イノセント
眠い
第1話
何故人は犯罪に走らないのか?思うに、その理由は二つあるに違いない。一つは単純で、捕まるのが怖いからだ。言い換えるならば、大抵の人は、捕まる心配がないとわかれば容易に犯罪に走る。事実、軽犯罪なら大抵の人は経験済みだろう。しかしより大きな規模の犯罪、たとえば殺人となれば、そう滅多に経験することはない。それだけ捕まるリスクが高いからだ。
しかし、もう一つの理由は、もう少し複雑なものかもしれない。ある一定の人が犯罪には走らないのは、特定の誰かを悲しませたくないからだ。「それをした」と知れば、きっと悲しむ誰かの顔が思い浮かぶわけだ (家族、友人、恋人など)。なるほど、相手がそれを知らなければなかったことと同じかもしれない。しかし、その場合こちらは一生相手に隠し事をして生きることになるだろう。こちらの嘘が下手だったり、あるいは向こうの察しがよかったりすれば、自分の犯罪について知らなくとも、何かあったことに気づくに違いない。そうなれば、両者の間には一生涯埋まらない溝が生まれることになる。ならば初めから何もしないに越したことはない。
一方で、これは逆の場合が存在することも示している。もし特定の誰かを、あるいは不特定多数の他者を悲しませたいならば、犯罪に走るのが一番だからだ。大抵の悪の機嫌はここにある。あらゆる邪悪さは何らかの償い、復讐を求めた行為である。
夢は人を閉じ込める。俺がそのことに気づいたのは、決まって同じ夢を何度も見るからであった。不思議なもので、楽しい夢は覚めれば忘れるが、悪夢の印象は覚めた後にもしばらく残り続ける。場合によっては一生忘れられないかもしれない。肉薄とした恐怖と共に身を起こし、一体何が起きたのかと自問する。それが夢だと気づくのは、目覚めてから五秒ほど経ってからである。しかし、その五秒が異様に長い。あたかも一分、十分、いや一時間が経過したかのように、思考の混乱が未開の領土をさまよい続ける。そして夢であると確信を持つことができた時、ようやく安堵を覚えることができる。ああ、よかった、夢か、夢だったのか、そうか、俺は大丈夫なんだ。
大丈夫?いや、大丈夫でないのかもしれない。もしかすると、ずっと前から病んでいるのかもしれない。病院に行って、然るべき治療を受けるべきなのかもしれない。ならば何故、今日までに一度も通院生活を送らなかったのか。その理由も単純だ。プライドが許さなかったからだ。傍から見れば何をそんなに強がってるんだと思われるかもしれない。しかし、自分が病んでいること、病人であることを認めるのは、自分が敗残者であることを、欠陥品であることを認めるのと同じに思えた。考えすぎなのはわかっている。しかし、理解できることと納得できることは異なるのである。
長い間、夢のない眠りに焦がれている。しかし、その先にあるのは不眠であった。机に向き合い、椅子に座り、何処でもない一点を見つめ続ける。不眠の夢、目を開いたまま見る夢、つまりは妄想、思考の不眠症だ。事実、眠りは夜を裏切る。それは一日を中断させると共に、今日も何もできなかったことを後悔させる。眠りを拒むのは、また一日が無駄に過ぎてしまったと思いたくないからだ。実際、眠りに落ちた先にあるのは、夢の浅瀬、こちらを揺り起こす悪夢である。
しかし、いつも「あの夢」を見るわけでもない。見る頻度は三日に一回程度だ。その他はくだらない、記憶にも残らない夢だ。時には美しい夢も見る。半年前には、懐かしい人に再会する夢を見た。黒い群衆とその喧騒の中、俺はその人を見つけ出す。そして言う、「覚えていますか」と。それに対して相手は答える、「ええ、もちろん」と。しかし、今話したいことはそれではない。本筋に戻ろう。
初めて「あの夢」を見たのは、今から一年ほど前のことだ。それからしばらくは同系列の夢を見なかった。再び見るようになったのは、最近になってからだ。しかも、二つのパターンの内のどちらかしか見ない。夢の中で、自分が何処にいて、誰といて、何をしたのか、何を言ったのかもよく覚えている。不思議なもので、初めて見たその夢すらも、今なお覚えている。この手記が書き終えるまでに、俺は残り二つの夢についても触れなければならないだろう。
今日、友人宅に寄った後、帰りの電車に揺られながら、真白な手帳にこの告白を書き始めた。普段は遊びに行ったまま泊まるのだが、今日はその気分ではなかった。この仕事を遂行しなければならない。それは生活上の必要であり、また明白な事実でもあった。ただ「新しいゲームをダウンロードした」という話は正直魅力的だったから、今度やりに行こうと思う。
今、俺のバッグにはブレッソンの『スリ』が入っている。観返したいと思ったがストリーミングになかった。だからアイツの持つDVDを借りることにした。『スリ』はドストエフスキーを原作にした映画として知られている。しかし、鑑賞中にドストエフスキーが大々的に取り上げたテーマである贖罪はほとんど感じられない。むしろ注目すべきは、主人公が犯罪にハマる過程である。そして、この監督はあまりにも美しくスリの手際を描いている。ドストエフスキーが扱った犯罪が殺人であるのに対して、ブレッソンが扱かったそれは窃盗であるから、描かれ方が異なるのは当然かもしれない。しかし、それにしても、あまりにも美しい手さばきである。観ていて惚れ惚れするほどだ。
確か一年前のこの時期に初めて『スリ』を観た。丁度、俺が初めて「あの夢」を見た頃と被っている。映画を観ながら、当時の俺はこう考えたろう。「一体何故フィクションの犯人は捕まるのか」と。
殺人を例に考えてみよう。殺人がモチーフのフィクションは世に多く存在するが、大抵の物語は登場人物が殺人に至るまで過程を描くだけである。そして、その後についてはほとんど触れない。触れたとしても、丁度『罪と罰』のように、捕まって終わる。しかし世の中には、かつて人を殺しながらも、捕まらずに一生を終える人間が一定数いるのではないか。そう仮定してみよう。しかもヤクザや半グレ、あるいは軍人のような場合ではなく、一般生活を送るなかで殺人を実行し、そのまま捕まらずに一生を終える者がいてもおかしくないのではないか。
一体何故、誰もそれを描かないのか?
『パラノイド・パーク』は、もしかすると珍しい例外に属する作品かもしれない。実際、殺人を犯した映画の主人公は捕まらなかった。しかし、事件後間もなくを除いて、後日談についてはほとんど触れていない。ドストエフスキーもよく殺人のモチーフを取り扱うが、捕まらない、あるいは破滅しない「その後」が描かれたことは、俺の記憶が正しければ一度もない。
ぼんやりと『スリ』を流しながら、一年前の自分が何を考えていたのかを思い出していた。ブレッソンは好きだ。まだすべては観ていないけれど、いつかはブレッソンのような作品を創作したい。硬質かつ簡潔。作為的なものがないが、それでいて極めて詩的な画面が生み出されている。それを目の前にする今、まさに当時の感動をも思い起こしていた。
今はっきりと思い出した。俺が「あの夢」を見たのは、去年『スリ』を観た晩の五日後であったのだ。夢の中で、俺は何人かと一緒にいた。そして、一緒にある人物を殺したのだ。それが誰かはわからない。ただ、あまりにも偶然で、不本意な出来事だった。しばらくの間、呆然として、口をきかなかった。殺すつもりなど更々なかった。死体に群がっている様子が警察に見つかった。みんな逃げた。けれども、俺だけそこから逃げそびれてしまった。「待ってくれ」と言った。言い訳がしたかった。けれども警察は何も言わず、ただ強引に俺をパトカーに引き込むだけであった。泣いた。何かを訴えようとしても、隣のおまわりは黙ってこちらを見るだけである。窓の外を見た。一体何年、刑務所にいることになるだろうと考えた。若くかけがえのない日々が、今まさに失われようとしていた。
目を覚ます。そして、ここが何処であるかを確認する。辺りを見渡すと、友人の家であることかわかった。バクン、バクン。心臓を手で押えながら、俺は記憶を辿り始めた。そうだ。昨日は『スリ』を返すために友人宅に寄って、そのまま泊まったんだ……。コウタの家にはタカシもいて、三人でゲームをしたんだった。ゲームが終わったあとは、適当にその辺に寝っ転がって、そして寝たんだった。あー、よかった。夢か。夢だったんだ。それにしても、生々しい夢だった……。
胸を撫で下ろしながらも、何か夢に心中を見透かされているような気がしていた。そして、それが一層俺の意志を強くした。漠然とした観念は受肉をおこない、明確な形を持って俺の身体の一部となった。いつか映画が撮ってみたい。それも、誰にも創れないような映画が撮りたい。そのためには、誰にも経験できないようなことが必要とされる気がした。夢から覚めた俺の胸には、悪夢を乗り越えてでも実現したい計画があったのだ。
どうすれば捕まらずに殺人を実行することが出来るのか?『スリ』を観た晩以来、脳裏から離れない問いがそれであった。目覚めたての頭の中では、J.コールの曲が流れていた。
I see the, I see the rain pouring down
Before my very eyes
Should come as no surprise
雨が降るのを見る
俺の目の前で
なんの驚きも伴わずに
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