第78話
しかしそんな腹の内は欠片も窺わせずにきっぱり応じた。そのエルデュミオへと、リーゼが呆れた目を向けてくる。
「良心の呵責とかないですかね?」
「一切ない」
国の害になりかねない物事への適切な処置に、エルデュミオが罪悪感など抱くはずもない。ましてエリザ側にも大した不利益はないとなれば尚更だ。
フュンフに連れられて下山を始めたエリザから、目線をマナ喰いエイ擬きへと戻す。
「散開して、各自注意を引き付けながら隙を作れ」
「了解です」
「承知しました」
リーゼとスカーレットが、それぞれが異論を唱えることなく了承する。
エルデュミオも首肯して応じて、正面から駆け上がる。リーゼとスカーレットは左右に別れた。
散開したのは言った通りの理由もあるが、一番はリーゼの近くで魔力を使いたくなかっただけだ。
「魔神セルヴィードの神力をここに――。宿れ、
自身の長剣の刃をなぞり、構築した呪紋を写していく。
アムルガムガルムの作り出した魔力の板に囲まれながら旋回を続けていたエイ擬きは、三人が近付いてきた頃合いを見計らい、そのヒレ先にマナで水を生み出す。
旋回しつつ放たれた高速の水刃を、エルデュミオは正面から切り払った。触れた先から水刃は蒸発し、マナを伝って逆流した熱が本体へと走る。
一瞬の抵抗。チリッ、と衝突と同時に火花を散らし、次には盛大な音を立てて爆発する。白い水蒸気の中から悠々と泳ぎ出てきたエイ擬きは、片方のヒレを失くしていた。
ただし見る間に再構築されていく。瞬き三回程度の間に元の姿を取り戻していた。
表面上は変化のないように見えるが、その実、エイ擬きを構成するマナの量は目減りしている。
エイ擬きが消費し、切り離されたマナは支配から抜け出し、世界へと還って行っていた。
それ自体は良い。だが――
(これはこれで、少しまずいな……)
エイ擬きを構成するマナは、スライム擬きの比ではない。無闇に削って行っては、今度は周辺のマナ濃度が上がって過剰摂取に陥ってしまう。
エルデュミオと同じ懸念を抱いたのだろう。スカーレットが見覚えのない呪紋法陣を展開させる。
弾けて溢れたマナが結晶化し、輝きながら地へと落ちていく。
「エルデュミオ様。マナは私が処理しましょう。が、攻撃に参加する機が減ることはご了承ください」
「問題ない。マナの過剰摂取で死ぬよりマシだ」
神の権能は期待した以上に強力だった。これだけ楽に攻撃が通るのであれば、どうとでもなる。
逆にエイ擬きは、エルデュミオと接近するのを嫌がる素振りを見せた。尻尾をうねらせて推進力を生み、更に上空へと逃げようとする。
オ、オーン……!
しかし戦況を見ているアムルガムガルムは、それを許さない。行き先に発生した魔力の板に衝突し、エイ擬きは跳ね返された。
口を開き、邪魔をする魔力の板を喰らおうとしたところに、エルデュミオが追いついた。
「遅い!」
そして一番無防備な尻尾を切り落とす。先程の再生を見るに、形こそ生物を真似ているが、体の内側に中身はない。あったとしてもマナの形を変えて作っただけの張りぼてだ。
エイ擬きは所詮マナの集合体であり、生命ではない。
エイ擬きは離脱を諦め、エルデュミオに向き直る。体を反転させている間に、尻尾は再生した。だが生え直した直後、気配なく忍び寄ったリーゼの短剣が、再び尻尾を切り落とす。
「!?」
びっくりした様子を見せ、エイは周囲に知覚を巡らせる。しかしリーゼの反応を捉えることができず、より動揺が強くなった。自分が何に攻撃されたかが分からないのだ。
無理もない。分かっているエルデュミオですら、リーゼの存在が捉えられていない。これは呪紋だけではなく、鍛えた身体技術も併せて発現する
とはいえエイ擬きと違い、エルデュミオにとってリーゼは味方だ。躍起になって居所を探す必要はない。
うろたえるエイ擬きの深くまで接近し、剣を一閃。大きく腹を裂き、一段とマナが崩れゆく。
そしてエイがエルデュミオに意識を向けたその瞬間、今度はリーゼが背を切り裂き、離脱する。
(――成程)
リーゼが言った『マナ擬きへの対抗のエース』の理由を理解する。
マナ喰い擬きたちが対象をマナとして喰らうには、すでに別の物質となっているマナの構成を変える工程が必須だ。
リーゼは自分を意識させない。だから通常の攻撃が、そのまま攻撃として通用するのだ。
(僕が囮になるのが効率的か? まったく、つくづく不敬な娘だな!)
だがそれが、妙に悪い気分ではない。
唇に笑みさえ浮かべて、再度エイ擬きへと駆ける。
エイは己に感知できなくとも、敵が二人以上いることは理解していた。天へと顔を向け、鳴く。
そのはるか頭上に、無数の煌めく光が生まれる。そして一斉に氷塊が降り注いだ。雹や霰といった自然現象に近い。
ただしこの氷礫には、明確な殺意が乗っている。
「ちッ」
人の手で捌き切れる数ではない。エルデュミオはエイの手前で魔力の板から飛び降り、下へと移動する。足場をそのまま盾にしてやり過ごすつもりで。
一秒を数える間もなく、石礫と何ら変わらない音を立てて魔力と衝突し、当たり前のようにいくつかの板を貫通した。
アムルガムガルムも足場として作ったのであって、その役目は盾ではない。仕方がないだろう。
「
頭上へ向け、構築した簡単な初級呪紋の火を放つ。弾幕が途切れた一瞬で、エルデュミオは更に下へと移動した。
そうしながら、降り続ける氷礫の大元まで届く、強力な呪紋を構築しようとして――
「っ!」
唐突な目眩に襲われて、体が傾ぐ。
「エルデュミオ様!?」
「エルデュミオ!」
リーゼとスカーレットの声が、意外と近くから聞こえた。
「っ、く」
何とか踏み止まった体を、横から柔らかな手が支えるのを感じる。リーゼだ。
「大丈夫です?」
「この辺り一帯のマナは、今極端に薄くなっています。マナを多く使う呪紋は危険かと。体内呪力のみで発現させることになりますから」
エルデュミオが陥った症状を、スカーレットは正しく見抜いてそう忠告された。
普段は周辺のマナも使って現象を起こしているところを、すべて自身で賄ってしまうということだ。
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