第2話
ルティアの宮中での呼称は『傀儡姫』。権力者の都合でただ流されるだけのお姫様。
彼女は王妃譲りのピンクブロンドに、王族に連なる者のみに現れる金の瞳をした可憐な容姿をしている。
それこそ人工的に作り上げた人形のように整った顔立ちをしているが、傀儡姫という悪意の呼称はもちろんその容貌を指したものではない。
事が表面化したのは、王が病に倒れてからだ。
王には王子と王女がいて、それぞれを旗頭にした貴族が対立を激化させたのが要因である。
「すでに文官派と武官派に、有力貴族の多くが固まっています。切り崩そうにも力のないわたくしでは話すら聞いてもらえません。何も持たないわたくしが今から手を出せる空白地帯は、貴方を始めとした貴族派しかないのです」
「どういう心境の変化だ?」
ルティアが傀儡姫となったのは、致し方ないことだ。
何しろ次代の王は長子である王子が継ぐと、大半の者が考えていた。ルティア自身もそうだろう。
だが王が後継を指名せずに倒れたことで、事態は一変。王子と王女、それぞれを推す派閥で二分された。ルティアが言った通り、大枠は文官派と武官派で別れている。
これは半ば後継が決まっていた王子側の怠慢とも言えるだろう。
現状そんな派閥はないのだが、エルデュミオのように『もともと安定した権力を持ち、どちらが勝っても関係がない家』が少数、派閥争いに加わっていない。
派閥に加わる必要がない家とは、それだけ力がある家だということ。少数であろうと、引き込めれば大きな力となる。
しかしなぜ、今更ルティアがそのような行動に出ているのかが、エルデュミオには心底分からない。
「わたくしたちは、敗北しました」
「は?」
「わたくしたちにもたらされた奇跡は、わたくしたちだけのものでもない。次は負けるわけにはいかないのです。そのためには王位争いで有用な戦力を削り合っている場合でも、ぐだぐだ時間をかけている場合でもない。――傀儡であるのは、かなり昔に止めました」
(……意味が分からない)
かなり昔に止めたも何も、エルデュミオの記憶では、昨日の昼間に見かけたときはいつも通りの傀儡姫だった。
「まあ、用件は分かった。けれど」
興味もないし、必要もない。そうエルデュミオが断るよりも早く。
「イルケーア公爵領にあるリューゲルの町。すぐに査察を入れた方がよろしいですよ」
「……何?」
「そして今ならば、どうとでも収拾を付けることが可能でしょう」
「僕を脅す気か? 馬鹿馬鹿しい」
自領の監督に手を抜いたことはない。エルデュミオはかなり強硬な選民思想の持ち主だが、だからこそ支配者としての責務は疎かにはしない。
「わたくし、貴方とはきっと一生分かり合えません。けれど従妹としての情はありますし、貴方なりの思想で国に仕えているのも理解しているつもりです。……だからこそ、です」
「……」
ルティアの言い様には共感できなくもない。
エルデュミオとて、平民を重用するルティアの感性は理解不能だ。不愉快でもある。だがだからといってルティア本人にさして思う所はない。どちらかというと哀れだとも思っていた。
だからこうして、時間を割いて会ってもいる。
「今日はこれで失礼します。リューゲルの査察を終えた後にでも、今のお話を検討してみてください」
ルティアとてエルデュミオから即座に色よい返事がもらえるとは考えていなかったのだろう。優雅に礼をするとフェリシスを伴って帰っていく。
(何だ、今のは。誰だ、あいつは)
自分の知っているルティアとあまりに違っていて、残されたエルデュミオは愕然とするしかない。
(一体何が起こっている)
気持ちの悪いものが、ぞわぞわと背中から這い上がってくる気さえした。身震いをして振り払いたい衝動に駆られたが、背後に部下がいる場所でそんな無様な真似はできない。
(リューゲルだと? 適当に名前を上げたのか、それとも)
「うッ」
瞬間、頭に走った鋭い衝撃にエルデュミオは声を上げ、額を押さえる。
同時に浴室で見たのと似た印象の映像が過った。ほんの一瞬、切れ切れのシーンを数枚だけ。
金の穂を付けた田園風景に、平民らしき人々が縄で括られている。そこから解放されたらしい数人が、視点の主に掴みかかろうとしているところだった。
そしてそれが自分の視点で見たものだと、何となく察せた。
勿論そんな記憶はない。なのになぜか、自分の記憶である確信がある。
「エルデュミオ様?」
気遣うように声が掛けられて、肩に冷やりとした手が置かれた。途端に映像が綺麗に消え失せる。
代わりに軽く酔ったときのような多幸感が、ふわふわと頭を侵食してきた。
それはとても心地良く、身を任せてしまいたい衝動に駆られる。だからこそ不快で、エルデュミオはまとわりつく倦怠感を振り払って声を上げた。
「僕に触れるな、無礼者がッ!」
嫌悪感と共に手を払い除け、同時に巡らせた首が相手の表情を捉える。
侍従長の制服を身に付けたその男の顔に、エルデュミオは一瞬、戸惑いを感じた。
「誰だ、お前は」
エルデュミオの問いに、問われた方もまた戸惑いを浮かべる。髪は暗めの赤。反して瞳は紅玉のように美しい発色をした、二十代の半ば程の青年だ。
「何を仰るのです。お忘れですか、スカーレットです。貴方様がご幼少の頃よりお仕えしてきているではありませんか」
「そう……。そう、だったな」
(どうかしている)
十年以上付き合いのある側近に対して、誰だも何もないものだ。
緩く頭を振り、エルデュミオは席を立つ。
「スカーレット、支度をしろ。リューゲルへ向かう」
「は。承知いたしました」
恭しく礼をして、スカーレットは退出する。後に残ったエルデュミオは、妙な疲労を感じて背もたれに体重を預け、息を吐いた。
(頭と体が重い……。何だ、これは)
感じたことのない疲労感だ。気持ちが悪い。
(今日は、早めに休むか。リューゲルに行くのならそれなりに長旅になる。……ん?)
考えている途中で眉を寄せた。
(なぜ、リューゲルに行くんだった? ルティアが来て、それで……)
「うッ」
つい先刻のことなのにおぼろげになりつつある記憶のことを考えていたら、急に脳を揺さぶられたような勢いで映像が割り込む。
(そうだ。査察だ。ルティアの変化が言動だけかどうかを確かめるのにも丁度いい。それに――……)
小麦畑の他に、自身の幼少期の記憶を見た気もする。
そこにスカーレットが――
(いない……はずはない。あいつが隣にいた記憶が、確かにある。まったく、今日はどうかしている)
自分も、自分の湯船に細工をした使用人も、ルティアもだ。
考えるだけ頭痛と倦怠感が増す気がして、エルデュミオは思考を止めた。
頭も体も慣れない疲労に休息を訴えている。そしてそれに抗う理由も気力も、エルデュミオにはなかった。
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