第36話 キャロルという婦人
「陽の高いうちに入るお風呂もまた格別じゃ」
その人物は、身体を洗い流したあと湯船に浸かってそう言った。
アメリアの肩幅二人分くらい隣で「ふいー」と息をついている。
ちらりと、アメリアは横に視線を流した。
かなり、お年を召した方だと感じた。
顔立ちには年相応の皺が刻まれているがひとつひとつのパーツは整っている。
布で包まれている身体はしっかりと引き締まっており、とても健康的に見えた。
艶やかな金髪はお湯に濡れないよう後ろで括られていた。
気立の良い老婦人、といった容貌だったが……年齢を感じさせないハリの肌──頬や、布からはみ出た肩──にいくつか古傷があり、それがアメリアの印象に残った。
(どちら様だろう……?)
今まで浴場で会って来た方々とは明らかに纏っている雰囲気が違う。
佇まいの落ち着きというか、気品があるというか。
そもそも初手で敬語を口にしていない時点で、少なくとも使用人ではない、相当身分の高いお方だとアメリアは判断した。
「そうまじまじと見るでない、照れるであろう」
「あっ、すみません!」
ばっと、アメリアは目線を元に戻す。
その反応に、婦人は何やら面白いものを見たようにくくくと笑った。
「お嬢ちゃん、見ない顔じゃな。どちら様かな?」
「は、はい! 先日、こちらヘルンベルク家に嫁がせて頂いたアメリア・ハグルと申します」
「ほう……アメリアとな」
老婦人は目を細め、アメリアを興味深げに見た。
「そうか……お前さんが、そうなのじゃな……」
「あの……?」
「おお、失礼失礼。私の名は……」
そこで婦人は一瞬、考えるような素振りを見せてこう言った。
「……キャロルという。ここの当主とは、遠い親戚でのう。たまにここらを訪れた時は、ついでによっているのじゃ」
「なるほど、ローガン様の遠縁の方なのですね。よろしくお願いします、キャロル様」
「良い良い、そんな畏まらんでも。堅苦しいのは嫌いでな。キャロルさん、で良い」
「わ、わかりました、キャロルさん」
「うむ」
婦人改めキャロルは、満足気に頷いた。
どこか掴みどころのない、別の言い方をするとちょっと変わっているお方だなと、アメリアは思った。
「ここの風呂は格別じゃろ」
「はい! もう、毎日入っても飽きないくらい、堪能させていただいてます」
「そうかえ、そうかえ、それなら良きじゃ」
「キャロルさんも、よく入られるんですか?」
アメリアが尋ねると、キャロルは「ふう……」と息をついた。
「もともと東洋の文化は大好きでのう。若い頃は毎日のように入っておったのじゃが、ここ数年は何かとやることが多くて……頻繁には入れなかったのじゃが、医者に療養目的で勧められたものだから最近はまた入るようにしておる」
「療養……どこかお悪いのですか?」
「先週から、ずっと肩が硬くて痛みがあってな」
「硬くて、痛み」
「そうじゃ」
とんとんと、キャロルが肩を叩く。
「温めると血流? 血の巡りが良くなって良いと聞いたから、入るようにしているのじゃ」
「なるほど……」
アメリアは顎に手を添え黙考した後、おずおずと申し出た。
「あの、差し出がましい提案ではありますが……」
「ふむ?」
「肩の凝りに効く薬を持ってるので、もしよかったら試してみませんか?」
先程、誓った。
自分もローガンの役に立ちたいと。
キャロルがローガンの遠縁の方なら、是非力になりたいとアメリアは思ったのだ。
「ほう……どういう薬かえ?」
キャロルが興味深げに身を乗り出す。
「えっと、ラムーの葉、ラングジュリの花、あとブーメイル草などを組み合わせ、調合した薬です。炎症を抑えたり、血流を良くする効能の塗り薬です。先日、お腰用に調合した薬がまだ余っているので、それをお渡ししようかと……」
「調合……お前さんが作ったのかえ?」
「は、はい……趣味は植物と調合でして」
アメリアが言うと、キャロルはくつくつと笑みを溢した。
「聞き及んでいる通りの子だねえ、面白い」
「私のことをご存知で?」
「もちろんじゃ、噂は良く聞いておる」
「噂……」
「天真爛漫でおっちょこちょい、淑女にしては落ち着きが無く、それから……」
「あああああもういいです大丈夫ですご勘弁を……」
耳を塞ぎ顔を真っ赤にしたアメリアはイヤイヤと頭を横に振った。
その仕草を見たキャロルはまた、くつくつと笑う。
「……まあ、良い組み合わせじゃな」
「組み合わせ?」
「こっちの話じゃ。して、その薬はどこに行けば貰えるのじゃ?」
「は、はい! 今日でも明日でも、都合の良い時にお渡しできます!」
「それなら明日でお願いできるかえ? 今日はちょっと野暮用が多くてのう」
「もちろんです! お渡しする場所は……」
「庭園に来れるかえ?」
「庭園!」
ぱあっと、アメリアは表情を明るくした。
「行きます、行きます! 風邪をひこうが大怪我をしようが、足を引き摺ってでも行きます!」
「いや、それは流石に休んでくれ」
変な子だなあと、キャロルの顔に書いてある。
「それじゃあ明日、庭園で」
「はい! 時間は……」
詳細の時間を取り決めた後、アメリアはキャロルに薬の手渡しを約束したのであった。
この奇妙な縁が、のちに思わぬ方向に転ぶとは知らずに。
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