第57話 因果応報

(キャロルさん……なぜここに……?)


 突然の登場に狼狽えるアメリアだったが、先日キャロルが池で『庭園を散歩するのが日課』と言っていたのを思い出し合点がいく。


 キャロルは、先日アメリアと池で会った時と同じく使用人が着ているような簡素な服装だった。

 一見すると庭園を整える庭師にしか見えない。


「証人ならここにおるぞ」


 そんな(見かけは)老人のキャロルから放たれた言葉に、メリサの心臓は今度こそ静止した。


(まずい……まずい……)


 もはやメリサは生きた心地がしなかった。


「途中からじゃが、ばっちり見ておった」


 ゆっくりと、キャロルが歩いて来ながら言う。


「そこの侍女が、アメリアのペンダントを無理やり強奪しようと押し倒し……」


(まずいまずいまずいまずい……!!)


 絶対に出るはずがないと踏んでいた第三者の証言は、これもメリサの『出てほしくない』という願望から生まれたお得意の思い込みに過ぎなかった。


 へルンベルク家の敷地は広いとは言え、公爵家という事もあり出入りする者も少なくない。


 普通に、目撃者がいてもおかしくないのだ。


「アメリアが必死に抵抗しているのを押し込んで、侍女はペンダントを無理やり引きちぎった、そして……」


 キャロルが言葉を並べていくにつれ、ローガンの形相が物凄いものになっていく。

 もはやメリサの投獄、そして地獄のような処罰は確定的なものになった。


(私は悪くない……悪くないのに……!!)


 この期に及んでそんなことを思うメリサ。


(なんとかしないと、なんとかしないと……でもどうやって……?)


 第三者の証言まで揃ったらもう、覆すことは不可能に近い。

 それも、相手は貴族界きっての切れ者と名高いローガン公爵だ。


 不可能だ。


(こんなこと……起こっていいはずがない……!!)


 浅くなる呼吸。

 ぐらぐらと揺れる視界。

 もう服は汗でびしょびしょだ。


 嫌だ嫌だと、メリサの往生際悪い心が駄々をこねる。


 この場から逃げてしまおうか、という思いつきも却下。

 ローガンからは逃げられないだろうし、自分の行いの全てを認めたことになる。


 逃亡した罪も加算されてしまうだろう。


 もう、詰み。


 それを確信した、その時。

 

(やってないで押し通せると思ったのに……通せなくても、少しは猶予が生まれると思ったのに……)


 ローガンが相手では実際無理な話だったが、メリサはそれを認めない。


(それなのに、最後の最後に全て滅茶苦茶にしやがって……)


 使用人らしき老人……ババアさえ出てこなければ……!!


 メリサの絶望は憤怒となって、全てをぶち壊したキャロルに対して注がれた。

 

 完全な八つ当たりである。


「挙げ句の果てに、そこの侍女はアメリアに馬乗りになって手を振り上げ……」

(このババアだけは、絶対に許さない……!!)


 “そこら辺のたかが庭師に私の人生を破滅させられた“と、メリサは業火の如き怒りを抱く。


 自分より弱い者に舐められるのが何より許せない性質と、怒りに支配されると理性的な判断ができなくなる性質、そして追い込まれ全ての余裕がなくなったその結果……。


「……だまれ」


 メリサにかろうじて残っていた、最後の理性がぷつんと切れた。


「おお、どうした? 何か言ったかのう?」

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!」


 ギンッ!! 


 メリサの双眸に殺意の炎が灯り──。


「だまれえええええええええぇぇぇぇああああああぁぁあぁぁ!!!」


 地獄の雄叫びと共に駆けた。

 このクソババアだけは生かしておけないという、ただ一つの衝動だけに突き動かされて。


 ドスドスドスドスッと大きな身体を揺れ動かしながらキャロルの方へ全力疾走するメリサの姿たるや餌に突進する豚の如し。


 冷静な思考を全て失い後先なんてミリも考えず、ただただ怒りの感情を発散するためだけに取った行動。


 メリサの、最後の最後の醜い悪あがきだった。


 突然のメリサの凶行に、アメリアもローガンも咄嗟に動くことができない。


「キャロルさん……!!」


 やっとのことで、状況を理解したアメリアが悲鳴に近い声を上げる。


 そんな中……ローガンが、呆れたように息をついた。


 まるで『その猛獣だけには近づいてはいけないと、忠告をしたのに』と言わんばかりに……。


「死ねえええええええぇぇぇぇぇぇぇえええぇぁあああああああぁぁぁぁ!!!!」


 言葉になってない奇声を上げながら、メリサがキャロルをぶん殴らんと拳を振り上げる。

 もう距離は幾ばくもない。


「キャロルさん!! 逃げて!!」


 アメリアの悲鳴。

 体格差で言うと圧倒的に大きなメリサが、キャロルの眼前に迫り──。


「逃げる?」

 

 にやりと、キャロルが口角を持ち上げて。


「誰に言ってるのじゃ?」


 振り下ろされるメリサの拳。


 ──瞬間、キャロルの身体が残像のようにズレた。

 

「……えっ……!?」

「遅い」


 メリサの初撃を、身体を少しだけ横に移動する事で回避。

 驚愕に染まるメリサの頬に、キャロルは目にも止まらぬ速さで肘を打ち込んだ。


「うごぁっ……!?」


 ゴキボキイッと嫌な音。

 横に吹っ飛ぶメリサの口から血飛沫と折れた歯が舞う。

 

「ぃ……あ……?」


 突然の出来事で脳が追いつかぬまま地面に倒れゆくメリサの顎下を、いつの間にか移動していたキャロルが思い切り蹴り上げた。


「ぐほえっ!?」


 バギンッグシャアッと、またまたいやーな打撃音と肉が潰れるような音。

 どばあっとメリサが吐血する。


「攻撃を受けてからのケアも遅い」


 のけ沿った姿勢でそのまま倒れようとするメリサの髪の毛を、前から乱暴に掴み自分の顔の前に引き寄せるキャロル。


「ひっ……」


 歯の大半を失い、だらだらと口から血を流すメリサ。

 もはや彼女の戦意は微塵も残っていなかった。


「冥土の土産に良いことを教えてやろう」


 にっこりと笑って、キャロルは言う。


「アメリアはわしの大切な友人でのう……」


 弾んだ声、からの低い声。


「お主がアメリアに行ってきた仕打ちに、わしも底知れぬ怒りを覚えているのじゃ」

「っ……」

 

 悲鳴をあげることすら許されないほどの、殺気。


 数え切れぬほどの戦いと血みどろの世界を渡り歩いてきた者しか発せない、“本物の殺気”だった。


 ──殺される、とメリサは思った。


 思考が、恐怖一色に染まる。


「やめ……て……ゆ……るして……」


 やっとのことで口にできた命乞いを嘲笑うかのように、キャロルはぐぐぐっと拳をセットする。

 年季の入った皺に混じって、びきびきいっと幾重もの血管が拳に浮かんだ。


「お主に虐げられている時、きっとアメリアも同じことを言っていたと思うぞ? それでお主は手を止めたのか?」


 静かな怒りを灯した言葉に、メリサは何も返す事ができない。

 

 過去の自分は……手を止めることはなかった。

 嘲笑い、虐げ続けた。


 因果応報、自業自得。

 

 ここまできてようやく、メリサはそれに気づくことが出来た。


 だが、もう遅い


「アメリアの痛み、身を以て思い知れ」


 目にも止まらない最後の一撃は、まっすぐとメリサの顔面を捉えた。


 ドンッッ!! 

 と何かが爆発したような音と一緒に、ぶちぶちぶちぶちいっとたくさんの髪の毛が引きちぎられる音が弾ける。


 大きな馬に思い切り蹴り上げられたかの如く、メリサの巨体は紙人形のように吹き飛んだ。


 メリサの身体は二、三度バウンドした後、大きな木にぶち当たって動かなくなる。


 身体中、泥だらけ傷だらけ。

 バウンド中に折れたのか、腕や足も変な方向に曲がっている。


 特に顔面は原型がわからないほど悲惨な事になっていた。


「良かったのう、少しだけ身軽になったぞ」


 最後にそう言って、キャロルは手に残されたメリサの髪の毛をぱんぱんと払った。


(……今、何が起きたの?)


 一方で、目の前で繰り広げられた状況に理解が追いついていないアメリア。

 倒れたままピクリとも動かないメリサを見て、思わず息を呑む。


 痛そう、と思った。

 辛いだろうな、とも思った。


 でも不思議と、同情はなかった。

 今までメリサが自分のしてきた事を考えると、自分が哀燐の情を抱けないのも無理はない。


 むしろ……胸のあたりは暗雲が消え大空が広がったように清々しい気持ちすらあった。

 今まで抱いたことのない感覚だった。


 アメリアはやっとのことで言葉を発する。


「殺したん……ですか?」

「あれくらいで人間は死にゃあせんよ」


 まるで、どのくらいで人が死ぬのかを知っているかのような口ぶり。


「死は一瞬の苦しみでしかないからのう。これからあやつには、死ぬよりも辛い地獄を味わってもらわんと」


 くくくと、キャロルは愉快そうに笑った。


「あの……キャロルさんは……」


 何者ですか、と尋ねようとした時。


「……あまり、無茶はしないでくださいよ」


 一連の流れを見守っていたローガンが、溜息を吐きながらキャロルの元へ。


「年寄り扱いするなと言ったであろう。ワシはまだまだ現役なんじゃ」

「もう立派なお年でしょう。お祖母様は肩を負傷してらっしゃるのですから、激し動きは控えるべきです」

「ああ、そのことじゃがのう……」

「お祖母様……?」


 耳を疑うワードにアメリアが聞き返す。


「まさかお祖母様、アメリアに素性を明かしてなかったのですか?」


 ローガンが尋ねると、キャロルはくくくと悪戯が成功した子供のように笑った。

 またまた盛大な溜息をつくローガン。


 ごほんと咳払いし、ローガンは改めて説明した。


「このお方は、“シャロル”様……へルンベルク家の先々代当主の夫人にして、先の大戦において多大なる功績を収めた“軍神”の一人……そして、一介の伯爵家でしかなかったへルンベルク家を公爵家に陞爵した、ばけも……いや、偉大なお方だ」

「おいお主、今化け物と言おうとしたろう」


 予想を遥かに上回るキャロル……改めシャロルの肩書きと経歴に。


「…………へ?」


 アメリアは、素っ頓狂な声を溢す事しか出来なかった。

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