第104話

「僕もそうだが、お前もフラングロネーアに特別詳しいわけじゃないんだろう?」

「ですねえ。だからまず、案内人と合流します」

「人を雇ったのか? 随分融通の利く案内人だな」


 リーゼの態度から見て、エルデュミオが今日町の下見に行くのは完全に予定外。それに対応できるというのは、暇なのか、それとも仕事に対して懸命に過ぎるのか。


「雇ったというか、まあ、知り合いですね」

「ふうん? まあ、信用できる相手なら、金の繋がりより安心できる部分もあるが」


 逆の場合もあるのが世の複雑なところだが。


「信用はして大丈夫です。人柄的にも、地理の詳しさにも」

「お前がそこまで言うならそれでいいが」


 ルティアと会う以前から、リーゼは冒険者として生計を立てている。町を回るうちに知り合いができてもおかしくない。

 事実、リーゼの足は迷いがない。目的地が明確に決まっており、道も知っている。そういう歩き方だ。


「どこに向かってるんだ?」

「外周区です。なんだかんだ言っても、やっぱり一番危険ですからね」

「そうだな」


 外壁のすぐ近く。外で異変が起これば真っ先に脅威に晒される外周区は、地価が安い。自然、経済的に豊かではない者が集まる。

 貧困は治安の悪化を容易に招く。フラングロネーアにはスラムと呼ぶほど困窮が満ちた地区はないが、町の他の個所と比べれば危険度は増す。


 リーゼが向かったのは外周区の中でもかなり端に存在する宿屋だった。かつて宿屋だった、と言うべきか。

 泊り客が少ないので、部屋の殆どはそのまま住民が住みついている気配がある。

 コミュニティに所属している人間以外は入るのをためらうだろう薄暗い店内へと、リーゼは足を止めることなく踏み込んだ。


「お前……っ。躊躇がないな」

「フラングロネーアの治安はいい方ですからね。ここも貧しいから明かりが乏しいだけで、他意はないですよ。でなければディー様にももう少しマシな恰好させます」


 エルデュミオの貴族然とした上質な衣服はもの凄く目立つ。夜だからまだマシだが、視線もかなり痛かった。


「言っておくが、外周区に来ると分かっていれば僕だってもう少し」

「ま、服だけ替えても大して意味ないですけどね。立ち居振る舞いが違いますから。わたしが使用人としてさえ恥ずかしいディー様ならお分かりでしょうけど」


 口調に棘を感じる。無理もないだろう。


「気にしてたのか」

「そこまででもないです。腹は立ちましたけど」

「……どこの集団に属していても、守るべき約束事はあるだろ。宮中での立ち居振る舞いも同じで、それだけだ」


 王族や貴族、使用人ならば『できなくてはならない』。しかし関わりのない者たちにとっては、一生使う当てのない技術である。

 特別に学ばねば身につかない不必要な教養を、あえて学ぶのは一部の富裕層だろう。そして純粋に礼節という意味で言えば、無くては失礼に当たるとは言えないものでしかない。


 ではなぜ、そのようなものが存在するのか。

 単純だ。できる者が特別だという優越感に浸りたいがための悪習である。

 長い年月の中で出来ることが『常識』になってしまっているため、現在ではそうとも言い切れないが。


「だから、分かってるから大丈夫ですよ? 腹は立ちましたけど」

「今の僕と同じ気分か」

「近いかもですね」


 なりきろうと思っても、エルデュミオも市井の民には混ざれない。確実に浮く。

 やろうと思ってもできないという所は、リーゼと何も変わりなかった。


 経た年月を感じさせる軋みを上げる階段を上って、二階へと移動する。

 古びてはいるが建物は清潔に保たれており、丁寧に使われていることが窺えた。おかげで不快感もそう強くはない。

 階段を上がってすぐの部屋を、リーゼはノックする。


「わたしです。ちょっと唐突ですが、道案内お願いできません?」


 部屋の中で人が動く音がして、すぐに扉が開けられた。


「リーゼ。本当に唐突だな……っと」

「!」


 予想してしかるべき、だったかもしれない。

 出てきたのは質素な私服に着替え、自由時間を寛いでいたのだろうフェリシスだった。

 互いに、顔を見合わせて絶句する。

 そして立ち直ったのは、フェリシスが早かった。息をついてリーゼへと顔を向ける。


「……一言、先に頼むよ」

「勿論、始めはそうしようと思ってたですよ? でも提案した段階でこうなったので、やむを得ず」

「俺の都合は?」

「悪かったら出直せばいいですね。でもまあ、大丈夫だったら今日でもいいかなと。これでディー様も結構忙しい人なので」

「それは知ってる」


 式典などのときは、騎士団の中で花形となるのは第二部隊と決まっている。

 しかし花形ではないが式典に備えて忙しいのは騎士や警備軍も皆同じだ。だからこそ、余計に反感を買うのだが。

 そうしてまた見栄えばかりの名ばかり騎士だと陰口を叩かれるわけだが、フェリシスの口調にその手の悪意はない。


「それで、お前の都合は?」


 ようやく一日の仕事が終わって、寛いでいる時間を邪魔したのだ。さすがに気が咎める。

 なので、フェリシスの都合を優先させるつもりで尋ねてみた。


「問題ない。行こうか」


 しかしこの行動が仲間であるルティアのためと知っているフェリシスは、迷わず快諾した。彼の性格上、ルティアのためでなくても同じ返答であっただろうが。

 フェリシスは帯剣だけすると、そのまま靴を履いて外に出てきた。


「待て。それは部屋着だろう。まさかそのまま外に行くのか」


 エルデュミオの感覚からすれば、おそらく部屋着も外出着もさほど変わらないだろうという予測はしている。

 しかしそれでも自宅屋内で着ている服とは別であると信じて疑わなかったし、支度を整える時間さえ奪って辱めるつもりもない。

 だが平民二人は一拍固まって、首を横に振る。


「部屋着も外出着も、明確には分けてないぞ」

「一日に何回も着替えるのなんて、お貴族様だけですよ」

「なん……だと……?」


 衝撃だ。


「では、行こうか。少し驚いたが、イルケーア隊長が明らかに貴族と分かる装いで来てくれたのは、良い牽制になるかもしれない」

「でしょう」


 貴族の本気を知らしめる、という意味で。

 まだ衝撃から抜け切れていない頭を軽く振って、エルデュミオはフェリシスとリーゼの後に付いて行く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る