神父様は名探偵
久田高一
黄緑色の傘
18世紀、ヨーロッパのとある小さな田舎町に、名探偵と呼ばれる神父がいた。名をロイ・カーターという。ロイ神父はその豊富な知識と物腰柔らかな態度で、町民から尊敬を集めていた。その度合いを知れるエピソードとして、小麦農家レイモンド・モリスの娘の名付け親になったとか、やんちゃ娘のパーシー・ジャクソンの家庭教師を依頼され、見事進学させたなど事欠かないが、最も有名なのはやはり、彼が名探偵と呼ばれるきっかけとなった、あの機知と慈愛にみちた謎解き劇であろう。それはこんな風であった。
ひどく強い雨が降った翌日、落葉やら枝やらですっかり散らかってしまった教会の玄関掃除にいそしんでいたロイ神父のもとを、2人の男性と1人の女性が訪ねてきた。ドミニク・レヴァンスとジェイコブ・ホー、そしてその妻キャロル・ホーである。商店を営む背が高くて今風の青年ドミニクと、彫刻屋でずんぐりとした素朴な壮年ジェイコブは対照的で、また犬猿の仲であった。ロイ神父はめったに行動を共にすることのない2人が揃って訪問してきたことに驚いたし、それに両者ともいくらか苛立っていることが、への字に曲がったお揃いの唇から読み取れたことに不安を感じた。キャロルは後ろの方でじっとしている。2人は神父の前に歩み寄ると、唇に似つかわしい不満を、ほぼ同時にぶちまけた。
「神父様、聞いてください。この男はれっきとした証拠があるにも関わらず、罪を認めないのです!」
「違えます神父様!ドミニクの野郎、俺のことを盗人にしようとこんな嘘をいってやがります!この野郎!」
「そ、そういっぺんに話されては事情がわかりません。どうぞ中へ。落ち着いて、一人ずつお話を聞かせてください。」
始めに神父の部屋に通されたのはドミニクだった。ドミニクはシスターが入れてくれた紅茶を一口だけ啜ってから、待ちきれないといった様子で次のように語り出した。
「ジェイコブは私の傘を盗んだのです。神父様も昨晩の雨は覚えていらっしゃいますよね?大半の者がそうしたように、私も昨日は傘を持ち歩いていました。黄緑色の傘です。最近手に入れたもので、成人男性が持つには少し派手過ぎるような気もしますが、発色が良く、私のお気に入りでした。まだ数回しか使っていません。その傘を持って、仕事終わりに酒場に立ち寄りました。傘は酒場の玄関先の傘立てに掛けておいて、私は入り口から見て一番奥のカウンター席に座りました。ジェイコブは奥さんと来ていて、入り口から一番近くのテーブル席でラム酒とポークチョップで一杯やっているところでした。それから私はたっぷり2時間ほど夕食と酒を楽しみました。そして良い気分になった私が勘定を済ませて外に出てみると、なんと私の傘が無いではありませんか!勘定係に聞いてみると、黄緑色の傘なら30分ほど前にジェイコブが持っていったと言うのです!ジェイコブ達がいたテーブルを拭いていた給仕係も同じことを言いました。仮に、私とジェイコブの傘が同じような色をしているのであれば、間違って持っていってしまったのだろうと納得がいきます。しかし、ジェイコブの傘は黒色です。神父様、いくら酔っ払っていたとはいえ、黄緑色と黒色を間違えるでしょうか?ジェイコブはどこかで私が黄緑色の傘を使っているのを知って、嫌がらせに私の傘を盗んでいったに違いありません!ジェイコブめ、前々から嫌なやつだとは思っていたが、まさかそこまで落ちぶれているとは!あの奥さんまでぐるだったとは!私はすぐに酒場で傘を借りて、財産を取り戻そうと、強まってきた雨風の中ジェイコブの家に向かいました。ジェイコブたちが酒場を出て行ったのが30分前なら、とっくに家に着いているころです。何といっても彼らの家は酒場から10分ほどしか離れていないですからね。でもジェイコブは留守で私の傘も見当たらず、とんだ無駄足でした。そして帰途につこうとした私に――ああ神父様!主はとことん私に厳しいようです!――すさまじい突風が吹いて、借りてきた傘を使い物にならないほど痛めつけたのです。おかげで私はあの雨の中を濡れて帰る羽目になって、あやうく寝込むところでしたよ!」
「それはとんだ災難でしたね。それで今日の朝、ジェイコブの家に行ったのですか?」
「そうです。だけどジェイコブは認めませんでした。目撃者もいるのに。ジェイコブは昨日持って帰ってきた傘は確かに黒色で自分のものだったと言いました。奥さんもそれを肯定しました。それでは、その持って帰ってきた傘を見せろと言うと、彼は『それはできない。昨晩湖に落としてしまった。』と答えたんです。ひどい言い訳です。奴らは私の傘を盗んで、その処分に困って湖に投げ捨てたんだ。留守だったのもそういう訳です。私がそのことを指摘すると、もちろんジェイコブは否定しましたがね。そのまま押し問答が続いて、もう埒があかないから神父様のところに行こうとなったわけです。神父様、なんとかやつに罪を認めさせることはできませんか。」
次に部屋に通されたジェイコブも、先ほどの客に負けず劣らず興奮していた。キャロルは外で待っているようだ。ジェイコブはシスターが紅茶を運んでくるのも待てずに話し出した。状況説明等ドミニクの話と一致する部分を除けば、おおよそ次のようである。
「誓って言いますが、あっしはやってねえですよ!大体のことはドミニクの野郎からお聞きになったとは思いますが、あっしからすれば奴が大嘘つきなんです!私はちゃんと自分の傘を持って帰ってきたんだ!そもそもあっしは奴がどんな傘を使っていたのかなんて知らねえんです。かみそり色かきみどり色だか知らねえが、いい迷惑ですよ。それに奴はあっしが留守だったことと傘をなくしちまったことを責め立てやがりましたが、とんだ言いかがりでさあ。留守にしてたのは妻と2人で散歩しながら帰ったからです。妻とは何かと気が合いますが、雨の日の散歩が好きなのも一緒です。それで湖に沿うようにぐるっと遠回りしたんです。お疑いならリサばあさんに聞いてください。昨日湖で会いました。そして湖を半分くらい回ったときに、もの凄い風が吹いて、あっしの傘をさらっちまったんですよ。傘はそのまま湖に『どぼんっ!』です。さすがに夜の湖に入るような危ねえ真似はしたくねえですからね。傘は諦めて、妻の傘に入れてもらって帰りました。ドミニクの野郎は、自分でなくしちまった傘をあっしらのせいにして、ついでに盗人に仕立て上げようとしているんでさあ。本当に嫌な野郎ですよ!」
さて、神父は2人の話を聞き終えると、町民たちへの愛ゆえの、奇妙な仮説を組み立てた。この町の人たちは嘘をつくような人間ではない。また、いくら嫌いな相手といえども、物を盗んだり、わざと相手を貶めたりするような人間でもない。神父は今日まで見てきた町人たちの姿から、それだけは自信を持って言えた。とするならば、ドミニクと酒場の従業員2人の側と、ジェイコブと妻の側とには大きな認識の違いがあったはずである。その違いとは何なのか。それを証明するために神父は本棚から一冊の図鑑を手に取りページを探った。そして目当てのものを見つけると、3人を自室に集めた。謎解きの時間である。それはわずか5分で終わった。
示されたのは生命を感じさせる黄緑色をした、若い双葉の写真であった。そして、神父は言った。
「これからお三方同時に、この双葉の色を声に出してもらいます。私の合図でいきますよ。せーのっ」
「黄緑色」とドミニク。
「黒」とジェイコブ。
「黒」とキャロル。
ドミニクが信じられないといった目で夫妻を見つめる。だが、夫妻も同じような目で自分を見つめていることに気が付いた。3人の視線が説明を求めようと神父に集まる。
「まず始めに、今回の件に関して、お三方は誰一人として嘘をついていないことと、罰せられるべき人間も誰一人としていないことを申し上げておきます。偶然が重なった結果起こったものなのです。まず1つ目の、そして今回最も大きな偶然は、ジェイコブと奥様は2人とも『色覚異常』をお持ちだったということです。私の友人、ジョン・ドルトン君が最近発見したものです。『色覚』とは簡単に言えば色を区別する能力のことで、その能力が上手く働かないことを『色覚異常』といいます。区別しづらい色としては、赤と緑、青と紫、そして、緑と黒などがあります。2つ目の偶然はジェイコブとドミニク、君たちの傘がまさにその、ジェイコブが区別しづらい緑色――厳密には黄緑色ですが――と黒色であったということ。そして3つ目の偶然は君たちが、雨の降った同じ日の、同じ時間帯に、同じ酒場にいたということです。つまりあの日、ジェイコブは色の区別がつかなかったために、心から自分の傘だと思って、ドミニクの傘を持っていきました。奥様もジェイコブは黒い傘を持っていると信じていました。ただ、周囲の『色覚異常』ではない人たちから見れば、ジェイコブの持っている傘は黄緑色です。今回のすれ違いはこういう訳で起こったのですよ。最後に1つだけ付け加えておきます。『色覚異常』という名前ではありますが、他人とは違う見え方をしているからといって、その人が異常、劣っていると考えるのは間違いです。これは色覚に限ったことではないですが、私たちは皆、考え方や感じ方が違います。大切なのは、その違いを肯定的に受け入れ、共に手を取り合って生きていくことだと私は信じます。」
ドミニクはあまりの衝撃に口を聞けなかった。神父様は「誰一人として嘘をついていない」と言ったが本当だろうかと考えた。しかし、思わず疑いの目を向けた相手は、心底申し訳なさそうな顔をしてこう言った。
「そうだったのか…。すまん、ドミニク。区別がつかなかったとはいえ、あっしがあんたの傘を持って行って、湖に落としちまったようだ。弁償する。あの傘を買った店を教えてくれないか…。」
その言葉には真心がこもっているように感じられた。どうしてもジェイコブが嘘をついているとは思えなかった。そうしてドミニクは疑ってしまった自分を恥じて、こう言った。
「こちらこそ、すまん。弁償はしなくていい。また自分で買うよ。その代わりといってはなんだが、1つ注文してもいいだろうか――。」
18世紀、雨の降るヨーロッパのとある小さな田舎町を、黄緑色の傘が行く。ホー夫妻は検査の結果、緑と黒の色覚異常であるとはっきりしたらしい。また、ジェイコブが傘を落としまった場所のすぐ近くに、黄緑色の傘が流れついていたらしい。神父様の推理通りだったわけだ。だが、ドミニクに取ってはもうどうでも良いことであった。なぜならば、彼の宝物の持ち手には注文通り、愛すべき友人のために「ドミニク・レヴァンス」と大きく名前が彫られてあったからである。
神父様は名探偵 久田高一 @kouichikuda
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