され歪められた価値観は新しい差別を生み、連鎖する。

それは良くないことだと思う。


俺は人生の経過点であるこの学校生活において、一つの目標を立てた。


「友達は守りたい」


それは小さな出会いから生まれた、大きな目標だった。

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