第117話

 リューゲルの民は、自分たちの親しい者の無事を手紙で知った。本人からであることを疑った者はいないだろう。

 文字、文脈、言葉の選び方。全てに癖というものは存在していて、よく知る者こそ馴染み深い。

 では、聖神教会が示した人物はどうか。

 人の壁に隠し、全体像は見えないようにする。悪い想像で結果を補ってもらうために。


「勿論僕は、そんな間違いなど起こさないが」


 無事であることを、己の民に保証した。違えることなどないと断言する。


「貴殿の主張は、今は問題ではない。第三者の証言こそが肝要だ」


 揺さぶりをかけられているのにやや焦りを見せ、裁判長は話を打ち切った。ガベルを持つ手に力が入る。

 次にエルデュミオが口を開いたら、内容が何であれ黙らせるつもりだろう。


 伝えたいことは口にできたので、もう必要はない。しかし面白くない気持ちは有り余っている。

 心の底からの侮蔑と嘲笑を込めて、エルデュミオは鼻で笑って肩を竦めた。

 相応に高位であり、普段人から小馬鹿にされる経験などない裁判長は、額にくっきりと青筋を浮かべる。ほんの少し胸がすいた。


(……僕自身を見ているようで複雑だが)


 相手の感性と通じるものがあるからこそ、不快な部分を刺激できるということでもあるので。


「では、リューゲルの民よ。其方たちに問う。其方たちを襲った邪神信者は、この男に相違ないな?」


 ――ほんの少しだけ、間が空いた。


 それから覚悟を決めたようにしっかりと顔を正面に据えて、女性のうちの一人が口を開き、答える。


「いいえ。違います」


 明確な否定。


 誰がどう聞いても、意味を取り違えようのない答えのはずだった。だというのに、法廷内には戸惑いの空気が流れる。

 何を証言されたかが分からない、とでも言うように。


「し、質問の意味が分からなかったのか? 其方たちはそこの邪神信者によって、邪神の生贄にされそうになった。そうだな」

「いいえ。違います」


 先程よりさらにはっきりと、声を張って否定する。


「今、この法廷内で邪神信者と呼ばれている、そちらの男性ではありませんでした」

「いや、いや。待て。そんなはずが――」

「裁判長、落ち着いてください。彼女は明確に否定しています。それでは証言の強要になってしまう」


 どうにか証言を覆させようとする裁判長を止めたのは、裁判官の一人だった。


「イルケーア伯爵は、命がけで私どもを邪神教徒の手より救い出してくれました。自分を襲った犯人のことも、勿論しっかり覚えています。少なくとも、そこにいる方ではありません」

「そんな――そんな偽りを。良いのか、フラマティア神の元で――……」

「フラマティア神の元にあるからこそ、偽りなど述べられません」

「ぐっ……」


 覚悟を決めて己の真実真実を語る女性の姿は、実に堂々としていた。言葉に詰まり、顔を困惑に歪めた裁判長の方こそ、不審を覚えるのに充分だ。

 何も知らずに傍聴席に座っている人々から、小さくざわめきが起こる。


(さて。切り出すなら今か)

「――ときに、裁判長。ローグティアの魔力化とマナの枯渇と言ういわれなき嫌疑の件だが、僕としてはここにもう一人、証人を呼んでもらいたい」

「……誰をだね」

「聖王ジルヴェルト殿を。こちらの神樹神子録に虚偽を記した件と合わせてな」

「神樹神子録……?」


 エルデュミオが取り出した冊子を不思議そうに見て、裁判長ははっとした顔になる。


「そ、それは原本ではないか! なぜ部外者である貴殿が持ち出している!」

「経緯は後で、元第五聖席であったクロード殿に聞いてくれ。少なくともこの裁判には関係のないことだ」

「それを言うなら、神樹神子録に何の関係があるのかね」

「ジルヴェルト殿が僕を邪神信者にしたいのは、この書の秘密を護るためだからだ。神樹の神子ではなく、金眼ですらなかった者へのこの配慮、並々ならぬ情を窺わせる」


 ストラフォードの公式見解として、メルディアーネ妃が生んだルーヴェンは王の子どもではない、ということになった。

 しかし公式発表はツェリ・アデラ本神殿に行っていた頃に懐妊した、というところまで。誰が父親かまでは言及していない。

 だからエルデュミオもあえて明言はしない。連想するに充分な材料を提供するだけだ。


「な、何のことだ」

「こちらの原本には、本来ここに名を記されるはずのないルーヴェン・スペルキュナの名前がルティア・スペルキュナの後に追記されている。これは一般公開されている写本と比べてもらえれば、すぐに奇妙さが分かるだろう」


 さすがに聖王の不貞の件までは知らなかったか、裁判長はエルデュミオの話の行き先が分からず、うろたえたまま後手に回り続けている。


「我がストラフォードは、ルーヴェンこそが一連の犯人であると証言する。神樹の御子たる僕の言葉に一考の価値があるのは、ここに呼ばれた諸兄ならば分かってもらえると思う」


 ルティアの戴冠式典の日に行った派手な演出を聞き及んでいない者はまずいない。外交官たちも、ルティアの聖性を強調して話を広めている。

 ストラフォードの邪悪さを印象付けるために使ったペガサスも、エルデュミオによってより聖性を高める結果に終わった。

 噂レベルであれば、聖神教会が聖獣であるペガサスに非道を行ったことも聞こえてきているはずだ。


 傍聴席の最前列。そこには聖神教会が自分たちの主張に同調させようと呼んだ、重要視している貴族が並んでいる。その彼らは、小さく目配せをしあった。

 ストラフォードと聖神教会と。どちらに付いた方が国益になるかを探り始めたのだ。

 ストラフォードには――ルティアとエルデュミオにはマナの魔力化、枯渇を止める力がある。では、聖神教会はどうか。


 答えは出ていた。完全には止められていない。

 当然だ。リザーブプールを仕込む側としては、それこそどこでもいい。規則性のない小さな道具を探し出してすべてを排除するのは至難の業である。

 更に悪いことに、彼らの国々はそれなりに聖神寄り。魔物が活動しにくい土地柄である。そのせいで魔物によるリザーブプールの処理もはかどっていない。


「そして僕はこの見解を、すでにジルヴェルト殿に伝えてある。これは聖席の方々もご存知だ」


 すでに話し合わせた内容であることを、クロード経由で知っている。


「己の情のため偽りを記し、その偽りを隠すために無実の者に罪を着せる。それが果たして、聖王の席に座す者に相応しい行いだろうか?」


 語るエルデュミオの言葉を、誰もが止められずに耳を傾ける。

 人もまた、マナなのだ。己の根本とも言える神樹の分体、ローグティアと同質のエルデュミオの意思は、そのつもりで紡げば強力な影響力を持って心身を震わせる。


「ああ、そうだ。まだ訊いていなかった。そこの邪神信者とやら」

「ひぃっ!?」


 まさかここに至って自分に注目が集まるとは思っていなかった様子で、マダラ役の男が悲鳴を上げた。

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