3-6 昇悟との約束

「小松君、あの高校受けるの?」

 中学三年の二学期、半ばに差し掛かった頃。

 いつか明鈴に付きまとっていた小松彰顕が有名大学の附属高校を受験する、という噂が学年に広まった。その噂は本当だったようで、もし合格した場合は小樽を離れて寮生活になる、と話しているのを聞いた。

「そうなんだ……。じゃ、明鈴ちゃんとは離れるんだね。寂しくなるね」

「え──なんで?」

「だって……」

 あの頃から、顕彰がしつこく話しかけてくることはなかったけれど。

 明鈴は他のことを考えていたので気にすることもなかったけれど。

 顕彰はずっと、明鈴のことが気になると友人たちに話していたらしい。

「そうなんだ……」

「だから、できたら川井さんと同じ高校に行きたいなぁって……」

 いつの間にか顕彰が会話に参加していた。

「でも、寮なんでしょ? おばあちゃんの手伝いもしたいし……無理だよ」

 明鈴は高校生になっても、卒業して大学生や社会人になっても、小樽を離れるつもりはなかった。母親がそうしているように、NORTH CANALを手伝いたいと思うようになった。

「他の学校なら、一緒に行ってくれる?」

「ううん。それも無理」

 明鈴が放った冷たい言葉に顕彰は項垂れた。

「私──女子校に行こうって決めたから」

「ガーン……。じゃ、じゃあ、僕と……付き合ってください……」

 顕彰は本当に、明鈴のことが好きだったらしい。言った言葉は力なかったけれど、真剣に明鈴のほうを見ていた。以前は回りで囃していた顕彰の友人たちも、このときは妙に静かにしていた。

「それは──ごめんなさい」

「やっぱり……」

 肩を落として離れていく顕彰の後ろ姿が妙に小さく見えたけれど、明鈴は今はほんとうに彼と付き合うつもりはなかった。チャンスはまだある、と気を取り直していた顕彰はやがて視界から消えた。

 嫌いではないし、最近はクラスメイトとしては仲良かったけれど。

「明鈴ちゃん、もしかして……あの人と何かあった?」

「ううん。何もないよ。相変わらず勉強見てもらってるだけ。うちの親との関係も、まだわからないし」

 母親に聞いてみたときは、『私よりお父さんのほうが詳しいよ』と言われ。父親に聞いてみたときは、『今は聞かんほうが良いと思うわ』と言われた。それを昇悟に話してみると、『志望校に合格したら教えてあげる』と約束してもらった。

「だから今は、勉強に集中したいの」

 顕彰と付き合えない理由は、本当はそれだけではない。宿題が終わってから昇悟と話したあの日、明鈴はひとつの実験をしようと思った。


「で、悩み事って? 俺には秘密の話?」

「えっ、と……ううん……」

「頼ってくれて良いんだよ? 俺、これでも一応、大人だから」

 笑いながら言う昇悟に、明鈴は少し考えてから両親との関係を聞いた。二人からは答えをはぐらかされたと言うと、昇悟は「そうなるよなぁ……」と短く唸った。

「別に、悪いことじゃないんだけどね。むしろ俺は、明鈴ちゃんのお父さんには感謝してる。正確には──別の人なんだけど──。じゃ、こうしよう、明鈴ちゃんが高校に受かったら教えてあげるよ」

「ほんとう、ですか?」

「うん。約束する。家の人にも、俺から言うって伝えとく」

「わかった……」

 心配することは何もないとわかって明鈴の表情は少しだけ明るくなった。けれど。

「まだあるよね? 悩んでるままだと、受験に良くないよ」

 本当はそっちのほうが重大だろうと、見透かされているような気がした。

「言っちゃえ。全部吐いちゃえ。それか──俺が聞こうか? あの子のことじゃない? こないだ話してた男の子」

 それは正解とは違っていたけれど、的は外れてはいなかった。明鈴がいちばん悩んでいるのは、『好きとは、恋とは、いったい何ですか?』だ。

 明鈴が何も言わないのを、正解、と判断したようで、昇悟は少しだけ嬉しそうにしていた。

「あの人とは、別に何もないけど……わからないんです」

「……前も言ってたね」

 顕彰に捕まっていたところを助けてもらった日、その後の車の中で。あのときはそれ以上の話はなかったけれど、今日は何か教えてもらえるだろうか。

「俺もそんなに経験ないから参考になるかはわからないけど……他の人と比べて気にすることが増えたら、好きってことだよ、たぶん。あるいは──一旦しばらく会わないようにして、その間に気持ちがどう動くか……。忘れたらそれはそこまでの関係だし、そうじゃなかったら、前に進んで良い状況だと思うよ」


 昇悟には言わなかったけれど、明鈴はあの日、志望校を女子校だけにしようと決めた。共学でまた男の子に囲まれて生活するより、いまの状況をはっきりさせたかった。

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