第58話 シャロルという御人
ローガンからキャロル改めシャロルの正体を明かされ、アメリアは絶句した。
へルンベルク家の先々代当主の夫人。
先の大戦で大きな功績を収めた“軍神”の一人。
そして、当時伯爵家だったへルンベルク家を公爵家に陞爵した人物……。
とんでも凄すぎる経歴の持ち主に、頭が完全に置いてけぼりになった。
(……あ……でも、そっか……)
振り返ってみると、様々な点に合点がいった。
もともとへルンベルク家は武術の家系というのもそうだし。
シャロル自身とても引き締まった体格をしているのも、アメリアが池に落ちそうになってシャロルが助けてくれた際やけに強い力に感じたのも、身体の使い方を云々とか言っていたのも。
全てシャロルのバッグボーンを聞くと納得だ。
初めて出会った大浴場で目にした、シャロルの肌に刻まれていた傷はおそらく今までの戦いによって出来たものだろう。
自然と湧き出た疑問を、アメリアはシャロルに投げかけた。
「何故素性を明かさなかったのですか、シャロルさん……あ! 大変申し訳ございません! シャロル様……!!」
「それじゃよそれ」
慌てて地に伏せようとするアメリアを、シャロルがぴっと指差しつまらなそうに言う。
「やれ軍神だの英雄だの、誰もかれもわしを神か何かと勘違いしているようでの、話にくいったらありゃせん。わしはもう引退の身で、ただの老ぼれに過ぎん。にも関わらず、皆妙によそよそしいというか、距離を感じてのう……そういうのが嫌だったんじゃ、だから明かさんかった」
「そういう事だったのですね……」
納得した。
引退の身とはいえ、確かにこれだけの経歴の持ち主だと周囲からは恐れ多くて最大限の気を遣われてしまうだろう。
「この歳になると、気兼ねなく話せる相手というのもめっきり減っての……ちょうど、外からわしの素性を知らなそうなお嬢さんが嫁ぎに来たと聞いて、これは幸いと思ったのじゃ」
「それはとても光栄ではありますが……でも、私で良かったんですか?」
「さあ?」
「さあ、って」
「わしが良いと思ったから、良いのじゃよ。そこに小難しい理屈は必要ない」
「なるほど……そういうものなのですね」
「そういうものじゃ」
シャロルは満足そうに頷く。
「と、いうわけじゃ。だから今まで通り、シャロルさんで呼んでおくれ」
アメリア個人としてはそう呼びたい所ではあった。
けど、いいのだろうかとアメリアはローガンを見る。
「お祖母様、それは……」
ローガンは苦い顔をしていた。
「なあに、流石に公の場でまで呼んでもらおうとは思わぬよ。この家でだけで良い。まさか使用人からの見え方がどうとか、つまらぬ事は言わぬな? 当主なんじゃから、屋敷内にそのくらいの特例周知は出来るじゃろう?」
「出来はしますが……」
「それに……お主はわしに大きな借りが出来たじゃろう?」
「ぐっ……」
痛いところを突かれた、とばかりにローガンが言葉を詰まらせる。
「借り、ですか?」
アメリアが尋ねると、シャロルは種明かしと言わんばかりに説明を始めた。
「アメリアが侍女に暴行を受け、絶体絶命の大ピンチという時に何故都合良くローガンが現れたのか、不思議に思わんかったか?」
ちりんと、シャロルが懐から鈴を取り出した。
先日見せてくれた、シャロルがいつも持ち歩いている大きな鈴。
「あっ……」
思い出す。
メリサに組み敷かれている時、この鈴の音が聞こえた事を。
その音を聞きつけてローガンが駆けつけてくれたのだろうと理解し、アメリアはバッと頭を下げた。
「ほ、本当にありがとうございました……!! おかげで助かりました!」
「そうかしこまらんで良い良い。お礼はこれまで通りに接する事……いいな?」
「はい……!! ありがとうございます、シャロルさん」
「うむ」
シャロルがローガンの方を見る。
ローガンは深いため息をついた。
「……わかりました。もう、好きにしてください」
「くくく、それで良い」
満足そうに頷くシャロルに、ローガンが尋ねる。
「というか、私を呼んでる暇があったら何故先にアメリアを助けなかったのですか? お祖母様ならあの侍女など一捻りでしょうし」
実際、一捻りどころか瞬殺だったわけだが。
シャロルは「なんじゃ、わからんのか」と言い置いて言葉を並べる。
「アメリアのことはオスカーからよく聞いておる。ハグルの家でどのようなことがあって、どのような経緯でここに来て、どんな日々を送っているのか。そして、アメリアがどんな性質の持ち主で……どんなコンプレックスを持っているのかもな」
その言葉に、ローガンはハッとする。
「……まさか、あえて静観していたと?」
にやりと、シャロルは笑った。
「アメリアは変わろうとしていた。ずっと逆らえなかったあの侍女に抗おうと、自分を変えようと必死にもがいていた……そんな中、わしが助けに行くのは無粋じゃろう?」
息を呑んだ。
全て計算の上での展開だったのかと、アメリアは戦慄する。
一体どこまで深く考え、行動していたのか。
シャロルという人物の底知れぬ能力に、アメリアは思わず身震いをした。
「もちろん、事がうまく丸くなるようにちゃんと計算はしていたぞ? あの場はローガンが来た方が、後々を考えると良かったしのう。どのタイミングで鈴を鳴らせば良いか、どのくらいでローガンがここへ来れるか諸々も含めてな……こういった頭の使い方は久しぶりじゃったな、昔を思い出すわい」
また、くくくと笑うシャロル。
先の大戦の“軍神”と呼ばれていた時代を思い出しているのだろうか。
「……まあ、激情して殴りかかってくるとは流石に予想できんかったがな。でも、結果としてスッキリしてよかったろう? お主も、内心はあの侍女を殴りたくて殴りたくて仕方がなかったのじゃろうしな?」
お見通しじゃ、と言わんばかりにシャロルは言う。
ローガンもお手上げとばかりに両手を上げ、やれやれと笑みを浮かべた。
「全く……お祖母様には敵いません」
「当たり前じゃ。お主がわしに勝てた事など一度もなかろうに。そうじゃ、久しぶりに剣術の稽古をつけてやろうか? もちろん、体術も格闘術もなんでもアリのな」
「遠慮しておきます。この季節に、あの池の水は堪えそうです」
「なんじゃ、つまらんのう」
軟弱者めと、シャロルは息をついた。
どことなく楽しそうな表情で。
「……まあ、そもそもの話。わしがここまでしたのは、ひとえにアメリア自身の行動の結果じゃがな」
「えっ」
急に話を振られて素っ頓狂な声が漏れてしまう。
「それは、どういう……」
ぶんっと、シャロルが拳で風を切った。
食らったら先程のメリサのように吹っ飛んでしまうとわかるほどの、鋭い一撃。
「王城の近衛騎士団どもを鍛えている時に不覚をとってのう……肩を痛めていたのじゃが、アメリアの薬でとても良くなった。お主のおかげでまだまだ現役を続けられそうじゃ。ありがとう、アメリア」
生きる伝説に頭を下げられ、慌ててアメリアもそれ以上深々と頭を下げようと思ったが。
──今まで通りに接する事……いいな?
その言葉を思い出し、代わりにアメリアはとびきりの笑顔を浮かべて言った。
「どういたしまして、シャロルさん」
善かれと思ってやった事が、巡り巡って誰かを助け、結果的に自分も助けられる。
これをいわゆる、助け合いというのだろう。
(役に立てて、良かった……)
嬉しい。
アメリアは心からそう思った。
「さっき引退って言ってませんでしたっけ?」
「やかましいわ」
ローガンのツッコミにシャロルが返す。
二人の関係がどれほど深いものなのか、そのやりとりを見れば充分だった。
先日訪れたあの池で。
幼きローガンにシャロルが稽古をつける光景が目に浮かぶようで、なんだか微笑ましい気持ちになる。
「さてさて。わしの役目も終わった事じゃし、そろそろお暇するかのう」
「王城に戻られるのですか?」
「いいや、その前に風呂じゃ。久しぶりに良い運動もした事じゃし」
ニッと笑って、シャロルが言う。
強くて、聡明で、だけどどこか自由な老婦人、シャロル。
彼女のような人間になりたいと、アメリアは憧れの感情を抱いた。
「ああ、そうそうローガンよ」
「なんでしょう、お祖母様」
「前々からお主には女っ気がなくて心配しておったが、中々の成長を見せてくれるではないか。わしは安心したぞ」
「急に話が飛びましたね……ちなみに、それはどういう意味でしょうか?」
ローガンが訝しげに尋ねると、シャロルはアメリアの方を……正確には、アメリアがずっと手に握っているモノを見て言った。
「アメリアへの贈り物に“クラウン・ブラッド”のペンダントとは、良い石言葉のセンスをしておる」
シャロルが言うと、ローガンは気まずそうに目線を逸らした。
代わりに、アメリアが尋ねる。
「どういう石言葉なのですか?」
「なんじゃ、聞かされてなかったのか。そういうところじゃぞ」
「……放っておいてください」
居心地悪そうにローガンが顔を逸らす。
代わりに、シャロルが言った。
「クラウン・ブラッドの石言葉は……“勇気”」
「“勇気”……」
「そう。まさに、今のアメリアにぴったりじゃな」
──石言葉も、今の君に合っているかもしれない。
ローガンの言葉を思い出し、アメリアは胸がいっぱいになった。
大事そうにペンダントを胸に抱くアメリアに、シャロルは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべて。
「……ちなみに、クラウン・ブラッドの石言葉はもう一つあってのう」
「もう一つ、ですか?」
「そう、もう一つは……」
ちらりと、ローガンを見やって。
「そこの色男に直接聞けば良い」
そう言い残し、シャロルは歩き去っていった。
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