第15話 水星の大浴場

 水星に築かれたポセイドンの宮殿に降り立つ。そこはまるで竜宮城のような景色だった。


「タイやヒラメがいませんね」

「みんなポセイドン様のお仕事についていっているのよ」


 わたし達を迎えてくれたのはマリナちゃんだ。艦の通信で会った時は人魚だったけど今は足が生えている。


「足が生えてる」

「雑用するのに不便だろうとポセイドン様が与えてくださったのよ」

「凄い。これが神の力か」

「ついでに手も増やしてもらえば良かったのに」

「うるさいわねえ。手を増やしても器用さは上がらないのよ。バランスってものがあるのよ」

「なるほど」

「マリナちゃんはここで一人で自宅警備のお仕事ですか?」

「信頼されているから任されているのよ。ポセイドン様と謁見するんでしょう。さっさと行くわよ」


 マリナちゃんが踵を返す。わたし達は彼女について宮殿を案内してもらった。

 宮殿の中は海の生き物を模した彫刻があちこちに施されていた。とても幻想的だ。

 水が豊富でここで泳ぐと楽しそうだ。


「泳ぐのは後でしなさいよ」

「あれ? 考えを読まれた?」

「あたしだってあんた達に合わせてわざわざ歩いてやってるんだからね」


 どうやらわたし達は同じ雑用係同士気が合いそうだ。やがて、湯気の立ちこめる部屋に来た。


「ここが大浴場よ」

「へぇー、広いですね」


 中に入ると大きな湯船があった。わたしはお風呂に入るのが好きなので思わず笑顔になってしまう。


「マリナちゃん、一緒に入りましょう。背中を流してあげますよ」

「結構よ。あなた達旅でみすぼらしい身なりをしているんだから謁見前に身を清めてもらうわよ」

「まさか食べるつもりじゃ……」

「食べないわよ」

「俺達には時間が無いんだが……」

「いいじゃない。お風呂に入る時間ぐらいあるわよ。それに目的地ももう近いんだしね」


 渋る艦長をルナさんが宥める。わたし達は素直にマリナちゃんの指示に従う。


「脱いだ服はそこに入れておいて。あとタオルはこれを使ってちょうだい」

「ありがとうございます」

「ふん、感謝なんてしないでよね。汚い身なりで宮殿を歩かれる方が迷惑なんだから。ほら、あなた達も早く脱いで」


 マリナちゃんが急かすので急いで衣服を脱ぐ。そして、一糸纏わぬ姿になって浴室に入った。


「うわぁ……綺麗なお風呂ですね」

「そうでしょう? ここはポセイドン様お気に入りの大浴場なのよ」

「あそこに見えている海も綺麗ですねぇ」

「あれはポセイドン様が作った水槽なのよ。本当はもっと綺麗なんだから」

「そうなんですか。一度見てみたいです」

「……」


 マリナちゃんが無言でわたしを睨む。何か気に障ることを言っただろうか。


「あの、どうかしましたか?」

「……何でもないわよ。それより、あたしは謁見の準備をしてくるから、あなた達もほどほどのところで上がってきなさいよ」

「あ、はい分かりました」


 わたしは言われた通りに湯船に漬かる。マリナちゃんの背中を見送っているとルナさんが彼女を呼び止めていた。


「謁見の準備なんて後でいいわよ。マリナちゃんも一緒に入りましょう?」

「は? あんた何を言っているのよ」

「せっかくだから裸の付き合いをしましょう」

「ちょ、ちょっと、あんた達だって時間が無いって言ってたじゃない。急いでいるんじゃなかったの?」

「人間にはゆとりが必要なのよ。マリナちゃんもお風呂に来たんだから脱がないとね? さあさあ」

「分かった! 入るから引っ張らないで!」


 結局マリナちゃんはルナさんに押し切られる形で湯船に浸かっていた。


「はああ……なんであたしが人間とお風呂なんて……」

「マリナちゃんの身体は引き締まっていますね」

「まあね。いつも雑用してるからね」

「わたしも雑用係なんですよ。一緒に頑張りましょう」

「フン、一緒にしないでよ。あたしはポセイドン様の雑用係。あなたは艦長の雑用係でしょ。同じ雑用係でも月とスッポンよ」

「そうなのかなあ」


 友達になれると思ったのに何だか消沈してしまう。そんなわたしにマリナちゃんが話しかけてくる。


「でも、同じ雑用係として同じ苦労はわかちあえるかもね」

「でしょでしょ?」

「ちょっと、何で急に元気になってるのよ。ひっつくな!」

「えへへ……」

「まったく調子の良い人間ね。こんな奴にあたしのクイズに答えられるなんて……」


 わたし達はしばらくお風呂で親交を深めた。


「さてと、そろそろ背中を流しましょう」

「は? あんたに流される謂れは無いんだけど」

「遠慮せずに。ほら、座ってください。雑用係の力を見せてあげますよ」

「雑用係の力ね。見せてもらおうじゃない。でも、少しでも不満があったら容赦なく言うからね」

「雑用係の意見、参考にさせてもらいます」


 マリナちゃんが椅子に座って背中を向ける。その堂々とした態度はかかってこいといわんばかりだ。わたしも本気で挑まねばなるまい。

 この勝負に地球の雑用係のプライドが掛かっているのだ。


「じゃあ始めますよ」

「どうぞ」

「えいっ!」


 わたしはスポンジで彼女の背中を擦り始める。


「……んっ、あっ、そこ、もう少し強くお願い」

「こうですか?」

「そう、なかなか上手いじゃない」

「えへへ、ありがとうございます。では続けますよー」


 わたしは夢中で背中を洗った。やがてマリナちゃんが口を開く。


「ねえ、あなた名前はなんていうの?」

「わたしの名前は花子ですよ」

「ふぅん、花子ねぇ……。何かパッとしない名前ね」

「はい、何せ地味な雑用係なので。仲間にもどれだけ覚えてもらえているか怪しいもんです」

「でも、あたしは嫌いじゃないわ。なんていうか、あなたのイメージには合ってるもの」

「それって褒めてるんですか? けなしてるんですか?」

「言わせんな。恥ずかしい。ほら、今度はあたしが洗ってあげる。神の雑用係の力を見せてやる」

「お手柔らかにお願いします」

「あたし達、仲良くやれるかもしれないわね」

「はいっ!」


 こうしてわたし達の友情は深まった。




 その頃、わたし達から離れた湯船ではちづるちゃんがルナさんとヴィーナスさんと一緒に浸かっていた。

 ちづるちゃんは上機嫌だ。ルナさんとヴィーナスさんに可愛がられていた。


「えへへ、お姉ちゃんが二人できたみたいで嬉しいです」

「たかしも一緒に入れば良かったのにね」

「それはちょっと」

「恥ずかしがらなくていいのよ。美貌なんて男に見せつける為にあるのよ」

「あたしはまだお姉ちゃん達みたいにはなれないかなって。ヴィーナスさんはマルスさんとは仲が良いんですか?」

「良いわよ。あいつも昔は可愛かったんだけどね。今となっては見る影も無いわ」

「そうなんだぁ」

「何? ちづるちゃんはマルスさんを狙っているの? たかしよりマルスさんの方が好きなタイプ?」

「だったら私達が協力してあげようか。お姉ちゃんズとして妹の恋は応援してあげないとね」

「いえ、そういう訳じゃ……あたしにはまだ早いと思うし……」

「あら、そうなの。残念」

「マルスの慌てる顔が見れそうで楽しみだったのにね」

「お姉ちゃんズ……」


 ちづるちゃんが二人に呆れた目を向けた時、そこにもう一人の少女が入ってきた。


「あの、わたしまで入ってきていいんでしょうか。何かあった時の為に艦に残っていた方がいいと思うのですが」

「何を言っているの。この先いつお風呂に入れる機会があるか分からないのよ。女の子は身だしなみにきをつけなくちゃ」

「それにポセイドンの宮殿に攻撃を仕掛けてくる奴もそうそういないだろうしね。ところで、あなた名前は何だったかしら」

「あ、はい。ステラといいます。戦艦で通信士をしています」

「あら、そうなの。呼び出しておいて何だけど、名前は初めて知ったわ」

「すみません、影が薄くて」

「別に謝る事ないわよ。それより、あなた良い身体しているわね」

「え? そ、そんな事無いですよ。あはは……」

「本当よ。もっと自信を持ちなさい。それで、あなたはたかしとマルスとどっちが好みのタイプ?」

「わたしは、その……」

「ちょっと、ヴィーナスさん! 女性みんなにいきなりそういう話題を振るんじゃありません!」

「うわ、ちづるちゃんが吠えた」

「ちづるちゃんはお兄ちゃん大好き子だもんね。取られると思ったのよね」

「いえ、別にそういうわけでは……」

「あはは、仲が良いんですね。羨ましいです」

「ごめんね、ステラさん。このお姉ちゃん達いろいろやかましくて」

「大丈夫ですよ。賑やかな方が楽しいですから」

「ステラさんは優しい人ですね。もう一人お姉ちゃんが欲しくなります」

「わたしはもう妹がいるから」

「ガーン、いるのか……」




 ちづるがショックを受けている頃、男湯では艦長とマルスが一緒に入っていた。


「どうしたんだい、艦長。さっきから黙り込んで」

「いや、何でもない」

「そうかい? 悩み事があるなら相談に乗るけど」

「いらん心配だ。お前こそ、この船に来て何か変わった事はないか」

「そうだなぁ……。まあ、強いて言えば、俺は人間の事が結構好きになったという事ぐらいかな」

「ふっ、それは良かったじゃないか」

「ああ、火星からここまで出向いてきたかいはあったってもんだ。ここの連中は面白いな」

「……」

「ん? どうかしたのかい?」

「いや、ポセイドンとの謁見で何を話そうかと思ってな。俺の発言一つでこの旅の成否が変わるかもしれん」

「何だよ、あんな奴にびびってるのかよ。お前はこのマルスが認めた男だぜ。もっと自分に自信を持ちなよ」

「そう言われてもな。相手はポセイドンなんだぞ。並の神とは格が違う」

「ふん、ゼウスの兄で海の神だからってあいつがそんなに偉いのかよ。おい、艦長。ちょっとこっちに来い」

「ん? なんだ?」


 艦長がマルスに近づくと、マルスはいきなり手を引っ張って肩を組んできた。


「おい、マルス」

「俺とお前はダチなんだぜ。一緒にポセイドンの野郎をぶっ飛ばそう」

「ああ、そのぐらいの気概で挑めということだな。頼りにしているぞ」


 二人は友情の拳をぶつけ合う。




 その頃、女湯では無事に洗いっこを終えたわたしとマリナちゃんが再び一緒に湯船に浸かり、じっくり楽しんでから上がっていた。


「ふう……サッパリしたわ」

「お風呂に入るのも良いものですね」

「そうでしょう? これから毎日入ってみる?」

「それってわたしを誘ってるんですか?」

「あたしの召使いにしてあげる」

「せっかく勝負に勝ったのにそれは遠慮しておきます」


 二人でじゃれあっていると、そこにちづるちゃんとルナさんとヴィーナスさんとステラさんが合流してきた。


「いいお湯をありがとう」

「気持ちよかったわよ。さすがはポセイドンさんの大浴場ね」

「でしょう? 綺麗になった上にポセイドン様の凄さを分かってもらえたならあたしも鼻が高いわ」

「ところでフルーツ牛乳はあるかしら」

「図々しいのね。でも、気分がいいからサービスしてあげる。ほら、雑用係。持ってきなさいよ」

「マリナちゃんだって雑用係なんだから一緒に行こうよ」

「仕方ないわね。落とされでもしたら面倒だしね」


 わたしとマリナちゃんは一緒にフルーツ牛乳を取りに行く。そして……


「スキル『収納』。はい、取り出し」

「ありがとう」

「あたし行く必要なかった!?」


 ショックを受けるマリナちゃん。みんなで飲んだフルーツ牛乳は美味しかった。そこに艦長とマルスさんが合流してきた。


「美味しそうな物を飲んでいるじゃないか」

「俺達にもくれよ」


 マリナちゃんが目配せを送ってくる。はいはい、わたしが一人で取ってきますよ。今度は二本だけなのでスキルを使うまでもない。手に取って持っていく。

 そうしてみんなで休息を楽しんだ。




 一息ついてステラさんが


「では、艦長。わたしは艦の方に戻っています。何かあったら連絡します」


 そう言って艦の方に戻っていく。

 わたし達は進まなければならない。この宮殿の奥へ。そこでポセイドンさんと謁見するんだ。艦長が改めてみんなを見て言った。


「さて、いつまでも遊んでいる場合ではないな。ここからが正念場だ。花子、お前は破目を外しすぎないようにな。マリナ、約束通りポセイドンとの謁見を取り次いでもらうぞ」

「ええ、任せておきなさいよ。約束は守るわ」


 マリナちゃんは歩き出そうして、その前に小声でわたしに囁きかけてきた。


「あんたの名前、覚えられてるじゃない」

「ええ、そうですね」


 わたしは嬉しくなってみんなと一緒に彼女の案内を受けるのだった。

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