第116話
「ふん。成程」
エルデュミオは納得と共に鼻で笑って、背後――傍聴席を振り向く。
その挙動に、裁判官のうち何名かが動揺を見せた。中にはエルデュミオの行動の理由が分からずに、戸惑った表情で視線の先を追った者もいる。
人の壁で遮らせやすい中央付近の人物は、はっきりとは判別しにくい。まして相手がわざと分かり難くしているとなれば尚更だ。
前列の人間の隙間から見え隠れする、俯きがちな一団。
(おそらく彼らは、本当にリューゲルの民の関係者ではない)
だがぱっと見の印象は似ているのだろう。近しい間柄にある人物が『もしかしたら』と思うぐらいには。
『マダラ』の仮装の出来が酷いのも、本命のこちらを引き立たせるためかもしれない。似ても似つかぬ偽者を用意してくる組織が仕立て上げたにしては、似すぎていると。
心に不安を与えるには、可能性さえあれば充分。
そして別人であれば、露見しても傷は浅い。偶然だと言い張れば良いのだから。
「参考人の紹介をしよう。かつて邪神信者によって生贄にされかけたことのあるリューゲルの民と、聖都ツェリ・アデラを警備している聖騎士たちだ」
頻繁に視線を交わし合い、不安そうな面持ちでいるリューゲルの民と対照的に、聖騎士たちは実に堂々としている。
身形も正しく精悍で、背筋もぴんと伸びていた。とてもこれから神の像の真下で嘘の証言をしようとしている聖職者の姿とは思えない。
「そしてこちらは、我ら聖神教会が捕えた邪神教徒だ。ツェリ・アデラで潜伏していたところを捕らえることができた」
すでに男の風体に否定的な感情を刺激されていた者たちは、裁判官の言葉によって完全に嫌悪を抱いた。小さくざわめきが起こる。
「先日、ツェリ・アデラ内で起きた痛ましい事件との関わりも疑われている」
どうやら都合よく、セイン夫妻の殺害もエルデュミオに押しつけるつもりらしい。
(聖神教会としては犯人を挙げなくてはならないが、ヘルムートをひっ捕らえるわけにもいかない。妥当と言えばそうか。聖の文字が聞いて呆れる)
信心の薄いエルデュミオだからその程度にしか感じないが、シャルミーナは拳を強く握って怒りを堪え、全身を震わせている。たまに腕が持ち上がろうとするのは、背中の大剣を抜きたがっているせいだろうか。
「さて。敬虔なる教徒たちよ。フラマティア神の元で、改めて訊こう。この邪神教徒とイルケーア伯爵について、話すべきことがあるかね」
「はッ。ツェリ・アデラにて殺人の合った翌日、その邪神教徒とイルケーア伯爵が共に行動しているのを見ました」
予定通りの証言を得て、裁判官は深くうなずく。
「代表として彼に出廷してもらったが、同様の証言をした者は他にも大勢いる。イルケーア伯爵、相違ないな」
「勿論ある。僕はそこに立っている男とは、面識さえない。まして一緒に行動していたなど捏造もいいところだ。……そこの聖騎士。僕からも聞くが、本当に、僕の横にその男がいたか?」
微塵の動揺も見せないエルデュミオに、裁判官と証言者の聖騎士はやや気圧された様子を見せた。
当然と言える。この茶番に自ら演者として名乗りを上げた彼らは、己の言が偽りだと知っているのだ。万が一嘘が証明されれば、今後の進退に大きくかかわってくる。
「以前ストラフォードに神官殿が訪ねて来た時にも伝えたが、僕には、まあ、彼と容色……の、本当に色だけが似た知人がいなくもない。だが断じて、そこにいる妙な風体の邪神信徒とやらではない。お前こそ、フラマティア神に誓う証言が、本当にそれでいいんだな?」
「それは――……」
問われて、聖騎士は言い淀む。嘘がばれたときに生じる危険性が、彼の心に不安を忍び込ませたのだ。
しかし裁判長がわざとらしく咳払いをすると、慌てて姿勢を正す。
「ええ、勿論。はい」
「続いて、第二の証言者を。彼女たちはイルケーア伯爵の所属するストラフォード王国、その中でもイルケーア公爵領の一つ、リューゲルの町に住む住民たちだ」
前に進み出るよう招かれたリューゲルの女性たちは、はっきりと顔に怯えを浮かべていた。
これから自分たちのする証言が、人の運命を決める。ただでさえ重責を感じる役目と言えよう。
しかも偽りを述べて無実の人間を陥れることを要求されている状況。心労が圧し掛かってこないはずがない。
だがエルデュミオを陥れなければ、大切な相手によくないことをされる。
どちらを選ぶのも酷だ。人質は存在しないと思っていたわけだから、余計に衝撃が大きいだろう。
狙ってやったかどうかはともかく、効果的な揺さぶりとなったことは否めない。
「おお、そのように恐れることはない。ここは神殿。正しき行いをすれば、徳を積むことさえあれ災いとはもっとも縁遠き地。其方たちも心して行動をすれば、それで良いのだ」
逆に聖神教会にとって良くない行いをすれば、災いを起こすという脅しだ。
「其方たちは不幸にも、邪神信者の目に留まり、悪しき儀式の被害者となるところだった。しかし不思議な話だ。なぜ、世界に数多ある町の中で、リューゲルであったのか?」
最後の問いは、マダラ役の男に向けてだ。
「そこの、イルケーア伯爵に言われたのだ。自分の家の所領だから、何が起こっても揉み消せると」
「馬鹿馬鹿しい。それなら始めから、自分が代官として赴任している町でやるだろ」
あんまりな言い分に、つい呆れて口を出してしまった。
「己の町で失点はつけたくなかったからと……」
「露見させるつもりなどないのだから、失点などと恐れるものか。逆に発覚を恐れるなら、それこそ揉み消しやすい自分の所領でやるさ」
理屈に合わないことこの上ない。
「嘆かわしいことではあるが、子どもの不祥事を親が庇うのはよくあることだ。貴殿にはイルケーア公爵が自分を庇う自信があったのではないかね」
「それだと、失点がどうのと気にしてという邪神教徒の言い分と噛み合わないけどな。――ああ、もういい。要はそいつと僕が組んでいたという証明さえできれば、他がどうでも押し通すつもりなんだろう」
「押し通すなどと、人聞きの悪いことを。ここは公平なる裁判の場だ。貴殿に異論があるならば、主張は認められている。今のようにな」
召喚状さえ送ってこなかった者が、悪びれなく言い切る。
「だが、リューゲルの民の証言が重大であることに、貴殿も否はあるまい。彼女たちも貴殿と同様に、邪神信者を見ているのだから」
貴族とは縁遠い平民であり、聖神教会ともさして深くかかわっているわけではない。第三者から見て、公平な証言が期待できる立ち位置にある人々だ。
他は言ってみれば、ただの自称でしかない状態である。
「まあ、そうだな」
聖神教会による重圧と、エルデュミオがそれを肯定したことで、リューゲルの民は更に表情を歪めた。
「直接知る、ということは重要だ。まして親しい間柄なら完璧だな。互いへの理解が深ければ、手紙一つで本人か偽者かは知れるだろう。一目顔を合わせれば、間違いさえも起こるまい」
「――……っ」
エルデュミオが何を指して言っているのか。心の中央で心配事となっている問題に、連想が行きつくのに時間はかからなかった。
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