第108話 知らなかった一面
醜穢令嬢──それは、かつてアメリアに向けられていた蔑称だ。
十七年前、ハグル伯爵家の当主セドリックと侍女との不貞により誕生したアメリアは、母ソフィと共に離れでの軟禁生活を余儀なくされ、侍女や家族から虐げられながら育った。
また7歳の時に母ソフィが亡くなったことや、アメリアの存在によってハグル家の外聞が悪くなり、予定されていた陞爵が取り消されたこと。
それらの理由によって、アメリアに対する風当たりは一層強くなった。
加えてセドリックは、正妻リーチェの娘エリンの評判を上げ家の汚名を回復させるべく、アメリアを貴族社会から隔離する。
ボロボロの衣服を着せ、食事もロクに摂らせないことにより意図的に醜い容貌させられたアメリアは、15歳でデビュタントを果たした際、社交界の貴族たちから「醜穢令嬢」と噂される。
家族からも社交界からも存在価値を否定され、悲惨な日々を送っていた。
しかし、それも今は昔の話。
へルンベルク公爵家の現当主ローガンの元に嫁いだアメリアは、実家にいた時とは比べ物にならない待遇で迎えられる。
三食きちんと食事と摂れるようになり、無自覚に持っていた薬学に関する能力も認められ、少しずつ健康と人としての尊厳を取り戻していった。
最初は白い結婚のつもりだったローガンも、アメリアの明るく純粋な心根に徐々に絆されていき、やがて二人は心を通じ合わせる。
冬も深まってきた現在。
アメリアはローガンと共に、幸せな日々を暮らしていた。
◇◇◇
ライラの花屋からの帰りの馬車の中。
アメリアとローガンが肩を並べて座っている。
「ふーんふふーんふーん♪」
「上機嫌だな」
「そりゃあもう!」
ラッピングされた花を胸に抱えたまま、アメリアは弾んだ声で言う。
「シアンダとエルミちゃん! どちらもなかなかお目にかかる事の出来ない貴重なお花ちゃんですよ! 馬車の中じゃなければ喜びの舞を披露しているところです!」
馬車ごと燃えてしまいそうな熱量で語るアメリアの勢いに、ローガン少しだけ身体を引いた。
「相変わらず、植物愛が止まらないな」
「あっ、ごめんなさい、つい……」
「もう慣れている。気にするな」
相変わらずの鉄仮面のまま言うローガンだったが、その口元は僅かに笑みが浮かんでいた。
「ローガン様」
「む?」
「今日は、付き合っていただきありがとうございます」
「どうした、急に改まって」
「えっと、その……退屈だったんじゃないかと、思いまして」
アメリアが伺うように尋ねてくる。
意図を察したローガンは腕を組んでから言葉を口にした。
「確かに、花や植物に興味は無かったな」
がーん!
ローガンの淡々とした言葉に、アメリアがショックを受けた顔をする。
「そ、そうですよね! ごめんなさい、もっと早く切り上げた方がよかったですよね」
「早とちりするんじゃない」
「あうっ」
ローガンに額をつんっと突かれて、アメリアは思わず額を押さえた。
「『無かった』と言っただろう」
「あっ……過去形……」
「そうだ」
小さく頷いてから、ローガンは言葉を続ける。
「確かに、前まで植物にも花にも無関心だった。だが、アメリアと一緒に過ごすうちに変わっていった。様々な花や植物と接し、その知識を得る中で……奥が深いと感じるようになった」
蒼い瞳がアメリアの目を真っ直ぐ捉える。
「だから、今日は全く退屈では無かった。むしろ、また機会があれば行きたいと思ったくらいだ」
それは、嘘でもご機嫌取りでもない。
本心から紡がれた言葉だとアメリアはわかった。
瞬間、胸にぽかぽかと温もりが灯る。
「ふふっ」
思わず、アメリアはローガンに身を寄せた。
肩からローガンの温もりが伝わってきて、どことなく落ち着く。
「どうした?」
「なんでもありませんよー」
わざわざ言葉にするのはちょっぴり照れ臭かった。
常日頃から愛してやまない植物を、ローガンも好きになってくれている
それも、自分の影響で。
その事実だけで、表情の筋肉がゆるゆるになってしまう。
「そういえば、ローガン様は趣味などあるのですか?」
「ないな」
「即答!?」
「仕事が趣味なところがあるからな。それ以外の時間は基本的に、アメリアと過ごすようにしている」
「もっ、もーっ……」
不意打ちを受けてアメリアはほんのり頬を朱に染める。
「そう仰っていただけるのは嬉しいですが、そういうのではなくて……仕事が忙しくなる前は、空いた時間に何をしていたのですか?」
「そう、だな……」
ふむ……とローガンは顎に手を添える。
それからじっくりと、遠い昔を思い起こすように考え込んでから口を開いた。
「たまに、美術館に立ち寄ったりしていた」
「美術館!」
どこか非日常感のある響きに、アメリアの声が弾む。
「聞いたことはあります! 確か、昔の絵や彫刻とかがたくさん飾られている場所ですよね?」
「そんなところだ」
「美術館の、どういうところが面白いのですか?」
「歴史を感じられるところだ」
間髪入れずにローガンは答えた。
「歴史を感じられる……」
「ああ。美術館に展示されている作品は、単なる芸術品以上のものだ。過去の時代の文化や人々の生活や考え方、感じ方……そして作者の情熱や苦悩、政治的な背景が込められている。いわば美術館を訪れることは、時間を超えた旅をするようなもの。歴史に触れ、何かを学び、感じ取ることができる……それが美術館の面白さで……」
そこまで話したところでローガンはハッとして言葉を切った。
ゴホンと咳払いをして、どこか気恥ずかしげに
「すまない、熱が入ってしまったな」
「いえいえいえいえ!!」
ぶんぶんぶん!
勢いよくアメリアは首を振った。
「なんだか、植物のことを話してる私みたいですね」
「やけに嬉しそうだな?」
「そりゃあ、もう」
身体が自然と揺れた。
ローガンはあまり、自分のことを話さない。
何が好きで、何が嫌いなのか。
例を挙げろと言われても、出てくるのは両手で数えられるくらいだ。
だからこそ。
「好きな人の知らなかった一面を知れて、とても嬉しいですよ」
アメリアが言うと、ローガンはぽりぽりと首の後ろを掻いた。
そんな照れ隠しの動作すら愛おしい。
(そういえば……)
アメリアは思い出す。
(屋敷には色々な絵画が飾られているわね)
インテリアの一つとして、普段は気にも留めなかった絵画。
しかしローガンの話を聞くと、しっかりと家主の趣向に沿って存在しているのだとわかる。
「美術館、私も行ってみたいです」
気がつくと、ひとりでにそんな要望を口にしていた。
「きっと退屈するぞ?」
「大丈夫ですよ」
確信めいた笑顔で、アメリアは言う。
「好きな人が好きなものに、興味を抱かないわけがないじゃありませんか」
ローガンが息を呑む気配。
「私も、ローガン様の好きなものを見てみたいのです。ローガン様が、私の植物趣味に興味を抱いてくれたように」
その言葉に、ローガンの口角がほんの少しだけ持ち上がった。
しかしすぐに平静の表情に戻って。
「行くにしても、お茶会が終わってからだな」
「そっ、そうですね……」
お茶会、と聞いてアメリアの背筋がピンと伸びた。
エドモンド公爵家が開催するお茶会まで、あと7日。
ローガンの婚約者になって初めて、社交界に顔を出す機会であった。
おもむろにローガンは懐中時計を確認して言った。
「そろそろ来ているはずだ」
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