冒険者志望の元料理人が多種族を支配する魔王になるまで。

さくらまこと

冒険者学校編

「目を覚ますと」

この世界は弱肉強食だ。それはどんな場所でも適応される。自然界はもちろんのこと、俺達人間にもこの言葉は当てはまる。


「おい太郎!2番のヴィアンドはいつ出るんだ!」


白と銀の退屈な空間に、似つかわしくない怒号が飛び散る。

円柱形の白い帽子と赤い染みのついた白衣に身を包んだ男が三枚の薄い鉄鍋をカタカタと揺らしながら、時折全体を見渡しては怒鳴り付けるのを繰り返している。鉄鍋の中ではそれぞれ違う種類の魚が、それぞれ違う種類の粘性の液体と共に火に掛けられている。


「今出ますッ!!」


「4番のスープは!」


「い、今出ます!」


怒号を飛ばしているのはこの空間キッチンを取り仕切る責任者シェフであり、この店――東京の三つ星ホテルレストラン「エスカーブ・ド・ロントプライス」の店長でもある男だ。


俺は他のコックと同じ円柱形の白帽子と、もはや白衣とも呼べないくらいに汚れた衣服を身に纏い、掠れた声を振り絞って返事をする。目の前にある鉄鍋の中で半生ミディアムレアに焼かれたシャトーブリアンが胡椒と肉の香ばしい香りを発している。事前にスチコンで温めておいた皿を取り出し中央に肉を、すぐ横に付け合わせの野菜を添え別鍋で煮詰めていた子牛の出汁フォン・ド・ヴォー葡萄酒マデラワインのソースを肉の周りに飾り付け、仕上げにトリュフのスライスを振りかける。

肉の柔らかさと旨味をコクのあるシンプルなマデラソースで引き立てる一品は、カウンターに置いた瞬間、ウェイトレスによって客が待つテーブルに消えていった。


「2番肉出ました!」


「1番ポワソンでスズキのポワレ、3番口直しソルベ白桃、5番お揃いで食前酒アピリティフ前菜オードブル!すぐ出せ!」


「「はいッ!」」


一息着く間も無い。

俺が死に物狂いで作っているのは一品一品が俺の時給を越える高級品だ。単純計算で俺は一時間で時給の10倍ほどの価値を客に提供しているが、俺がそれにありつける事はない。

毎日朝から晩まで身体を使って働いている俺よりも、頭を使い人を雇って働かせているやつらの方が儲かっている。


この世は弱肉強食だ。強者が弱者の肉を食らい、更に強くなる。


そんな世の中で俺、佐藤塩太郎は今年で33歳の冴えない男。彼女いない歴=年齢、仕事が恋人という熱き社畜魂を持つ料理人だ。

早朝の仕込みから深夜の締め作業まで、ほぼ一日中休みなくキッチンにいるというブラックな業界に耐えきれず転職する同期が多い中、俺は色んな店を転々としながら十年間同じ業界で働き続け、今では高級店の中でもより単価の高い料理を提供しているこの店で、フランス料理のメインである肉料理や魚料理を任されるようになった。

しかし昇給はしたものの労働時間は増えるばかりで、ここ一ヶ月一日も休んでいない。


「1番魚出ました!」


「太郎!!次テーブルにラムと3番肉で子牛のポワレ!」


「はいッッ!」


そして疲労困憊の身体に追い討ちを掛けるかのように今週はゴールデンウィークで、毎日が日曜日並みの忙しさだった。

俺は気付かなかった。自分が思っているより、自分の身体に限界が来ている事に。


「……お先です」


閉め作業が終わり、賄いの余ったソース掛けライスを食べ終えた俺は、休憩室で布団を敷いて寝ている店長を起こさないよう小声で一声掛けてから店を出た。


「今日も終電ギリギリ……店長と違ってわりと遅くまで電車があるのは良いけど」


深夜でも東京はまだ明るい。夕方から夜にかけての喧騒は見当たらないが、散見するビルの明かりや道を照らす街灯、そしてその上を走る車のライトが街を照らしている。


「帰ったらシャワー浴びて速攻寝て、朝起きたらまた仕事か……」


子供の頃からの夢だったこの仕事も、今や俺の心身に現実を叩き付けている。辛い、辞めたい、逃げたい、そんな感情を抱かなくなったのはいつだったか。

今思えば、俺はこの街の景色を見ることで正気を保っていたのかもしれない。自分と同じ、もしくは自分よりも過酷な環境で労働にいそしむ者たちの作り出す景色を見ることで。

そんなことを考えていたからか、単純に疲労で脳が働いてなかったからか。





「目を覚ますと」という表現は適切ではないかもしれないが、俺が知っている言葉では表現できないので許してもらいたい。


「おぎゃぁ、おぎゃぁ」


目を覚ますと、俺は赤ん坊になっていた。


「――――――」


ぼやける視界に映るのは綺麗な金色と透き通るような白色。

聞こえる音は視界に比べて鮮明で、女性の優しい声が聞こえている。


(これは英語……ではないな、フランス語でもない。どこの言語だ?)


聞き慣れない言語、自分が赤ん坊になっているという現象、そしてトラックに轢かれた記憶。


(夢……だとして、どこから夢だ?……だめだ。トラックに轢かれたあとの記憶がない、俺は生まれ変わったのか?ならなんで記憶がある?)


しばらく思考を巡らせていると、唐突に凄まじい強さの睡魔が襲いかかってきた。

それは人間の本能が身体の主導権を乗っ取ってしまうような、そんな感覚で。

俺は抗う事が出来ず、目を閉じた。




それから何回か正しい意味で「目を覚まし」、俺はもうこれが現実だと受け止めるしかなくなった。

今日も今日とて赤ん坊の身体は言うことを聞かない。

もうなれてしまった俺は抵抗せずに本能に身を任せると、身体は俺の意思に反して勝手に泣き出した。

しばらくするとドタドタと慌ただしい足音を鳴らしながら、俺の母親が姿を表した。彼女は長い金色の髪を後ろで結び、エプロン姿で腕まくりをしていた。

料理中だったかと一瞬申し訳ない気持ちになったが、俺にはどうすることも出来ないし赤ん坊がそんなことを考えていたらシュールすぎるので、俺は堂々と両手を伸ばした。


「はいはい、――、――。オーギュスト、おっぱいですよ」


差し出された生命線に吸い付き、命を補給する。

なんども繰り返してきた事だが未だに小っ恥ずかしさがある。そりゃそうだ、赤ん坊の頃に自我なんて普通はないのだから。


「オーギュストは――――――ですね」


慈愛に満ちた表情で見つめられると、そんな小っ恥ずかしさなんて馬鹿馬鹿しく思えてくる。

最初は全く意味が分からなかった言葉も、繰り返し聞く自分の名前と少しの単語なら分かるようになった。

まず、俺の名前はオーギュストというらしい。父はマルコで、母はエマ。家名はエスコフィエ。

そして、名前の次に覚えた単語が「おっぱい」だ。

これは母が授乳時に毎回言うので覚えてしまった。


(赤ん坊の耳は物覚えが良いって言うけど、名前の次におっぱいかぁ……)


そんなことを考えながらおっぱいを飲んだことで食欲が満たされ、次に睡眠欲が顔を表した。俺は抵抗することなく本能に身を委ね、そのまま瞼を閉じた。






そこから俺はすくすくと育っていった。

二度目の人生、二度目の幼少期を自然に演じるのは大変な労力を要した。

成長を重ねるうちにこの世界の事を色々と知った。

ここが外国とかそういう次元ではなく、全くの異世界だということ。

獣人、魚人などの様々な種族や、魔法が存在すること。

そして、魔界と呼ばれる地域を治めている魔王が、近年怪しい動きをしていること。他にも色々なことを学び、経験した。


そして長い長い年月が経ち、俺は遂に14歳の誕生日を迎えた。


「「オーグ、誕生日おめでとう!」」


「ありがとう。父さん、母さん」


夜、アンティークのランプが照らす部屋の中で、毎年恒例の誕生日会が始まった。

テーブルの上には俺と母さんの二人で作った料理が並んでいる。父さんはその中でも今日のメイン、ダンシングチキンのフリカッセを木製のスプーンで掬い取った。


「お前も今日で14か。やはりこの料理の腕だ、料理人になれば王都で店を開くのが良いかもしれないな」


そう、今日で俺は14歳。これまで手伝ってきた家の仕事を引き継ぐか、王都で夢を追いかけるか。いずれにせよ、これからの進路を決める必要がある。

この村は王都に近い場所にあり人口や生活が安定しているため、地方の村よりは比較的自由な進路が認められている。去年14歳になった狼人ウェアウルフの幼馴染は王都の冒険者学校に通っているそうだ。


「うん、そうだね……」


俺は異世界でも料理が好きになった。味わったこともない食材や地球には存在しない動物は、俺の料理人としての好奇心を刺激するには十分すぎるほどだった。


俺は料理人になるべきなんだろう。前世で学んだ調理法や調理器具は、この世界に革命をもたらす事になる。偉人にだってなれるかもしれない。両親もさぞ喜ぶだろう。


「父さん、母さん、聞いてほしい」


「なんだ?」


「俺は料理人にはならない。叶えたい夢があるんだ」


そう、俺には夢がある。才能はないかもしれない、偉人にもなれないかもしれない。

それでも俺はこのファンタジーな世界で、子供の頃から憧れていた職業があった。

狼人の幼馴染から聞いた、夢を追い続ける職業。


「俺は冒険者になりたい。世界中を旅して、色んな種族に会って、この世界を肌で感じたい!」


冒険者。元々は腕に自信のある傭兵などが、未開の地を探索する仕事だった。今は時代が変わり、人里に降りてきた魔獣を退治したり、ダンジョンと呼ばれる魔獣の巣窟で遺物を集めたりして生計を立てる事を言う。

子供の頃に幼馴染から借りた本に記されたその職業は、一度目の人生で枯れ果てたはずだった俺の少年心を潤した。


「それは冒険者学校に通うと言うことか?」


「ああ、冒険者学校に通って、そこで剣の腕を磨く」


「過酷だぞ。命の危険もある」


「承知の上だ。死ぬつもりもない」


短い問答の後、暫くの静寂が訪れた。父は眉をひそめ、こちらをただただ見つめている。俺もまたその瞳を見つめ返した。母の様子は伺えないが、無言の圧を感じる。


冒険者は命懸けの仕事だ。反対されても文句は言えない。

冷や汗が伝うのを感じながら父と睨み合うこと数秒……


「ふ、ふふ、ははは、いやぁ、オーグがそんなに言葉を崩しているのは久しぶりに見たな」


さっきまでの厳しい顔はどこへやら、父さんは笑いながらそう言った。

隣を見ると、母さんまで口元を手で押さえて笑っている。


「ふふ、オーグ、あなたがどんな進路を選んでも、あなたが選んだものなら最初から反対なんてするつもりはなかったのよ」


「お前が冒険者になりたがってたのは分かっていた。ただやはり親としては心配でな、どれだけ本気かを試そうと思ったんだが……その心配はなさそうだ」


俺は未だに驚きで喋ることが出来なかったが、ふと父の言葉に疑問を抱いた。


「「久しぶりに見た」って、俺、他にこんなに本気になった事あったっけ?」


俺の記憶にはない。俺の人生の中で、冒険者になりたいという願望はそれほどまでに大きいもののはずだ。

しかしそんな俺の考えを見破るように、父は呆れたような顔で言った。


「それはな、お前が初めて料理をしたときだよ。初めてのくせにやけに詳しくて、この食材はどうだの、この料理はこうだの、あのときのお前はまるで別人だった」


「……!」


言葉が出なかった。俺は自分で思っているほど、料理が嫌いではなかったらしい。

そして「別人」と言う言葉で思い出す。俺の夢を後押ししてくれたかつての両親とは、もう二度と会えないのだと。


「今更だけど、ごめん……」


親よりも先に命を落としてしまって、育ててくれたお礼も言えなくて。

仕事に追われてろくに連絡もせずに過ごしていた。まさか急に会えなくなるとは思わなかった。そんな言い訳はもう通用しない。


「えぇ!?いや、別に覚えてないからって、父さんは怒ってる訳じゃないぞ!ただ懐かしいなと……エマ、そんな目で見ないでくれ!私が悪いのか!?」


「いや、そうじゃないんだ。ここまで育ててくれてありがとう、父さん、母さん」


今までありがとう親父、お袋、二人に育てて貰った魂で、俺は第二の人生を歩むよ。


大粒の涙を溢しながら呟いた俺の言葉をすっかり勘違いした両親が俺を宥めた後、冒険者学校に入学希望の旨を伝える手紙を出して眠りについた。


深夜、俺は自分の将来の夢を見た。

それは元料理人の俺が冒険者となり、そして英雄と呼ばれるまでの物語だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る