第122話

「ひいいぃぃやああぁぁぁっ」

「!?」


 向かう先から聞こえてきた悲鳴に、エルデュミオは足を止めた。

 悲鳴は猛スピードで近付いてきている。ただ事ではないことだけは明らかだ。身構えて待つ――と。


「バウッ。バウバウッ」

「クゥルルルルッ!」


 後ろを威嚇しながら、人間を背に乗せた魔物たちが走ってきた。魔力の気配からして、彼らはあまり強くない。

 それでもその脚は、人が駆けるよりもはるかに速い。

 逃げる一団の頭上からは、聖鳥が呪紋を放ってスライム擬きの妨害をしている。


 わざわざ来るのを待つまでもない。魔物たちを擦り抜け、スライム擬きへと切りかかる。同時に呪紋を展開して結晶化を行い、マナ濃度を過剰にするのを防ぐ。

 周辺に異常なマナはない。感覚と視覚の両方で確認して安全を図る。

 エルデュミオの感覚を保証するかのように、全力で走り抜けていた魔獣たちは逃げるを止めていた。代わりに歩いて近付いてくる。空を飛んでいた聖鳥も降りてきた。


(なんとなくだが……。褒められたがっている、気がする)


 舌を出して荒い息を整えつつの魔獣は、実際よくやってくれた。


「助かった。勇敢だったぞ」


 力では叶わないことを知りつつ、しかしエルデュミオの呼びかけに応えてできることをするために参戦した。彼らは間違いなく勇敢だ。

 手を伸ばして頭を撫でると、嬉しそうに目を細める。


「クゥ。クゥクゥ」

「分かっている。お前たちもな」


 鳴き声を上げて己の功を主張してきた聖鳥たちも同じように撫でた。満足そうだ。


「あ、あの。ありがとうございます……」


 あられもない悲鳴を上げていた女性は、危機が去っても魔物の背中に乗ってしがみついたままだ。普段の忌避感など忘れ去っている。


「無事で何よりだ。だが残念ながら、今のツェリ・アデラに安全だと言いきれる場所はない。事が片付くまで、もうしばらく彼らに従い逃げているように」

「わ、分かりました。でも、魔物……。聖獣も……。貴方は一体……?」

「人が定めた歪んだ善悪は、世界の在り方には何の影響も及ぼさない」


 実感した人間になら、より響くだろう。

 そう告げて、エルデュミオはさらに先へと走り出す。

 ややあって市街地に入ると、そこが戦場のただ中になっていた。ただし優勢なのは人側だ。聖騎士たちがスライム擬きと相対し、背後の民間人を護っている。


 戦線が膠着しているのは、スライム擬きを倒し過ぎるとマナ濃度が上がって危険だと分かっているせいだ。

 シャルミーナを通じて凍らせれば一時的には安全に処理できるとは分かっているが、スライム擬きからの抵抗が強くて上手くいっていない。

 しかしエルデュミオならば、手間取るようなものではなかった。


(これだけ弱っているなら充分だ)


 背後で神呪を構築する。不意打ちを仕掛けるのに良心の呵責を覚える相手ではないので気も楽だ。


氷雪のスノウ・終焉ホワイトエンド


 呪紋を解き放つと地面に氷柱が生じ、その嵩を伸ばしながら目標まで一気に広がっていく。標的であるスライム擬きに到達すると、鋭さも兼ね備えた尖頭で貫き、発する冷気で凍らせていく。

 数秒後には、無数の氷柱に貫かれた氷のオブジェだけが残った。


「イ、イルケーア伯爵……」


 聖騎士の中の一人が呟いた名前に、周囲にも動揺が広がっていく。今ツェリ・アデラでエルデュミオの名前を知らない聖神殿関係者はいないだろう。

 どう応対するべきか。戸惑いの空気の中、一人の中年男性が進み出てきた。騎士隊服の装飾から見て、隊長格だ。


「ご助力、感謝いたします。我らだけでは事態を打開するのは難しかった」

「ああ、無事で何より。ときに市街の防衛に回っている人員が随分多い気がするが、外壁の防衛はどうしている?」


 破られていないのだから問題はないのだろうが、今後の参考のためにも効率の良い手段があるなら聞いておきたい。


「一部の外壁が破られてしばらくして、ストラフォード軍が防衛に協力してくれました。市街に関しては我らの方が熟知しておりますので、このような分担に」

「何?」


 いかにストラフォードがツェリ・アデラの隣国だとて、そんなに早く軍を派遣できるはずもない。事が起こる前からすぐ近くに駐屯していなくては不可能だ。


(確かに、アイリオスはいつでも動けるようにしておく、とは言っていたが……)


 手際が良いというべきか、別の目的があったのか。

 何にしろ、内部事情を考えるのは聖騎士たちの前ですることではない。


「では、僕は一度そちらと合流しよう。貴殿らは町の安全を確保しに行くのだろうが、これを監視する人手を残してもらえるか」


 つい先程までスライム擬きだった創世の種は、純粋なマナが氷の姿をしている状態へと変化している。

 ひとりでに崩れるほど脆くはないが、壊そうと思えば子どもの力でも可能。そして『氷』という姿への命令を失くしたマナへと戻る。

 そうなればどうなるかは、聖騎士たちもよく分かっていた。


「分かりました。保全は我らが請け負います」

「任せる。では、武運を祈る」

「はッ。イルケーア伯爵もお気をつけて」


 聖騎士たちの投入人数を見るに、町は後に回しても大丈夫だろう。リーゼとスカーレットも町を回っている。彼らと協力すれば、創世の種の処理も問題ない。

 状況を把握するために外壁に上り、戦況を見渡す。確かにストラフォード正規軍の兵装が目立つ。


 基本戦術は騎士が創世の種の注意を散らしながら、呪紋士たちが数人がかりで氷の結晶化をさせていくというもの。人数が足りていない所には、魔物が的確に援護に入って時間を稼いでいる。


(魔物にも俯瞰して状況を視ている指揮者がいるな。アゲートか)


 魔物と比べて、聖獣たちの統率がいまいちとれていないのが証拠だろう。

 どうにかなりそうだからと言って、黙って待っている必要はない。エルデュミオも目に付いた片端から、創世の種を凍らせていく。

 北門から南門まで外壁を移動したところで、大方の処理が終わり始めた。


「――エルデュミオ」


 名前を呼ばれて、エルデュミオはそちらを振り向く。自分を気安く呼び捨てるのは、神人二人とルティア、それともう一人だけだ。


「フェリシスか。お前が呑気に剣を納めているなら、この辺りも片付いたと思ってよさそうだな」


 歩み寄ってきたフェリシスに倣い、自分の神呪を消して剣を納める。


「ああ。後は大量にできた氷の彫像をどうするか、だな。マナを失っている各国は、我先にと欲しがるだろう」

「下手な奴が扱えば国が滅びると教えてやる。そちらは僕がどうにかするから心配しなくていい」

「頼む。俺にそこまでの権限はないからな」


 言うフェリシスは口惜しそうだ。出自からすればフェリシスの出世は限界以上と言えるが、それでも何かを成すには権限が足りない。

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