第31話 君は……

 本日の天気は快晴。

 心地よく暖かい空気に混じって、庭園に咲き誇る花の香りがほのかに漂ってくる。 


 シルフィの案内でやってきたのは屋敷の外にある、屋根付きのカフェスペースだった。


 ガゼボと呼ばれるこじんまりとした白い建造物で、色とりどりの花が咲き誇る綺麗な庭園を眺めながらお茶を楽しめる場所とのこと。


 一人だったらすぐさま庭園の方に猪突猛進(ちょうとつもうしん)していただろうが、そうはいけない。


 二人用の丸テーブルで、夫のローガンがティーカップを口につけて待っているのだから。


「来たか」


 アメリアに気づくと、ローガンは立ち上がり対面の椅子を引いた。


「かけてくれ」

「は、はいっ」


 ローガンに促され、ちょこんと座るアメリア。

 その対面にローガンも座り直す。


 ちなみにシルフィは案内を終えた後「ではでは、ごゆっくり」と言い残し去っていったため、今この場にはアメリアとローガンしかいない。


 夫とは言え、アメリアにとってローガンはつい数日前までは全く面識がなかった男性だ。

 改めて二人きりとなると、妙に緊張してしまう。


(やっぱり……凄い美形……)


 数日ぶりに見たローガンに対し、アメリアはそんな感想を抱いた。


 彫刻細工のように整った顔立ちも、冷たいナイフを彷彿とさせるブルーの双眸も、陽の光に反射して煌めくシルバーカラーの髪も。


 その全てが“美しい”という言葉のために存在しているように見えた。

 

(この方が……私の旦那様……)


 身体の温度が上昇してきた。

 おかしい、長湯しすぎたせいだろうか。


「すまないな、急に呼び出して」

「とんでもございません。むしろ、お忙しい中ありがとうございます」


 ぺこりと、アメリアが頭を下げる。


「そんな畏まらなくて良い。契約結婚とはいえ、俺と君は夫婦なんだからな。むしろ俺が切羽詰まっていたせいで、全く顔を出せず申し訳ない」

「お仕事なら仕方がないですよ、お気になさらないでください。それに、会えない数日なんて一瞬のことですから、私は全然平気です」


 アメリアが笑って言うと、ローガンはピクリと眉を動かし「君は……」と口を開いたが……一旦その口を閉じ、ティーポットを手に取った。


「君は……紅茶だったな」

「覚えてくださったんですね」

「一度聞いたら忘れない。タージリンで良いか?」

「は、はい、ありがとうございます」


 さらっとすごい発言を聞いたような気がするが、その間にローガンはカップに紅茶を注いでくれた。


 ふわりと、思わずため息が漏れるような良い香りが漂ってくる。


「私がお渡ししたものですか?」

「いいや、君にもらった分は全て飲んでしまった。なので、追加で仕入れてきた」

「そうなんですね」


(ちゃんと、全部飲んでくれたんだ……)


 それも、気に入ってくださり追加の注文まで。


 ニヤけそうになるのを口角を手で抑えることで防いだ。

 危ない。


「いただきます」


 ふーふーしてから、一口。


 タージリンのマスカテルな香りが鼻腔をスッと抜けたかと思うと、舌先から奥にかけて豊潤な味が染み渡った。

 喉元を過ぎると、じんわりと胸の辺りが温かくなる。


「美味しい……こんな味になるんだ……」

「こんな味? 飲んでいたのではないのか?」

「紅茶では飲んだ事がないんですよね。いつも葉のまま食べて……こほん、なんでもありません」


(何言ってんの私!)


 完全な失言。

 アメリアは焦った。


 紅茶の葉をバリボリ貪るわんぱくお嬢ちゃんと思われたら、アメリアの掲げる大人っぽく振る舞おう宣誓が瓦解する。


 どばちゃーと背中から汗が吹き出し、カップを持つ手が震えてしまう。

せっかくお風呂に入ったのに。


 しかしローガンは特に突っ込みを入れることなく、またピクリと眉を動かし「そうか」とだけ呟いた。


 流石のアメリアも勘づく。


 何か、様子が変だと。


 基本、ローガンはむすっとしていて気難しい顔をしているが……。

 いつもより、纏っている雰囲気に尖を感じた。


(この感情は……怒り?)


 家族の目を常に気にしてきたのもあって、アメリアはローガンから放たれる感情を敏感に察した。


 ピンと糸を張ったような緊張感が背中を走ると、嫌な想像が脳裏を駆け巡った。


(もしかして……ここ最近の私の言動がシルフィやオスカーから伝わって……こんな幼稚な令嬢を妻にするなんてできない! とかなんとかなって、婚約破棄とか……?)

 

 根がマイナス思考で自己肯定感の低いアメリアは、そんなことを考えてしまう。


(……でも、それならそれで仕方がないわよね……うん……元々夢みたいな結婚だったし……やっぱり私なんかじゃ、こんな素敵な方と釣り合うわけもなかったんだわ……)


ずるずると勝手に落ち込んでいってしまったが、最後に残った理性が歯止めを効かせてくれた。

 

(で、でもとりあえず! せっかくローガン様が設けてくださった、このお茶会の空気はなんとかしないと……)


「きょ、今日は、紅茶なのですね」


 ティーポットが一つしか見当たらないことに気づいたので言ってみる。

 

「ずっとコーヒーを愛用していたのだがな。君からタージリンを貰ってから、趣向が変わった。美味しいし、疲労回復の効果も抜群でな」

「確かに、今日はとても顔色が良く見えます」

「仕事の効率もぐんと上がって助かった。改めて礼を言う、ありがとう」

「いえいえそんなそんな……お役に立てたのであれば、何よりです」


(……あれ? 怒ってない?)


 自分に対して向けられている感情は敵意や怒りといったものではない、むしろプラスのような感じがした。


(じゃあ、ローガン様はいったい何にお怒りに……)


 心の中で、アメリアは首を傾げた。


「そういう君は少し、顔色が悪いな?」

「そうでしょうか?」


 悪夢に魘(うな)され寝不足です。

と言うのは幼稚さに拍車がかかってしまうので口が裂けても言えない。


「昨日ちょっと、裏庭でたくさん動いてしまったので、その疲労は少し残っているかもしれませんね」

「オスカーから聞いた。楽しんでいたようで、何よりだ」

「とっても広くて、生息している植物も多種多様で、最高の裏庭でした。本当にありがとうございます」

「裏庭でこんなにも喜ぶ令嬢は、君が初めてだよ」


 カフェスペースの外、綺麗に手入れのされた庭園にアメリアは目を向ける。


「裏庭も凄かったですが、この庭園も色々な花が咲いていて素敵ですね。今まで見てきた中で、一番綺麗……」


 頬に手を当てうっとりした様子のアメリアに、ローガンが尋ねた。


「アメリアは、なぜ植物が好きなのだ?」


 返答には、しばし時間を要したのだ。

 アメリア自身、あまり考えた事がなかったからだ。


「んー……なぜ、と訊かれると難しいですね。子供の頃から身近にあって、毎日お花を摘んだり、草を集めてみたりして……気がついたら好きになっていたといいますか……」


「あ、でも」と、アメリアはポンと手を打ち、少し黙考してから、答えた。


「……純粋だから、ですかね」

「純粋?」

「はい。植物には悪意がなくて、純粋です。人間と違って。それが安心するというか……あ! 人間と言っても、全ての人がそうというわけではないですからね? 中にはローガン様のような素敵な方もいらっしゃいます……し……?」


 アメリアの言葉が途中から続かなくなったのは、ローガンが纏っている空気が明らかに変わったからだ。


「なるほど」


 先程感じた、怒りの感情。


「よくわかった」


 確信を得たと言わんばかりの言葉。


(な、何……? なんなの……?)


 ローガンの突然の変わりようにおろおろするアメリアを、強い意思を宿した瞳が捉えて。


「君は……家族に酷い目に遭わされてきたのか?」

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