第99話 絶対に認めない
悲鳴にも似たライラの言葉に、アメリアとウィリアムはすぐに返答する事が出来ない。
最初に口を開いたのはシルフィだった。
「ライラ、何があったのかはわからないけれど、ひとまず話は後にしましょう。今はアメリア様とウィリアム様の大切な時間よ」
一見冷たそうに聞こえるシルフィの言葉からは、事を荒立たせない最大限の配慮が伺えた。
一介の侍女に過ぎないライラが、当主の婚約者の時間を邪魔するなどあってはならない事だ。
良くて職務停止、下手したら解雇されるほどの大事である。
ライラへの懲罰を最小限に抑えるよう、ひとまずこれ以上時間を奪わないために部屋への退室を促したシルフィであったが。
「いいえ……どうしても二人に頼みたいことがあるのです……!!」
ライラはそう言って、頭を下げたまま動こうとしない。
自分がどうなってでも伝えたいことがある。
そんな覚悟を、アメリアはライラから感じ取った。
「ライラ、いい加減に……」
「シルフィ、いいわ」
「アメリア様……」
困った顔をするシルフィに構わず、アメリアはウィリアムに尋ねる。
「ウィリアムさん、ごめんなさい。少し、授業を中断して頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ」
事の成り行きを見ていて、アメリアと同じ考えを持ったであろうウィリアムは冷静に言う。
「むしろ私も話を聞きたいです。専門外かも知れませんが、何か力になれるかもしれません」
その言葉を聞いて、ウィリアムが家庭教師でよかったとアメリアは思った。
膝を折り、アメリアは目線をライラと同じ高さにする。
「それで……ライラ、どうしたの? ゆっくりでいいから、話してみて」
優しくアメリアが語りかける。
焦り、罪悪感、悲壮感、そしてどこか救いを求めるような期待。
面を上げたライラの顔は、さまざまな感情が滲んでいた。
「ありがとうございます、アメリア様……」
そう口にして、ライラは立ち上がり、説明を始めた。
「実は、母が一ヶ月くらい前から『紅死病』を患っていまして……」
応接間の空気に、糸を張ったような緊張が走る。
紅死病──その名の通り、全身に『赤い痣』が広がることから付けられた病気。
放っておくと痣は徐々に広がり全身が紅くなっていく。
そして最悪の場合は命を落とすという恐ろしい病気だ。
「どの医者にかかっても、治す方法はない、自然に回復することを神に祈るしかないって言われました……でも、母の痣は日に日に大きくなっていって、体調も悪くなるばかりで……」
ライラの声は、思い出すのも辛いとばかりの悲痛を滲ませていた。
アメリアの過去の記憶が蘇る。
──私も、お母さんが植物好きで、子供の頃から色々教えてくれたの。ライラも、お母さんが植物好きとか?
──お母さん……。
(あの時の、ライラの浮かない顔は……そういう、事だったのね……)
合点がいって、アメリアは深い納得を覚えた。
……同時に、ずきんと、アメリアの胸に痛みが走る。
(な、なに、今の……)
困惑するアメリアの一方で、ライラは話を続ける。
「昨日、お二人の話を聞きました……最近開発された新薬があれば、紅死病を治すことができるって……」
決意を宿した瞳でアメリアとウィリアムを見遣って。
「使用人の分際で盗み聞きをしてしまって、本当に申し訳ございません! でも本当に、お二人にしか頼ることができなくて……不躾なお願いだという事は百も承知ですが、その新薬を母に使っていただく事はできないでしょうか……!? お金はどうにか工面しますので、どうか……!!」
深々と、ライラは頭を下げて言った。
誰が聞いてもわかる、心の底からの懇願。
「話してくれてありがとう。とても……辛くて、大変な状況なのね」
「アメリア様……」
優しい共感に、ライラは今にも泣きそうな顔をする。
「ただ私には、その新薬を扱うことは出来ないの、だから、その……」
アメリアがウィリアムに視線を投げかける。
ウィリアムは意図を察したようだったが、難しい顔をしていた。
先ほどは力になりたいと口にしていたものの、『紅死病』の単語が出てきたあたりから難色を示している。
「お話してくださりありがとうございます。状況はわかりました、ただ……」
ライラから目を逸らし、言いづらそうにウィリアムは言葉を落とす。
「確かに、紅死病に有効な新薬は最近、開発されました。ただ、お母様にそれを服用していただくのは、厳しいと思います……」
「そ、そんな……」
ウィリアムの言葉に、ライラの表情が絶望に染まる。
「な、なぜなんですか……?」
「それは……」
外部に漏らしてはならない情報なのか、あるいは言葉にするが憚られるのか。
食い下がるライラに、ウィリアムは口を閉ざしたままだった。
そんな中。
「新薬に使用されているザザユリが、非常に入手困難な植物だから」
ぽつりと、アメリアが言った。
「多分、そうですよね?」
同意を求めてくるアメリアに、ウィリアムは目を見開く。
「なぜ、それを……? 昨日、ザザユリについては初耳だと仰っていたような……」
「えっと、昨日と今日にかけて勉強しました……わからないことを、わからないまま放っておくのは、気になって仕方がなかったので……」
昨晩、夕食後に書庫に赴いて。
そして今朝、起きてからシルフィが来るまで。
アメリアは、ザザユリについての知識をひたすら頭に入れていた。
「……アメリア様には、驚かされてばかりですね」
感嘆の息を漏らした後、観念したようにウィリアムは説明を始めた。
「仰る通り、新薬をお渡しできない理由はザザユリの希少性にあります。そもそもザザユリは、トルーア王国内では採取できない植物……ラスハル自治区という紛争地域で、兵士たちの傷をより早く治す薬草として生み出された人工の植物です」
スラスラと、ウィリアムの口から言葉が並べられていく。
「そんなザザユリは、トルーア王国がラスハル自治区への派兵を定期的に行なっている見返りから、一定量の輸入を許されていたました。その一部が大学に搬入され、当時開発していた紅死病の薬に加えたところ効果が確認された、という経緯があります」
そこから、ウィリアムの言葉に曇りが差す。
「しかし、ラスハル自治区はここ数年、紛争が激化していてザザユリの輸入どころではなくなりました。自国内で培養させようにも風土や環境の違いか、なかなか成功せず……」
植物の生育は非常に複雑で、微妙な条件の違いが生育に影響を与える。
土壌の酸度や肥沃度、適切な湿度と光照射時間、気温の変動範囲などなど。
これらの中でひとつでも条件が揃わなければ、植物はうまく育たないどころか、種子が発芽しないことすらある。
目に悔しさを滲み出しながら、ウィリアムは続ける。
「そのため、国内に存在するザザユリの量には限りがあり、生産できる新薬の数も国内の紅死病の患者数に対しては圧倒的に足りません。しかし、ライラさんのお母様と同じように紅死病の治療を待ち望んでいる人たちはたくさんいる……となると、どうなるか……」
あまり口にしたくない、社会の残酷な事実をウィリアムは口にした。
「新薬の開発も慈善事業ではなく、相当な費用がかかります。財政的な視点を重視した上の判断によって、地位が高く大金を支払える、主に有力貴族から優先的に薬を回すことになりました。そのため、現在国内に存在している紅死病の特効薬は全て契約者が決まっていて、新規の受付はしていない状態です。ラスハル自治区からのザザユリの輸入再開目処がそもそもいつになるか、未定のままなので……」
ウィリアムが説明を聞き、理解したライラは呆然としていた。
「そん、な……」
がくりと、ライラが膝を折ってへたり込む。
やっと口にした言葉は、湿り気を帯びていた。
希望の光が見えたかと思いきや、再び暗澹とした闇に突き落とされたのだ。
その絶望感は計り知れない。
「ごめんなさい、ママ……本当に、ごめんなさい……」
ぽた、ぽた、と床に光るものが落ちる。
涙に濡れたライラの言葉だけが、空気を震わせていた。
シルフィもかける言葉が見つからないのか、悲痛そうな表情で押し黙っている。
応接間は、暗闇に包まれた海の底のような重苦しい空気に包まれていた。
「力になれず、本当に申し訳ございません……」
ライラのそばに膝を折り、ウィリアムが絞り出すように言う。
「なんとか代用できる植物がないか……ザザユリに依存しない製法で薬を作れないかと、私を含め研究者たちは日々、様々な植物や薬を掛け合わせて開発に当たっています。しかし、未だに同じ効果を持つ薬はできておらず……」
ぎりりと、ウィリアムは拳を握り締めた。
今目の前にいる、薬を求めている少女に何もすることができない。
研究者として、これほど悔しい事はないだろう。
──しかし、ウィリアムよりも悔しい思いをしている人物がいた。
(何よ、これ……)
どくん、どくんと、心臓が大きく脈打つ。
身体中を鈍い鎚で打たれたような感覚。
頭の奥が、じんじんと痛み始めた。
──お願い! お母さんを助けて……!!
──フン! くだらん、そんなことに我が家の大事な金を使うわけないだろう!
──治療にも薬も馬鹿にならないお金がかかるの! 穀潰しのお前たちに買い与えるなんて、本気で思っているの!?
思い出したくない声が、光景が、フラッシュバックのように蘇る。
(私のお母さんも……お金がないからって、治療をさせてもらえなかった……)
それは、ライラが平民で、大金を払える身分じゃない故に薬を手に入れられない、今の状況に似ている。
せっかく治療薬があるのに、救える命があるのに。
お金が理由で、それが叶わない。
その現実に、アメリアの腹底から燃えるような感情が湧き出てきた。
激情はあっという間に身体中を駆け巡って、アメリアに計り知れない力を与える。
「……認めない」
「アメリア様?」
キッと、アメリアは瞳に力を込めて。
「そんなの……絶対に、認めない!!!!」
普段、温厚なアメリアから出たとは思えない強い言葉。
次の瞬間には、アメリアは駆け出していた。
「アメリア様!? どこへ行かれるのですか!?」
シルフィの声も、呆然とするウィリアムとライラも置き去りにして、アメリアは応接間を飛び出した。
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