第107話 ライラのお花屋さんにて
へルンベルク家の屋敷は、トルーア王国の首都から少し離れた場所にある。
そこからほど近いサトラの町は、湖から引いた豊富な水源をもとに発展した、領地内で最も人口が多い町だ。
そんなサトラの町に、一軒のお花屋さんがあった。
「わああっーー……素敵……!!」
こじんまりとした店内に少女──へルンベルク家当主、ローガンの婚約者アメリアの明るい声が響き渡った。
ミルクのように白い肌、芸術家が手掛けたかのか見紛うほど整った顔立ち。
よそ行きのドレスを纏った身体は細いものの、へルンベルク家にやって来た時に比べると随分と健康的になっている。
背中まで下ろしたワインレッドの髪は、窓から差し込む陽光に反射し光沢を放っていた。
「いかがですか、アメリア様?」
人懐っこそうな笑顔で声をかけてきたのは、アメリアの侍女ライラ。
小柄な体躯に、幼さの残る顔立ち。爛々と輝く赤茶の瞳に、ハニーブラウンの髪。
屋敷ではメイド服を身に纏っているライラだったが、今日は小綺麗な私服姿だった。
「最高よ! まさに天国だわ!」
興奮冷めやまぬアメリアの瞳に映るのは、赤や黄色、青や紫など様々な季節の花たち。
木製の棚や吊り下げられた籠、至る所に花が見栄え良く飾られている。
甘い花の香りに土の匂いは思わず目を閉じてしまうような安心感があって、ずっと嗅いでいたくなった。
大の植物好きのアメリアからすると天国と形容する他ない空間だった。
「気に入ってくださって、良かったです」
ピクニックに連れて行ってもらった幼子のように喜ぶアメリア。
そんな彼女を見て、ライラは嬉しそうにしていた。
「ごめんね、お店の再開はまだなのに」
申し訳なさそうにアメリアは言う。
「本当ならまだ、お母様とゆっくりと過ごしていたでしょう?」
「とんでもございません!」
ライラが頭を振る。
「どこかのタイミングで、アメリア様をうちに招待したいと思っていたので、むしろ来ていただいて嬉しいです! ね、ママ?」
「もちろん」
店の花の手入れをしていた女性──ライラの母セラスが、手を止めてこちらにやってくる。
ぱっちりと開いた目元、明るめのブラウンの髪からはライラの面影を感じさせる。
『店で一番綺麗な花』とお客さんの間で専ら評判のセラスだったが、微かにこけた頬や、かさつきを残した肌からは、熾烈な闘病の残香が漂っていた。
「命の恩人の頼みだもの。お店の案内くらい、どうってことないわ」
そう言って、セラスはアメリアに向けた目をやさしげに細める。
暗に感謝の気持ちを伝えられて、アメリアは気恥ずかしそうに口元を緩ませた。
──数日前まで、セラスは紅死病と呼ばれる病魔に侵され生死を彷徨っていた。
鼓動が止まり絶望的な状況になるほど、一刻を争う事態だった。
しかし、アメリアが調合した薬によって間一髪一命を取り留める。
今やすっかり元気を取り戻したセラスは、お店の再開に向けての準備が出来るくらい回復を遂げていた。
そんなセラスにとって。アメリアは命を救ってくれた恩人であった。
「ちょうど、再開に向けて鼻のお手入れもしないといけなかったから、ちょうど良かったわ。今日はゆっくりと見て行ってね」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
ゆっくりと、アメリアは頭を下げた。
すると、ライラがアメリアの肩にパッと手を置く。
「ささ、アメリア様、どうぞどうぞ!」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
じゅるりと涎を垂らしそうになりながら、アメリアは店内を回る。
ライラのお店に並んでいる花たちはなかなかのラインナップで、アメリアは高揚感を隠しきれなかった。
「こ、この花はエルミ……! 確か、セレニア地方にしか咲かない希少な花よね?」
「そうです! 競り市で最後の一つが奇跡的に残っていたんです。ちなみにエルミには『祝福を招く』という意味があって、この花を玄関に置くと幸運が訪れるんですよ」
「へえ、それは初耳だったわ。わっ、これはシアンダ!」
色とりどりの花の中でも、ひときわ存在感を放つ大きな花を見つけアメリアは大きく目を見開く。
「これ、育成がとても難しいやつでしょう? 実物は初めて見たわ……」
「そうなんですよ〜。シアンダは根が繊細なので、過湿と乾燥のバランス、温度や日照時間も厳密に管理する必要もあるんですが……なんとかここまで育ってくれました」
立派に自立した娘を眺める母のように、ライラはそっとシアンダの花びらを撫でた。
「ライラの愛情の賜物ね」
まるで自分事のように、アメリアは目を細めた。
「あ、これは今が旬のユキアゲハ!」
「です! 冬の妖精ですよ〜!」
目についた花に感想を口にするアメリアに、ライラが解説をする。
二人とも植物に造詣が深く、出てくる言葉が途切れることはなかった。
まるで同じ学校に通う友人同士のように、花についてきゃっきゃと盛り上がるアメリアとライラ。
そんな二人の元に、入店を知らせる鈴の音が降り注ぐ。
「楽しんでいるようだな」
深みのある穏やかな声が、店内に優しく響く。
入店してきた人物を見て、アメリアの瞳に星屑が浮かぶ。
目を見張るほどバランスの取れた顔立ちに、長めに切り揃えられたシルバーカラーの髪。
薄く結ばれた唇は少々不満げに見えるが、アメリアはよく知っている。
それが彼の普通の表情で、決して怒っているわけではないのだと。
一際主張の強い蒼い瞳は美しさの中に鋭い知性が光っており、その双眸に見つめられると、その場から動けなくなってしまいそうだ。
ローガン・へルンベルク。
アメリアの婚約者にしてへルンベルク家の現当主である。
「ローガン様!」
たたたっと、ローガンの元にアメリアは駆けた。
「お疲れ様です。用事はもうお済みで?」
「ああ、先ほど終わった」
ゆっくりとローガンは頷く。
元々、サトラの町に用事があったのはローガンの方だった。
一帯を治める領主として、サトラの町長との定期会議があったのだ。
そのついででアメリアも同行し、ライラのお店を訪ねた、という経緯があった。
「ローガン様、凄くないですか? まさにお花の楽園ですよ!」
両手を大きく広げて言うアメリア。
「花屋は初めてだが、なかなか目を楽しませてくれるな」
「そうでしょう、そうでしょう」
うんうんと、アメリアは頷く。
「ライラのお店は珍しいお花もたくさんあって、とってもとっても楽しいです」
興味深げに店内を見回すローガンに、アメリアが弾んだ声で言う。
「気に入った花は見つかったか?」
「はい!」
しゅばっと風のような速さで、アメリアはある花の前にやってくる。
「見てください! この花、ローガン様に似ていませんか?」
そう言って、アメリアは先ほどライラと盛り上がった花、シアンダを指出した。
シアンダは青く鋭利な花びらが特徴的な花だ。
茎は純白色で、形状はどこかエッジがかかっており、まるで精密なカットを施された宝石のような洗練された美しさを放っている。
「そう、か?」
似ていると評されたローガンはどこかピンと来ていない表情。
「青と白の色味といい、鋭敏な佇まいといい、ローガン様そのものですよ!」
「なるほど……そう言われると共通点がある気がしないでもない」
ふむ、と顎に手を添えてローガンは頷く。
「せっかくなので、買っていくか?」
「良いんですか?」
「今さら遠慮するな」
「あ、ありがとうございます……」
くるりとライラの方を向いて、アメリアは口を開く。
「というわけで、シアンダを一つ買いたいわ」
「毎度ありがとうございます! ……と言いたいところですが」
ライラがちらりとセラスの方を見遣る。こくりと、セラスは頷いた。
「お代は大丈夫ですよ。好きなだけ持って行ってください」
「ええっ。そんな、悪いわ」
ライラの言葉にアメリアはぶんぶんと首を振る。
「ただでさえシアンダは育成が難しい、貴重なお花なのに……」
「お金を貰うなんて、とんでもございませんよ」
アメリアの目をまっすぐ見て、セラスは言った。
「繰り返しになりますが、アメリア様は私の命の恩人です。私たちがアメリア様に出来る恩返しはこのくらいなので、遠慮しないでください」
「で、でも……」
逡巡する表情を見せるアメリアに、ライラが言葉を重ねる。
「それに、アメリア様のような心から植物を愛している人に迎えられたら、シアンダも喜ぶと思います! ぜひ連れて帰ってあげてください」
二人に言われてアメリアは「うう〜〜……」と悩んでいる様子だったが、やがて「わかったわ」と口にして。
「ありがとう、ライラ、セラスさん。では、お言葉に甘えて……」
真っ直ぐな好意を断るほうが、相手の気持ちを裏切ることになる。
へルンベルク家に来て、何度か経験してきた事だった。
「いえいえ! ありがとうございます、アメリア様」
深々と、ライラは頭を下げた。
その後、手慣れた様子でライラはシアンダをラッピングしてくれた。
「どうぞ!」
「ありがとう、ライラ」
綺麗にラッピングされたシアンダを抱える。
スッと息を吸い込んでみると、ふわりと甘い香りが鼻腔を満たし、アメリアは思わず頬を綻ばせた。
「良かったな」
「はい!」
満面の笑顔を浮かべるアメリアを見て、ローガンも小さく笑みを漏らした。
そんなローガンにライラが進言する。
「せっかくなのでローガン様も、いかがですか?」
「俺もか?」
「はい! 気に入った花があれば、ですけど」
「……そうだな」
ライラに促されて、ローガンは店内を回る。
しばらくして、エルミの前でローガンは足を止めた。
「なかなか、綺麗な花だな」
エルミは明るいレッドカラーの花びらを持つ、掌ほどの大きさの花だ。
繊細な花びらは重なり合って対称的な形を成し、中心部の濃い色が鮮やかなコントラストを生み出している。
太陽の光に照らされると宝石のように煌めくことで有名だ。
「きらきらしていて、部屋に置くだけで雰囲気が明るくなりそうですよね〜」
「そうだな。まるで……」
アメリアの瞳を捉えて、ローガンは呟く。
「君のようだ」
はっきりとした言葉に、アメリアの喉が変な音を立てた。
それからすぐ、アメリアの頬がエルミの花びらと同じ色になる。
「あっ、あの……えっと、ありがとうございます……」
視線を下に向けて彷徨わせるアメリア。
口にした方も気恥ずかしかったのか、ローガンは軽く耳の後ろを掻く。
そんなやりとりをする二人を、ライラとセラスが「まあっ……」と微笑ましげに眺めていた。
ローガンがエルミの花に決めたことは、言うまでもない。
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