第6話 カナルの家①

 リット! と、カナルが唱えると薄っすらと家の中に明かりが付いた。意外と広い。

 入口には足ふきマットのようなマットが用意されていて、そこで足を入念に拭いて入っていった。サブも促されるままに拭く。ネズミのくせに潔癖のようである。


 入ると正面には正方形のテーブルがあり、サブの膝ぐらいの高さであった。さすがに小さい。

 椅子もそのサイズに合わせているので、ネズミ専用のようだ。テーブルの上には地図が広げられ、何か作業をしているのかもしれない。


 周囲を見渡すと天井は3メートルぐらいありそう。ベッドにソファー、キッチン的なものもあって、人間みたいな生活を送っている。


 カナルは床下の蓋を開けると、「喉が渇いたろ」と、コップ一杯の水をすくってくれた。

 床下には水面しか見えない。高床だから、妙におかしい。湧き上がっているような感じでもないし、何かの力なのだろう。


 サブは走り始めてから、ユキヒョウと戦い、この下水道の家に来るまで何も飲んでいなかったので、すぐに飲み干してしまった。

 それを見て、カナルはお代わりを用意してくれた。加えてピーナッツを小皿に入れて出してくれた。サブはろくに食べられずに死んだので、久方ぶりの食事だった。

 カナルは遠慮するなと言うので、貪るように食べた。


 それからカナルは椅子に腰をかけると、青い液体をコップに注いだ。

 これは地上で取れるハーブの一種から濾した液体で、結びの木の魔力が込められているらしい。

 その魔力を飲めば、たちまち疲労がなくなるのだとか。


「この下水道からは見えないが、地上には結びの木という大きな大木があるんだ。この大木には強力な魔力が込められていて、地下に広大に根を張っている。その根や土壌にも魔力が込められていることから、周囲に生える草木や花には魔力が備わり、このハーブもその内の一つなんだ」


 サブはハーブティーを受け取ると一口含んだ。

 ――う、苦い。思えば透き通った水しか今まで飲んだことがない。飼い主もティーとかいうお茶を飲んでたけど、こんなに不味いものだったのか。


「良薬は口に苦しってね」

 カナルはそう言いながら自分のコップにも注ぐ。

 続けて飲んでいくと、体内の体温が上昇するような感覚が起こった。その上がった体温を放出するために、毛穴という毛穴が解放されて蒸気でも出ている気がして、両手を開いてみせた。


 しかし、蒸気は出ていない。するとたちまちサブの体は軽くなったようで、さっきまでの怒涛の展開による疲れが消えた。

「す、すごい……」

 思わずサブは声をあげた。

「それが結びの木の魔力さ。昨日摘んで濾したばかりだから、まだ魔力は残っている。一週間もすればハーブの魔力は消えてしまうけどね。まぁ疲労を取り除くだけで、傷まで癒すことはできない。でもいいだろう?」

「生まれてこの方、水とドッグフードだけで生きてきた。正直ハーブの味はきつかったけど、これはいいね」


 そうしていると、サブはあくびをして眠くなってきた。突然充電でも切れたように、脳が働かなくなっているようだった。

「疲れは取れただろうが、恐らく慣れない体で精神の方が疲れているな。そこの奥のソファーでゆっくり休むといい」

 サブは言われるがまま、壁際にあるソファーに寝そべった。人間でも少し丸まれば収まるサイズであった。


 寝そべるとすぐに瞼の重さで瞳を閉じる。

 ――ああ、こんなに眠いのは死ぬ間際と一緒じゃないか……


 サブは完全に意識が飛んだ。


 カナルはソファーに寝たサブにタオルケットをかけてやった。サブとの出会いにより当初の予定と狂ってしまったので、雇い主に連絡を入れた。

「団長、こちらカナル、こちらカナル。応答願います」

 カナルが喋りかけているのは手に持った手帳のようなものだった。数ページをめくったところにトラの顔をした者の姿が見える。手帳の中のトラが動いているようだ。

 そのトラが同じように手帳を手にし、会話を始めた。それと同時にカナル側に音声が聞こえてきた。

「カナル、どうした? こちらは今、警備の最中だ。手短にせよ」

 太い声だ。威厳のあるような声に聞こえ、どこかを歩いているようだ。


「申し訳ございません。当初の予定であった真珠は見つかりませんでした。しかしながら、別の収穫がございます」

 口の悪いカナルがかしこまるほど、相手は重役のようだ。

「ほう。申せ」

「転生者が現れました。しかも、”犬からの”転生者です」

 手帳の者の動きが止まった。


「”犬からの”、それが誠ならば一大事だ」

「初対面の私に会った際に申していました。確かに言動、行動を見るに前世が犬であったことは十中八九正しいです。更に当人が意識をせず魔力を放ち、私の魔宙剣が無効化され、森賊のレオパルドまで倒しました」

「ふむ。それは転生者特有の魔力の可能性が高いな。だが、昨今の情勢を思い出せ。記憶なき者に化け、刺客を送りこんでいる可能性もある」

「確かに、仰る通りでございます」

「本来ならば、真珠の調査を進めるところだが、暫くこの件は公にはせず、その者の動向を伺え。そして、信頼できるに足りる者ならば、再び連絡をしてくるのだ」


 トラの男は続けてカナルに警告をした。

「わかっているな? 預言のこともある。無理をしてリスクを背負うことはない。慎重に、焦るではないぞ」

「承知いたしました」


 手帳を閉じると、カナルはサブの方を眺めた。随分と汗をかいている。下水道の中は意外と暖かいのだ。また、湿気が多くジメジメしていて慣れないと暑苦しさを感じる。


 サブはうなされているようで、しきりに犬友の名前を叫んでいた。カナルはかけたタオルケットをどけて、汗を拭って、魔力によって部屋に涼しさを与えた。

「こんな様子じゃ、刺客には思えない。俺が信頼できる者であることを何とか証明しなくてはな……」

 カナルも自分のベッドへ行き、戦いの疲れを癒すこととした。


 翌朝、カナルが起きると、サブはソファーから転げ落ちていて床に寝ていた。とてもじゃないが、重くて戻すことができないので、床に寝かせることにした。


 数日が経ったが、サブは起きない。カナルは医者を呼ぼうか迷った。

 しかし、仮に敵の刺客だとして医者が出向いた際、万が一サブに利用をされれば、我が国の医療機関に影響を及ばせかねない。それだけカナルは重要な立ち位置にいた。

 その為、ひたすら起きるのを待つしかなかった。


 この数日間、サブは飲まず食わずであったが、死ぬ様子もなく(いや、むしろ死んだように寝ている)顔色は良好で、やせ細った様子もない。

 カナルはこれがまさに体内にある魔力の効果で生命機能を維持していることに気付いていた。

 普通なら餓死しているはずが、至って健康な体のまま生きているのだ。これは即ち、転生者特有の魔力の一部であった。

 カナルはいつ起きても良いように、地上を往復して食べ物や薬を仕入れ、復活を待った。


 そして、10日が経過した。

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