第73話 街で流行っている病

 本日の執務室は心なしか、いつもより緊張感が漂っていた。


「ローガン様、こちらを」


 明日の仕事を円滑に進めるべく、書類を整理していたローガンにオスカーが羊皮紙を差し出す。

 紙にはここ最近、領地内で流行り始めている病に関する情報が記されていた。


「紅死病……初めて聞く名だな」

「なんでも国外から来た病で、王都では無視できない被害者が出ているとか」


 真剣な表情でオスカーが続ける。


「我が領地内で確認された患者の数はまだ少数ですが、対策を講じるに越したことはないかと」

「ふむ……」


 資料をじっくり眺めた後、ローガンは言う。


「ひとまず、医師団に予防策と治療法の検討の文を送ってくれ。また、領地民への情報提供を図るべく、町の広場や教会に告知と配布を頼む」

「かしこまりました」


 オスカーが恭しく頭を下げる。


「大事にならないといいがな……」


 そう言った後、ローガンは大きなため息をついた。 

 しばらくして、オスカーが再び口を開く。


「話は変わりますが……ローガン様、先ほどから何やら難しい顔をしておりますな?」

「ここ最近、仕事の量を減しているから顔色は良いはずなんだがな」

「疲労とは別の……推測ですが、アメリア様に関する心配事でしょうかな」


 ローガンの眉がピクリと動く。


「やはり、わかるか」

「長い付き合いですので」


 ほっほっほと、オスカーが優雅に笑う。

 椅子に深々と腰を埋め、大きく息をついてからローガンは口を開いた。


「アメリアに提案したのだ。アメリアの持つ調合能力を、何かに役立ててはどうかと」

「ほう、ついに」


 スッと、オスカーが目を細める。驚きと、期待が混じった瞳。


「決断の早いローガン様にしては、時間を要しましたね」

「多忙を言い訳にしたいところだが……俺の中で、考えと気持ちの整理がつかなかった事が大きな原因だろう」

「無理もありません」


 目を伏せ、オスカーが首を振る。


「アメリア様は境遇にそぐわぬ、凄まじい能力をお持ちです。下手すると国全体に影響を及ぼしかねない彼女の力の取り扱いには、細心の注意を払うに越したことはないかと」

「違いない」

「それで、アメリアはなんと?」

「考えさせてほしい、とのことだ」

「なるほど」


 顎に手を添えて、「ふむ……」とオスカーは考え込む。


「アメリア様自身、まずは自分の力を受け入れることが先決ですな。おそらく自覚はなかったでしょうから」

「清々しいほど無かったな。末恐ろしいよ、本当に」


 ローガンは続ける。


「道筋を提示するのは、少し早かったかもしれない。しかし、アメリアの力を早く役立てたいという思いもあった。アメリアは、公爵家のいち夫人に収まる器ではないからな」

「仰る通りです」

「だが大前提として、アメリアには、アメリア自身がしたいと思うことをしてほしい。彼女の意思を第一に優先してほしい、という気持ちがあった。彼女の力を使ってどうこうしようという気は全くないからな。だが……」


 眉間に皺を寄せ、ローガンは言う。


「それがむしろ、アメリアにとって難しいことだったかもしれないな」

「そうですね……」


 顎に手を添え、考え込んでからオスカーは言う。


「ただの推測でしかないですが、アメリアは自分で物事を決断することが苦手に思えます。今までの家庭環境を鑑みると、周りに言われるがままに行動する方が性に合っていたのかと」

「それは間違いない。だから今、俺の余計な気遣いのせいでアメリアが思い悩んでいると思うと、非常に申し訳ない気持ちだ」


 大きなため息をつき、気が気でない様子のローガンにオスカーは目を細める。

 そして、小さく呟いた。


「……本当に、優しい子に育ちましたね」

「何か言ったか?」

「いいえ、なにも」


 ほのかな笑みを浮かべたまま、オスカーは小さく首を振った。


「ただ、アメリア様については、心配ないと思いますよ」

「その根拠は?」

「確かにアメリア様は自己主張が乏しく、自分の行く末を決める事が苦手かもしれません、ですが……彼女には元来、誰にも負けない強い芯がございます」

「強い芯」

「ええ」


 以前と比べすっかり良くなった腰を見遣って、オスカーは言う。


「誰かの役に立ちたい、という素晴らしい芯です」

「…………なるほど」


 オスカーの言葉はすとんと、ローガンの胸に落ちた。


 アメリアが、誰かのために自分の身を犠牲にするのも厭わない、優しい子であることは周知の事実だ。

 確かにその点において、アメリアの信念は一貫していると言えよう。


 その時、ノックの音が部屋に響いた。

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