優秀な令嬢が王子を支えようとすると婚約を破棄される

愛LOVEルピア☆ミ

第1話 ヴァランス伯爵令嬢ナキ・アイゼンシア


 今日何件目になるかわからない書類に再度目を通す。今までのことからこの位かなって思える内容で「この件は昨年よりも二割増しで手配をお願いします」仮決裁を行う。伯爵の娘である私に国の政務を決める権限はないわ。


「かしこまりました執政官代理」


 恭しく書類を両手で受け取ると、初老の役人が部屋を出て行ったわ。王子の代理で政務を行ってから丸々一年が経つわね、ドフィーネ王国の動きも大分理解してきたつもりよ。お父さまのそばで子供の頃からお仕事を見て来たかいがあったものだわ。


 次の人が来る前に部屋の姿見で装いを確かめる。栗色の髪は随分と伸びてお尻の下くらいにまでなったわね。お母さまが髪は女の命よって言うものだから、こうやって伸ばしてるのよね。天国で見ていてくれてるかしら? 白のブラウスに水色のガーディガン、水色のリボンタイ、白い手袋を履いていつも執務をしているわ。


「失礼いたします。アイゼンシア様、王子殿下がお呼びです」


「あら殿下が。わかりました、今日の執務はこれで終了しますので、待っている方が居たら明日朝一番で出直してくるようにお伝えしてください」


「承知致しました」


 秘書に事後を託すと、王宮にある王子の私室へと足を向ける。アイゼンシア家は王族の分家筋で、四代前に諸侯として独立したのが始まり。その後にドフィーネ王国の臣下として仕えて、私が王子の婚約者として王家に入ることが決まったのよね。


 政略結婚は貴族の常、好き嫌いは関係なくそうなったって聞かされても、別に嬉しくも悲しくも無かったわ。会ってみてちょっとピンと来なかったのはあるけれど、そういうものだって割り切れる位に大人にはなったつもりよ。もう十八歳ですもの、恋や愛と結婚の違いは知るべきね。


 部屋の前では侍女が立っていて「お待ちしておりました」何か微妙な表情で扉を開けてくれる。


「ありがとう」


 短くお礼を言って中に入ると、王子の他に宮女が多数。何というか、皆が皆グラマラスな女性ばかりで、貧相な体つきの自分が少し情けなくなる。性的な趣味嗜好はそれとして受け入れるとして、女性として一歩下がってしまうのはちょっと悔しい気にはなるわ。


「殿下、お呼びと聞きましてナキが参りましたわ」


 せめて私的な場所ではと自身を名乗る時は名前でと決めて通している、でも王子が私を名前で呼んでくれたことは極めて数少ないけれどね。それにしても侍女というよりも娼婦みたいなのばかり……って、あれってヴィエンヌ伯爵の娘ね、彼女までここに居るなんてどうしたのかしら。


 うちのヴァランス伯爵は南、ヴィエンヌ伯爵は国の北を守るように位置しているわ。西は山があって人が行き来するのはとても難しくて、東はヴォアロン伯爵が居るの。山とローヌ河、イゼール河で囲まれた土地、それがドフィーネ王国。


「ナキか。あれだ、お前もういいわ」


 久しぶりに名前で呼んでくれたと思った直後、理解出来ない言葉をかけられた。もういいって何か用事を言われていましたっけ? ええと……別に何も無かったはず、一体何のことかしら。首を傾げてその場に立ち尽くす。宮女らがクスクスと笑っている。


「解らんか? まあそうかもな」


 王子が宮女を一人抱き寄せると、その豊満な胸を鷲掴みにしながら「お前との婚約は破棄する。だからもういいぞ」衝撃的なことを仰る。え、婚約破棄ってそんな簡単に言われても。でも、だからって今私に出来ることなんて何も。頭が混乱をきたしてるわ、否定すべき? それとも受け入れるものなの?


 ヴィエンヌ伯爵令嬢が目を細めて笑ってる。侍女の微妙な感じももしかしてこれを知っていて? だとしたらここで騒ぎ立てても何もならないわね。陛下に相談してみましょう。


「……畏まりました。失礼いたします」


 複雑な表情のままいつものように退室する。心の動揺を出来るだけ抑えて、叫びたいのを我慢して悠然と王宮内にある自室へと歩いたわ。自分を褒めていいわよね、嘆きも呪いもせずに無事に部屋に戻って来られたことに。机を前にして椅子に浅く腰かけると、両肘をついてうなだれてしまう。


「どうしてこんな……」


 国を支える為に、夫になる人の為に、毎日政務を頑張って、少しでも可愛いって言われるために努力して、それなのに「いやぁ!」つい大きな声を出して泣いてしまった。これじゃあ明日普通に働けない、でももうそんな頑張る理由もなくなった? あれ、じゃあ私はなんの為にここに居るのかしら。でもちゃんとしないとお父さまの迷惑に。


 頭の中に変な考えがグルグルとめぐってしまい収まりがつかない、世界が揺れてぐちゃぐちゃになりそうな感覚に吐き気がしてしまう。ああもういいから寝てしまいたい、起きたら全部夢だったってなっててほしい。絶望を抱いて、その日は部屋で一人小さく丸まって目を閉じる。いつか意識を失っていて、楽になれた。



 朝目が覚めてもベッドから出たくなかった、忘れられたらと思ったけれども鮮明に記憶に残っているわ。はぁ、何もしたくない気分よ。コンコンコンとノックする音が聞こえるわね。でも今は応じたくない気分なの。


「ねぇナキ、居るんでしょ、入るわよ」


 返事をしていないのに部屋に入って来る気配。声を聞いたら誰か分かるから縮こまってしまう。


「あら、寝坊なんて珍しいものが見られたわね」


 ご機嫌な声でベッドの横に座って、被っていた布団を軽く跳ねられる。起きてはいるのよ、目は開いているもの。背を向けているけど全然帰るつもりないのね。


「ほらもう起きなさいよ、遅刻ついでに仕事さぼるのもたまにはいいけどね」


 ユーナが肩をゆするものだからチラッとだけ見てから、また布団を被って丸まってしまう。


「ちょ、どうしたのよナキ!」


 異常に気付いて緊張した声を出す、まだ知らなかったのね婚約破棄の事。もう王宮で噂になってるものだと思っていたけれど、まあ時間の問題よね。何だか色々どうでも良くなってきたわ。


「泣きはらしたような目、何があったか教えて頂戴」


 ユーナは私の友人、ソーコル王国の貴族の娘よ。でも彼女自身もアンデバラ子爵で、ドフィーネには客人として滞在しているの。お母さんの従姉妹がユーナのところの一族の人。


「何でもないわ、ごめん調子悪いの今日は帰って」


「は? そんなので帰るわけないでしょ。どうせ最後は喋るんだからさっさと言いなさい」


 なんで私が責められなきゃいけないのよ……って、ああもう考えが卑屈になってるわ。ユーナは私を心配して言ってくれてるのに。自己嫌悪でどうにかなりそう。でも話すのも思い出すのも辛いわ。


「ナキ、私は何があってもあなたの味方よ。安心して、それは絶対なの」


 子供の頃に出会ってから友達になったわ。婚約の話が出て王都に一人で来ることになった時に、心細いなら一緒に王都で暮らしてくれるってわざわざソーコル王国から来てくれたのよ。そんな人を蔑ろにしようだなんて、私かなり参ってるわね。


「…………あのねユーナ、婚約破棄されちゃった」


「え、どうしてよ。ナキは何か大失敗でもやらかしたわけ?」


「どうだろう、わかんない。毎日政務を行って、出来るだけ殿下の代わりで功績を残せるようにしてきたつもりだけど」


 執政官代理だから、結果としては王子の決裁で処理されていくのよ。私が執務をした事実は残るけれど、記録は全部王子に帰属する形、その中に大失敗があったならわかるけど。


「本人がわからない位のことでそれも無いわよね。きっと何かの勘違いよ、直ぐに元に戻れるわ。でもそうね、暫くはお休みしていていいわよ、外のことは私がしておくから」


 布団の上からポンポンとされて立ち上がる感じがしてベッドが少し揺れる。たまに休日は貰っていたけれど、急に休むなんて初めてよ。仕事どうなるんでしょ。


「ユーナに心配かけてごめん」


「良いのよ、何も気にすることなんて無いわ。それと、こういう時は謝るんじゃなくて感謝するものよ」


 顔をみなくてもユーナが微笑んでるんだろうなって浮かぶわ。今は一人で居たい、だから顔を会わせるのはもう少し後でね。


「うん、ありがとうユーナ。明日になればきっと立ち直れてるはずだから、今日はそっとしておいて」


「解ったわ。近くにいるから、いつでも声をかけるのよ。ユーナ・フォン・デンベルクはナキ・アイゼンシアの親友、頼ってくれると嬉しいわ。じゃあまたね」


 扉の前で立ち止まってから、少しして部屋を出て行く。そうね、私は一人じゃないから、大丈夫よきっと。ありがとうユーナ。



 もうすぐ陽が沈むわね、今日ならもうきっと大丈夫だけど、私が呼ばないとユーナは来てくれないのかな。でも何だか呼びかけづらいし、別に明日でも良いかなって。


「はぁ、今日はやめておきましょう」


 気力が下がって何もかもが億劫になる、そういう時だってあるわよね。例えば婚約破棄された時とか。女としてダメだったよって言われてるようで自信無くすわ。コンコンコン、ノックが聞こえる、ユーナだわ!


「はい、どうぞ」


 名乗られる前に許可を出してしまう、だってそんな入り方して来るのここには一人しかいないもの。


「良かったナキ、少しは元気が戻って」


「最悪の気分なままではあるけど、休めたしもう大丈夫。心配してくれて嬉しかったわユーナ」


 それは本心、もし独りぼっちならどうなっていたか。それにしてもユーナ何か言いたいことありげね、まああるわよねそりゃ。


「領地から早馬が来てるわよ、下の部屋に待たせているわ」


「領地ってヴァランスから?」


「ええ、かなり急ぎの事らしく私に何とか知らせて欲しいって言われて様子を見に来たの」


 本当にすぐ傍で待っていてくれたのね。親友か、とても大切な人。くよくよしてるだけじゃいけないわ、前を向いて生きないと!


「下に行きましょう」


「そうね」


 それ以上は何も言わずに、ユーナは隣を歩いてくれる。同じ方向を見て、肩を並べてこうやって寄り添ってくれる存在、とても得難いわ。一階の応接室では騎兵の士官服を身に着けている中年の男の人が座って待っていたわ。こちらに気づくと起立して手を胸にあてる。


「ナキ様、内密な急報が御座います」


 そういってからチラッとユーナを見たわ。かなり大切なことのようね、でも人払いは不要よ。


「ユーナは私の親友です、そのまま報告をお願いします」


「はっ。体調が優れられない伯爵が今朝がた高熱に見舞われました。侍医の助言でナキ様に帰還を促す報せを出すようにとのこと。何卒ヴァランスへお戻りを」


「お父さまが!」


 私が産まれた時にはもう五十歳の呼び声が掛かるころ合い、出来るだけご自愛をとお願いしていましたけど、このところ寝込むことが多かったわ。侍医が帰郷を急かすなんて、もしかしてもう。


「ナキ、陛下に帰郷を申し出ましょう。私も付いて行くわ」

 

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