一途に好きなら死ぬって言うな
松藤かるり
0.飼育小屋の夢<プロローグ>
彼女はうさぎ小屋の白うさぎに似ていると、小学三年生の私は考えていた。
「ねえ。うさぎさん、撫でてもいい?」
白うさぎのように白く透き通った肌、ロップイヤーの垂れ耳のようにふわりと垂れるおさげの黒髪。うさぎのようにぱっちりと大きな瞳が私を見つめている。
学校内で彼女を見たことはなく、けれど放課後は何度か会っていたから、彼女が現れたことに驚きはなかった。頷いて金網の戸を開けると、彼女は嬉しそうに口元を緩めてうさぎ小屋の庭に入った。
放課後。飼育委員たちがうさぎ小屋の掃除をしている時は、うさぎや
「ユメちゃんは?」
「まだ出てきてないの。穴の奥に隠れているのかも。見つけたら庭に出すね」
「うん。待ってるね」
飼育小屋には三匹のうさぎがいて、それぞれユメとブチとロップという名がつけられていた。特に彼女のお気に入りは、白とブルーグレーのマーブル模様が特徴のユメ。穴堀りを好み、一度穴に入るとなかなか出てこないうさぎだった。
私はユメを探しに小屋に戻る。小屋は背の低い仕切りで分けられていて、烏骨鶏とうさぎを別々の部屋にしていた。しかし、烏骨鶏は飛ぶので仕切りなんて飛び越えてしまうし、うさぎも穴を掘ってトンネルを作るから、仕切りの意味はなかった。
小屋には、うさぎトンネルがいくつもある。ユメが好むのは飼育小屋の端にあるトンネルだった。相当深くまで掘っているので覗きこんでも先は見えない。小屋の壁に沿って作られているので、いつか地上に出てしまうと心配になるけれど、トンネルに耳を近づければ中から物音がするので大丈夫だろう。
「ねえ」
ユメを探すことに夢中になっていて、気づくと彼女が小屋に入りこんでいた。小屋の仲間で入るのは飼育委員しかいないけど、他の人をいれちゃだめってルールはない。彼女はユメを探しにきたというより、私とおしゃべりをしにきたようだった。
「今日は小屋掃除いつ終わるの?」
「もうちょっと」
「終わったら一緒に遊ぼうよ」
「終わったらね」
そっけなく答えたけれど、彼女のことは好きだった。でもあの大きなまんまるの瞳に見つめられるのが恥ずかしい。
彼女はうさぎを撫でている時のように柔らかく微笑んで、ぴょんとその場で跳ねた。
「やった! 私、
「私と?」
「だって香澄ちゃんは私の友達でしょ?」
噛みしめるように言って、彼女は小屋の外に出ていった。うさぎたちは構ってくれないことにふて腐れているのか、庭の隅で座りこんでまんまるになっている。
彼女はブチとロップを撫でた後、私に聞こえるよう大きめの声で言った。
「ジャングルジムのところで待ってるね。小屋掃除が終わったら遊ぼうね」
ジャングルジムは校庭の端にある。ここからだと体育倉庫が邪魔で見えない。彼女が庭を出るのを確認してから、私は再び小屋掃除に戻る。
烏骨鶏の部屋にある止まり木についた糞尿を片付けて、水入れの水も取り替える。昼休みい与えた野菜くずの餌は空っぽになっていたので器を洗い、放課後はそこにペレットや飼料を入れる。あとは庭に出ているうさぎと烏骨鶏を小屋に戻して終わりだ。
その間、ユメは出てこなかった。穴の奥にいることは間違いないと思うけれど。覗きこんでも姿は見えず、そうまでして出てこないユメに少しだけ苛立った。
もしもユメが出てきていたら彼女は喜んだはず。ユメを抱っこして頭を撫でて「かわいいねえ」とふわり微笑んでいただろう。その姿を眺めるのが好きだったから諦められなかった。
「ユメー? でておいでー」
彼女はジャングルジムに行ってしまったけれど、合流した時に「ユメでてきたよ」と教えてあげたかったので、うさぎの穴に声をかける。奥でもぞもぞと何かが動いている。
もっと覗きこんで。声をかければ。夢中になって身を屈めた時だった。
「あ」
ちゃり、と金属の音がトンネルに吸いこまれていく。キュロットスカートのポケットを探るけれど、やはりない。入れていたはずの飼育小屋の鍵がなくなっていた。
「うそ……」
まさか鍵が穴に落ちたなんて。あたりを探すも鍵や鍵についていたキーホルダーも見当たらない。トンネルの入り口は下り坂になっているのでおそらく転がり落ちてしまった。手を差し込んでみたけれど、じめついた土以外の感触はなく、ユメも出てくる気配がなかった。
困った時は先生というのは小学生のよくある思考で、その時の私も先生に頼ろうと考えた。庭に出ていたうさぎや烏骨鶏を小屋に戻して、扉を閉める。鍵はないから不安だったけれど近くにあった石を置いて代わりにした。
小屋近くの花壇に立てかけたランドセルはそのまま。放課後、飼育小屋に入る子のほとんどは、ここにランドセルを置いている。そういえば彼女はランドセルを持ってきていなかった。いつも私のしか置いていない。
約束をしたからきっと彼女は待っている。罪悪感でジャングルジムの方を見ることはできなかった。
職員室に行くと、飼育委員担当の先生は「仕方ないなー」と笑って懐中電灯を手にした。前にも鍵を落とした子がいたらしい。その時は見つからなくて大変だったなんて話を聞きながら再び校庭を駆ける。
幸いにも小屋から逃げ出すうさぎや烏骨鶏はいなかった。落としたと思われるユメのトンネルを指さすと、先生が懐中電灯を向ける。
「こりゃ深くにあるな。ちょっと待ってろ」
掃除に使う竹箒を取りにいって柄を差し込む。
「お。なんだ、この穴ずいぶん深くまで……よ、っと」
熊のように大柄な先生の額に汗が浮かぶ。飼育小屋のじめじめとした湿度に、動物の独特のにおい。穴の前で屈む先生の背をおもちゃと勘違いしたのか、烏骨鶏が飛び乗りばさばさと羽ばたいて羽根を散らす。
そんな環境で集中できるわけがなく、鍵を取り出すのは難航した。
「……よーし、取れたぞー」
ようやく飼育小屋の鍵と再会できたのは、夕日が校庭を赤く染める頃。竹箒一本では取れず、もう一本持ってきたり火ばさみを持ってきたりと試行錯誤の末だった。
「ありがとうございました」
「見つかったからよかったよ。今度から気をつけような」
「はい。すみません」
先生と共に小屋を出て、鍵をかける。振り返れば校舎にかかっている時計は、長い針がぐるりと一周回っていた。
外の水道で手を洗って、ランドセルを回収。急いでジャングルジムに向かう。体育倉庫をぐるりと回って目的地に着くと、夕日がさっきよりも眩しく光った。
「……あ」
ジャングルジムに、彼女の姿はなかった。
滑り台も、ブランコも。のぼり棒もタイヤ跳びも。どこを見渡しても、彼女の姿はない。校庭の真ん中で男の子たちがサッカーをして騒いでいたけれど、その中に混ざっていることもない。
きっと帰ってしまった。私が遅くなってしまったから。
とぼとぼと帰り道を歩く。重たいランドセルがいつもよりずっしりと重たく感じた。
次の日も、次の飼育当番の日も。ユメを撫でにくるあの子は来なかった。
彼女との再会はなく、季節が巡る。
いつか会えた時は、ジャングルジムに行けなかったことを謝る。再会を待ち望んでいた私の耳に入ったのは、ある噂だった。
『
彼女が消えた後から語り継がれる、幽霊の噂。
あの日の彼女は、いつの間にか幽霊として扱われていた。
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