第1章・6

「まあ、一応すべての事業計画は、引き継いでるんでね。あのじいさんがいなくても問題はないんだが」


 ホヅディルさんは、テーブルに座りながら作業着のポケットから煙草を引っ張り出した。

 箱から一本出してくわえ、それに火を付けずに口の端でプラプラと揺らしている。


「線路を引くという話も、問題はないんですよね?」


 軽薄そうなホヅディルさんの態度にイライラする。

 わたしは語気を強めて聞いた。


「問題はない。でも、問題がある」

「どういうことです?」


 問題はなくて、ある。

 ホヅディルさんは、一度席を離れ、奥から大きな模型を持ってきた。


「これは、この都市から目指す沼までの模型だ。縮尺・重さ・強度も精巧に作ってある。縮尺は二万分の一。強度もそれに相当するように作っている」

「はあ……。で、何が問題なんです」

「政府の計画というか、政府がうちの発明品を使用した計画を思いついたということなのだが……うちの“じゃじゃ馬”を今回の計画の一部として組み込んだことがそもそもの問題なんだよ。大量の荷物を一気に送り届けるには、車を使わざるを得ないわけだが」


 彼は模型の車を取り出した。

 銀色の箱に車輪がついただけの車の模型。


「これが、かわいいうちのホウラスだな」


 それを線路において走らせる。その小さな模型自体には、動力はなく、手で転がして遊ぶ子供のようだ。心なしか、彼の顔に楽しさが浮かんでいるように思う。


「街の外れから真っ直ぐに南へと線路を引き、あの森を陸橋で越える」

「そうです。森は不可侵だとエルフは言っています」

「ならばだ。計算上陸橋を作るには200本以上の柱を打ち込み、大幅な工期を得て、初めて陸橋が作られる。ましてや、大統領の命は、こうだろ? 『早急に』かつ『約束は守れ』の一点張りだ」

「何が言いたいんです?」

「手っ取り早く、言うとだ。これは失敗する。早急に仕上げた模型ですら、こうなるんだから」


 彼の手で動かされた模型の車は、橋の途中で放置される。

 すると、どうだろう。橋は軋み、ぎちぎちと不安な音を立てる。

 次第に橋は歪んで、小気味よく軽い音を立てて橋が壊れた。橋の模型はその下の森の木々を踏み倒し、車の模型は森を踏み潰した。

 ああ……。

 これでは、エルフに怒られてしまう。

 それだけを思った。


「では、どうするべきだと?」

「地べたを走らせる。それだけだろ?」

「でも、森は不可侵だと言われているんです。そして、この陸橋案を持って交渉しているところなんですよ? 今さら、どうやって森に入らせろっていうんです」

「交渉中ってんなら問題ないだろ?」


 それに、と彼は言う。


「森に入らずどうやって橋を作るんだ?」

「それはたぶん、木の上を渡って橋を……」

「バーカ」


 そう言ったのは、ユールの方だった。


「なっ」

「バカだな、オマエ」

「はぁっ!?」


 二度も!

 わたしは、立ち上がる。


「おい、うるさい」

「わたしが、ですか!?」

「いや、こいつだ」


 ホヅディルさんは、ユールの頭を思いっきり殴りつけた。

 娘に対する力加減ではない。

 太い労働者の腕で、後ろから。

 わたしは驚きすぎて、思わず口元を覆う。


「何すんだ、バカ」


 彼女はなんとかテーブルに顔面をぶつけることは避けて、その反動で立ち上がる。

 力強く結んだ拳を振り上げ、激高していた。

 そのまま殴り返さなかったのは、少しは理性が働いていたんだろう。

 親子だもんね。


「うるせえ、バカはてめえだ。素人に建造の話で張り合ってどうする、バカ」

「ぐ……」


 悔しそうに、椅子に座り直した。

 で――とホヅディルさんは、模型を示してみせる。


「どうやって、橋を作る? 橋の中心である支柱をどうやって、打ち込む」

「それは魔法で」

「呪符が足りないことは、俺たちの方にまで知られている事実だろ。この建築に、あいつらが呪符を出すとは思えない。ましてや、これが失敗したら俺たちに責任を押し付けて、自分たちの株を上げられるだろう? そんなことに手は貸さないだろうさ」


 そうだった。

 やっと思い出した。

 このホヅディルさんとは、城で出逢ったことがある。

 労働者の代表として、政党への陳情にやってきていた。彼は、この北の街の多くの労働者を束ねる市民の代表。

 根深い互いへの嫌悪は、いまだに消えることがない。

 


       ◆


 

 大統領と言い争うという態度を見せたリヒロは、彼だけであった。

 多くの者は、権力に屈服する。最初は強気に出る者たちも、次第にどんなことでも一存で決めてしまう最高実力者たる大統領に逆らうことはできないと学ぶ。あらゆる獣が強いものに逆らわないように、揉み手で媚びることを選ぶ。

 だが、ホヅディルさんは違った。


「一般的な仕事に従事する者を、あんたらは奴隷だと思っているだろ」

「そんなことはないわ。そういう風に自分を卑下しているから、奴隷のようだと思ってしまうのではないかしら?」


 わたしの目の前で、壮絶な舌戦。

 見ているわたしの胃のほうが辛い。


「奴隷と変わらないのは、状況だ」

「状況?」

「ああ、そうだ。日々の労働に加えて、数年に一度の兵役の義務もある。それに兵役には、特に保証がない。例えば、家族の働き手が兵役に行ってしまった場合、その家族は飢えるしかない」

「そうだったかしらね」

「そうだ。それもこれもアンタの作った法律だ。リヒロに対して差別的な、な」

「差別だなんて」


 おばあちゃんの目が鋭く彼を睨んだ。

 怒っているのを、全身で感じた。


「そうでなければ、すぐにでもその法律を修正するのでは? そして、さらに言えば、リヒロにだけ兵役が与えられるということもだ」

「わかりました。その案は、議会に提出しておきましょう」

「そして、またいつものように魔法使いたちに反対され、俺たちの意見は封殺される」

「そうかもしれないわね」


 彼がリヒロを、街の労働者たちを束ねて、政治への参加を求めている者だと知ったのは、その後のことだった。だが、ホディルさんの意見はすぐに却下となり、労働者の権利というものは守られなかった。



       ◆

 


 もっとも、意見は閉じ込めれば反発するものだ。

 魔法使いの派閥と、リヒロの派閥は、まだまだ同じ方向を見ることができないまま、道を進むしかない。

 

「だが逆に、今回の仕事は、俺たちの仕事ぶりを見せつけるのにはうってつけだ」


 彼の目の奥がゆっくりと燃え始めた。

 仕事ぶりを見せつける、自分たちの力で魔法の世界を助ける。

 それは、今までの世界の価値観を揺るがすものになるだろう。わたしたちの世代の魔法使いは、ただ親の力の傘に切る無能力者の集団となりつつある。今この瞬間のわたしたちの力は、これから十年後、二十年後にはどうなっているか分からない。

 そして、そのひっくり返される力は、もうここにやもしれないのだ。


『アナタの仕事は監視と監督』


 おばあちゃんが、言った言葉の意味が分かり始めていた。

 時代は動いている。それは一匹の獣の子どもが生まれたようであり、獣は地に降り立って、すぐに歩きはじめる。歩き始めた先で食料を得たり、敵に出会ったりすることもあるだろう。

 今、一体の獣が世界に生まれ落ちた。

 それは、間違いなくリヒロの彼の下にいる。

 獣はいずれ一人で歩きだし、育ち、自らの『子』を育てていくことになるのだろう。

 これは力の話でもあり、時代の話でもある。新しい時代を紡げるのは、明日へ向かって進む獣を育てる者だけだ。世界の動きが変わる時、そこには世界を変える『ちから』を持つ誰かだ。


 そして、その誰かとは間違いなく――いや、こんな妄想はどうでもいいことだ。

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