第105話

 宿屋の外に出ると、労働の帰りらしい子どもたちがじゃれ合いながら帰路に付いている所で、彼らはすぐにフェリシスに気付いて駆け寄ってきた。


「フェリシス、どっか行くの?」

「もう遅いのに。綺麗なお姉ちゃん連れて……るけど、もっと綺麗なお兄ちゃんがいるから、微妙……」

「友達だよ」


 柔らかく、にこりとフェリシスが微笑めば、子どもたちからはブーイングが上がる。


「そんなのばっか!」

「お姉ちゃんが、フェリシスみたいな男には惚れない方がいいって言ってた!」

「それは酷い。後でアミリアに詳しく聞いておこう」

「あッ。今のなしッ」


 情報源が自分であると漏れるのを恐れてか、少年は慌てて直前の言葉を撤回する。


「一度口にした言葉は決して消えない。撤回もできない。しても大した意味がないから。言葉が思い浮かんだとき、それを本当に口にするべきかどうかはよく考えた方がいい」

「はぁーい」

「もうすぐに暗くなる。あまり寄り道せずに帰れよ」

「分かってるー」

「ばいばーい」


 元気に手を振る子どもたち数人の、手の届く何人かの頭をフェリシスが撫でると、照れくさそうな笑顔になる。


(子どもは、あまり理屈の通じない、落ち着きもない生き物だが)


 エルデュミオの知る子どもよりも、更に騒がしい。

 だが、はるかにしっかりもしている。


「また変な顔してるですね」

「なぜ角が立つ言い方を選ぶ? まあ、複雑な気分ではある」

「安心してください。わたしもですよ」

「俺もだよ」


 三者三様に、思う所はあったらしい。脱力した苦笑いが自然と唇に浮かぶ。リーゼもフェリシスも似たようなものだ。


「綺麗なお姉さん扱いは嬉しいですけど。はっきり『ディー様の方が綺麗』って言われましたからね。分かっていても微妙な気持ちにはなります」

「リーゼとの仲を邪推されても困るが、勝ち目がないように言われるのも、なあ」

「それは仕方ない。僕は飛びぬけて美しいから」


 誰と共に居ようとも、初見で印象に残るのは自分だけだということを、エルデュミオはよく知っている。


「人の価値は美醜だけじゃないですよーっだ」

「同感だ。だが彼らにとってはいい土産話ができただろうから、良かったんだろうな」

「勝手に話のネタにするな。不敬だぞ。まったく……」


 敬意を払われない扱いに段々慣れつつある自分が恐ろしい。


「それはともかく。子どもに就労させているのは問題だ。聖神殿に頼らない理由は何だ?」

「彼らには親兄弟がいる。聖神殿の保護の対象外だ。そして外周区に住む者は概ね賃金が安い。少しまともなものを家族で食べようと思ったら、時間を多く、職場を掛け持ちして働く以外の選択肢がない」

「確かに、現状は飢えさせないための救済でしかないな」


 自分で稼ぐことの難しい子どものための法だ。


「親が貧しいから、子が貧しい。改善するのはむしろそちらだ」

「施しは一時しのぎですからね。ないよりはマシですが」

「人材の価値を高めれば、自然と待遇は改善される。フラングロネーアという町に対して、人口が多すぎるんだな。ふむ。希望者を募って僕の領地に人を招くか」


 人口が増加しているのなら、それを養う食糧が必要となる。新たに耕作地を広げるいい機会かもしれない。


「安定した生活が手に入るなら、住み慣れた土地であっても移ろうという者もいると思う。できれば皆、子どもに労働などさせたくないんだ」

「幼少期は一番物覚えがいい。僕としても、将来を担う人材となり得る可能性を持つ者を貧困で潰したくなどない。スラム化する前に手を打つ必要がある」


 今ならばまだ間に合う、というのがエルデュミオの所感だ。


「治安のためにも、人を減らしてこの辺り一帯は整備するべきだろう。――まあ、長期計画だが」


 少なくともルティアの戴冠式には間に合わない。

 話しながらフェリシスの先導の元、道を歩く。住民たちが好きに建物を増築、解体した半端な跡がそこかしこに見受けられる。そのせいもあって、町がまるで迷路のようだ。


「ここを熟知した輩に逃げ込まれたら、まず追えないな」

「騎士には難しいのは同意する。警備軍なら大半の者が慣れているが」


 町で問題を起こす輩も、逃げ込む先は外周区らしい。


「万が一のときには、警備軍で道を知る者の先導に従うよう周知させておくか」

「明確に上の指示が存在してくれると助かる」


 身分が上の者に進言するのは勇気がいる。その心的負担を和らげておけば、多少なりと効果が期待できるだろう。

 貴族街や市民街程街灯もないので、かなり暗い。数メートル離れれば、人間でさえ影としてしか認識できなかった。もう少し距離が空けば、最早見つけることすら困難。

 ただしそれは、視覚に頼った場合の話だ。


「……ん? この辺、妙に獣臭いですね」

「そう、なのか?」


 リーゼが足を止めたのは、外周区としてはごく一般的な、道だか隙間だかが悩ましい路地。

 エルデュミオに言わせれば悪臭で満ちているこの区画、獣の臭いなど自分では嗅ぎ取れない。


 だがリーゼの鼻を疑っているわけでもなかった。エルデュミオとフェリシスも周囲を見回す。ぱっと見、それらしき痕跡は見えない。

 足元の地面も綺麗に均されている。つい最近、あるいは頻繁に。常ならばあり得ない。


「成程、獣の毛だ」


 周辺の建物は経年劣化で大分傷んでいる。壁の一部に使われている木材も同様で、表面がささくれ立っている物も少なくない。

 そのせいで、抜けた毛が引っかかってくれたのだ。


 地面の足跡を消すことは思いついても、完璧な隠蔽は行えていない。

 専門家ではないが、多少は身近。そういった職業の人間の気配がする。


「……騎士かな」

「近衛ですか」

「要は、ルーヴェンとヘルムートのために残った反逆者どもか」


 皆の意見は一致した。

 アイリオスが何事かを仕掛けているせいもあるだろうし、パレードという行事が襲撃しやすいのも間違いない。


「また魔物を使う気ですか。懲りないですね」

「どうかな。前回は町の外の話だった。壁の内側に入られると厄介だぞ」


 少なくとも被害者が出るのは避けられまい。特に、戦う心得など持たない一市民たちだ。


「それと、もう一つ気になる点がある」

「あ」


 リーゼの手から獣毛を取り、エルデュミオは間近でよくよく観察してみる。


「どうしたです?」

「創世の種だったら面倒だと思っただけだ。だがこれは違うな。おそらく普通の生物の毛だ」

「ああ、魔物より厄介なのがいましたね」

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