第55話 怒り

「それ、私にくれない?」


 メリサに言われた途端、アメリアは反射的にペンダントを守るように握り締めた。

 途方もない後悔が到来する。


(なんで隠さなかったの……!!)


 今までのメリサの行動からして、このペンダントに目を付けられる事くらい少し考えれば分かっていたはずだ。

 これまでどれほど物を取られてきたと思っているのだ。


 しかしどれだけ自分を責めようとも後の祭り。


 ニタニタと笑うメリサが、ずいっと掌をこちらに差し出してくる。

 さあ、寄越しなさいと言わんばかりに。


 実際、アメリアはメリサに言われるがままたくさんの物を差し出し……いや、強奪されてきた。


 痛々しい記憶がフラッシュバックする。

 少しでも逆らう素振りを見せたらその度に痛い思いに遭わされてきた。


 ここで渡さなかったらまた、酷い目に遭わされる。

 そんな恐怖がアメリアの身に纏わり付く。


『早く渡さなきゃ』という思考が洗脳のように湧き出し、ペンダントを握り締める手が緩み──。


 ──とても、よく似合っている。


 脳裏に響き渡る声。


 ──君の美しい赤髪にぴったりだ。


 思い浮かぶ、ローガンの笑顔。


(ローガン様からの、初めての贈り物……)

 

 一生の宝物にしようと誓った、大事な大事なペンダント。


 アメリアの中に、今までメリサに対し抱いた事のなかった感情が芽生えた。


 ずっと言われるがままだった。

 主体性無く、されるがままだった。


 この人には絶対に逆らえないと思っていた。


(だけど……)


 思った。

 強く、強く思った。


 これだけは、このペンダントだけは──。


(渡したくない……!!)


 ぎゅうっと、ペンダントを握り締めて。

 震える唇で、アメリアは言葉を発した。

 

「……や……です……」


 思ったより小さなその声は、メリサの眉をぴくりと動かした。


「なんですって?」


 低い声で聞き返される。

 恐怖で竦みそうになる身体を奮い立たせ、キッとメリサを睨みつけて。


 今度ははっきりと、アメリアは言い放った。


「いや……です!」


 アメリアの拒否に、メリサの反応が一瞬遅れた。

 何を言われたのか理解出来なかったようだった。


 しかしすぐに、メリサの表情がみるみるうちに怒りに染まって。


「はあああぁぁぁ!?」


 どんっと雷が落ちたような怒声。

 びくりとアメリアの肩が震える。


「アンタ、自分が何を言ったかわかってんの?」


 ドスの効いた声に後ずさりそうになる。

 でも耐えて、メリサの目を見据えアメリアは再び言い放つ。


「わかってます! このペンダントは……絶対に渡しません!」


 ぶちぶちぶちいっと、メリサのこめかみにいくつもの青筋が浮かび、切れた。


「いいから渡せって言ってんのよ!」


 渡さないのなら奪い取るまで。

 これまでもそうしてきた。


 理性が吹き飛び完全に怒りに支配されたメリサが掴みかかってくる。


「いやっ……やめてください!! やめて……!!」


 アメリアは必死に抵抗するが、まだまだ栄養不足気味で小柄な体格とたっぷりとエネルギーを吸い込んだ樽のボディでは歯が立たない。

 

 あっという間にアメリアはメリサに押し倒され組み敷かれてしまう。

 それでもアメリアは必死に身を捩って反抗した。


「このおっ……抵抗……するなぁ!!」


 アメリアに馬乗りになってメリサも負けじと手を伸ばす。


 こんな場面、へルンベルク家の誰かに見られよう物なら一発で不敬罪案件だ。


 しかしメリサは先程まで溜まっていた鬱憤が爆発した上に、ヘイトの対象であるアメリアに反抗を受けブチブチにブチ切れていたため正常な判断力を失っていた


 攻防はしばらく続いていたが、体力でもハンデを抱えるアメリアの抵抗が徐々に弱まってきた。


「あっ……」


 アメリアの細腕から力が抜けた一瞬の隙をついて、メリサがペンダントのチェーン部分を鷲掴みにする。

 

「いやっ……離して……!!」

「こ、こら! 動くな!!」


 ペンダントを外そうとするメリサに、アメリアは力を振り絞って抵抗する。

 そのせいでなかなか外れない。


 もどかしさ、焦ったさがついに臨界点を突破した。


「動くなって、言ってるでしょう!!」


 その刹那。

 ぶちぶちいっと、ペンダントのチェーンが嫌な音を立てて引きちぎられた。


「──っ!!」


 アメリアが言葉にならない悲鳴を上げる。


「わっ……!!」


 勢い余って重心が後ろにずれたメリサはつい、今したが掴んだペンダントを離してしまった。


 ペンダントが宙を舞い、重力に引かれて落ちていく。

 きん、きん、ぱきんと、クラウン・ブラッドが石作りの地面を転がる。


 その音に混じって。


 ちりん、ちりんと、宝石とは違う音がどこかから聞こえてきたような気がした。


「はあ……はあ……全く、よくも手こずらせてくれてわね……」


 メリサが立ち上がり、ペンダントの元へ。

 ペンダントを奪われてしまったショックで、アメリアは呆然としていた。


「そうそうこれが欲しかったのよ、これが……ああ、綺麗……」


 うっとりと、拾い上げたペンダントに見惚れるメリサ。

 もう完全に自分のものにしてしまっているらしい。


「あら?」


 メリサしげしげと、宝石を見つめる。


 アメリアも弱々しく見上げると……クラウン・ブラッドの一部がほんの少しだけ傷ついてしまっていた。


「ちょっと傷物になってしまったみたいだけど、目立つほどじゃないしいいわね。まあ、どうせその辺で拾ってきた安物なんだし」

(安物だなんて……!!)


 メリサは何を勘違いしているのかは知らないが、それはブラッドストーンの中でもさらに希少なクラウン・ブラッドの宝石だ。


 しかしそんな市場的な価値よりも、アメリアにとって大事な付加価値があった。


(ローガン様からの……)


 大事な大事な贈り物を、奪われた挙句に傷をつけられてしまった。

 その事実に、アメリアの胸中では涙が滲むほどの悲しさと辛さが渦巻く。


「ほら、いつまで寝転がってんの? さっさと屋敷に案内してちょうだい」


 盗人猛々しくメリサは言う。

 ペンダントを手に入れて満足したのか、これ以上は追撃してくる様子ない。


 その事にアメリアは安堵では無い、別の感情を抱いた。

 今まで自分の中に手持ちがなかったと思い込んでいた感情。


 自分の意思で、他人に反骨心を剥き出しにし初めて抱いた “怒り“だった。

 

 わなわなと拳を震わせながら上半身を起こし、アメリアはメリサを睨みつける。


「何よ、その目は?」


 視線に気づいたメリサが眉を顰める。


「……さない」

「は?」

「貴方だけは、絶対に許さない!!」


 アメリアが叫ぶと、メリサは驚いたように目を見開いた。

 しかしすぐに、忌々しそうに表情を歪めて。


「公爵家に嫁いだくせに、まだ礼儀がなっていないようね」


 無礼者はどっちだ、とアメリアが口にする前にメリサ膝をついた。


 そして、アメリアの胸ぐらを掴む。

 反対の手が、宙に向けて動く。


 過去の痛みが思い起こして、アメリアは萎縮してしまう。


(ローガン様……!!)


 アメリアが目をぎゅっと瞑ったその時。


「何をしている!?」


 アメリア今、一番聞きたかった声が鼓膜を叩いた。

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