第二章 水が表す渇望

第19話

 王都フラングロネーアに戻ったエルデュミオは、事件の顛末を語った噂話を王宮の執務室で聞き、鼻で笑った。


「口にはされませんが、現在ストラフォードで金の瞳をしていらっしゃるのはルーヴェン王子、ルティア王女、そしてエルデュミオ様だけです。『誰』であったのかは公然の秘密、ということですね」

「直接的に僕が向けられたのは、反感と話の通じない化け物扱いだったけどな。調子のいいことだ」


 魔術によって支配されていたセルジオにお咎めはなかったが、そのセルジオに命じられ、金を握って賊を見逃していた警備軍の隊長は罷免された。

 代わりに、討伐で活躍し、常日頃から民の信頼の厚いテッドが昇格したらしい。


「だが、まあ、ルティアに支持を取り付けようというなら、民の声の後押しは力になる。悪くない」


 何しろルティア自身も、その後ろ盾になろうというエルデュミオも、まったく存在感がない。まずはその状態を打破する必要があった。


(幸い……でも何でもないが。名声を得られそうなルティア向きの仕事も舞い込んできたことだしな)


 エルデュミオたちがリューゲルに行っている間に、ルチルヴィエラの調査に向かった研究員たちが戻ってきていた。

 結果、ローグティアの異常が確認され、ストラフォードでは公的に対応の必要ありと認められている。


 現象としてはリューゲルと同じ。ローグティアの花や葉が黒ずみ、魔力の悪影響を受けているらしい。

 ローグティアを聖神の加護を持つ正しき呪力で癒すため、ルティアがルチルヴィエラへと向かうことが決まった。


 話を聞いてすぐにエルデュミオも役目をルティアに回そうと考えたが、ルティアの行動の方が早かった。ルチルヴィエラ調査の結果と同時に、ルティアの動向を耳にしたぐらいだ。


(まるで準備していたかのような素早さだ)


 正直に言って、今のルティアは気味が悪い。


 支持をしようと考えている王女に抱く感情が不信感とは、中々である。そんなことを考えて、つい唇に苦笑を乗せたところで、扉がノックされた。


「近衛騎士団第二部隊副隊長、レイナードです。隊長、失礼します」


 名前を告げて入ってきたレイナードは、やや緊張した面持ちをしていた。


「どうかしたか?」

「はい。ご報告をしておいた方がいいと思う件がありまして。会議室の花瓶の整備の話ですが」


 リューゲルに出発する前、念のためにと確認させていたものだ。会議室の花瓶が飾られている台座の下には、万が一の時の避難経路が隠されている。


 ただレイナードが知っていることが示すように、王族専用のような重要な道ではない。

 近衛騎士なら副隊長クラス、各部の高官たちも知っている。どちらかといえば、有事の際に高官たちが混雑を避けて優先的に非難するための通路だ。

 だから場所も会議室などという半端な位置に設置されている。


「念のためのつもりだったが、まさか使われたのか?」

「はい。公にはなっていませんが、ルティア王女は一度王宮を出られたようです」

「随分直接的な手を使う輩がいたものだな。とはいえ、実際は脅しだろうが……」

「それが、少し不穏な気配がありまして」


 レイナードの口調から、本題に入ったのが分かった。エルデュミオは眉を寄せつつ、無言で先を促す。


「台座の下は、細工がされて閉じられておりました。それと、裁炎の使徒イグニスが動かされた様子があります」

「馬鹿な。裁炎の使徒を動かせる権限を持った者はいないだろう」


 国が要する暗殺者集団の名前を聞き、エルデュミオはつい否定をする。

 信じ難かったからそうしたというだけで、レイナードの報告を偽りだと断じたわけではない。


 裁炎の使徒に命令を下せるのは、国王のみということになっている。しかし今のストラフォードの王座は空。動かせるわけはないし、動いてはならないはずなのだ。


(どこもかしこもガタガタだな)


 これは王座が長く空きすぎているせいもあるだろう。

 ルティアを殺すために裁炎の使徒が動かされたのなら、それを行ったのはルーヴェン派の誰かだ。

 越権行為を働き、貴族の秩序を乱す者は、追及して裁かねばならない。


「誰が行ったのかを調べる必要があるかと思いますが……。騎士団の公式見解としては侵入者などいなかった、ということになっています」

「まあ、賊に侵入されたなどという失態は認めないか。そもそも本当に裁炎の使徒なら、上が手引きした可能性さえあるのだし。……まさか本気で、ルティアを殺すつもりなのか?」

「脅しであれば、逃げ道を塞ぐことまではしないかと……。私の身分では知りようもありませんが、王族の皆様方が使う通路がどうであったのかも重要かと思われます」

「後で調べてみよう。有事の際に使えない、などということになっても困る」


 エルデュミオは王族ではないが、金眼の持ち主であるため、やや王族寄りの優遇措置を受けることがある。本来王族しか知ってはならない内容も、いくつか耳にできるぐらいには。


「報告、ご苦労だった」

「はい。では私はこれで――」


 部屋を辞す挨拶を口にしかけたレイナードを遮ったのは、再びのノックだった。


(珍しいこともあるものだ)


 お飾り部隊で式典のとき以外に仕事のない第二部隊の隊長に、こうも来客が重なるとは。


「ルティアです。エルデュミオ、失礼しますね」


 扉を開けて入ってきたのは、たった今話に上っていたルティア王女その人だ。


「あら。来客中でしたか。出直した方がいいでしょうか?」

「いや、こちらの用件は終わったところだ。僕も殿下に話があったから丁度いい」


 応じてレイナードが頭を下げて退出しようとすると、ルティアが小さく声を上げた。


「あっ。貴方……レイナードですね?」

「はっ。確かに私はレイナードですが」

「貴方のおかげで、わたくしは命が助かりました。ありがとうございます」


 花が綻んだような可憐な笑顔を見せて、ルティアはそう礼を言う。

 どうやらルティアも通路が一度塞がれて、その後レイナードによって修復されたことを知ったらしい。


「光栄です。ですがそのお言葉は、どうぞ隊長に。私は隊長の指示に従ったに過ぎません」

「えっ」


 手の平を向けてエルデュミオを示したレイナードに、ルティアはもの凄く意外そうな声を上げる。


「それでは、私は失礼いたします」


 今度こそ誰に横やりを入れられることもなく、レイナードは退出に成功した。

 残ったルティアはエルデュミオと向かい合い、数回目を瞬く。


「ええとあの、貴方が? なぜ?」

「傀儡姫を止めた直後に信用している騎士と引き離されたら、少しは疑え。本当に王になるつもりがあるのか?」

「い、いえ。でもフェリシスの派遣は予定通りで……。ああ、でも、確かにそう見えますし、その通りですね。事実、わたくしは死にかけました」


 前半言い訳めいたことを口にしていたルティアだったが、途中から納得した様子でうなずいた。


「ありがとうございます。けれど、ごめんなさい。正直に言って、貴方がわたくしの命を気に掛けてくれるとは思っていませんでした」

「一応従妹だし、僕は臣下だからな」

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