3-3 店主の提案 ─side 昇悟─

 久々に『やんちゃ』に顔を出すと、いつもどおり元気な店主が迎えてくれた。店内には客はいなかったが、いつもと同じ端の席に着いた。

「しばらく見なかったな」

 俺が注文する前に、店主はビールをドンと置いてくれた。

「まぁ、いろいろあって……」

 おしぼりで手を拭いている間に、店主はぶつぶつ言いながら何かを調理していた。いつも同じものを注文していたので、それかもしれない。

「仕事は順調か?」

「はい。出来ることも増えたし、最近は人手不足でレジにも立ってるんですよ」

「ほぉー。ははは、こないだここでぼやいてたのにな」

 しかし俺の表情が沈んでいたからか、店主は少し心配そうな顔をした。

「元気がないな。何かあったのか?」

「こないだ……元カノが店に来たんですよ、しかも俺がレジしてるときに」


 彼女が来たことは、店の前に来たときに硝子越しにわかった。しかし彼女は俺がいることに気が付いていないようで、レジに来てようやく驚いた顔をした。

「大学辞めたと思ったら……ここで働いてたのね」

「まぁな。夕方も別の仕事してるし、あのまま学生してるよりは充実してるよ」

「でもレジでしょ? 夕方って何よ?」

 別れた頃と変わらない、俺を見下した言い方だった。

「今日はたまたまレジなんだよ、普段は裏で作ってる。夕方はカテキョ」

 詳しく教えるつもりはなかったので、簡単に言った。

 彼女の隣には若い男がいて、それが今の彼氏だとはすぐにわかった。

「おまえこそ何だよ、旅行か?」

 俺はレジを打ちながら、普段より雑にパンを袋に詰めた。自分が作ったかもしれないパンを雑に扱いたくはないが、彼女に早く去ってもらいたかった。

「なによ、私が彼氏出来たからって、嫉妬してるの?」

「まさか」

 本当にもう、彼女には何の未練もない。

 パン屋の仕事も慣れてきたし、毎日が充実していた。明鈴の家庭教師は少しだけ受験生向けに内容を変えたが、特に苦にはなっていなかった。クリスマスに泊めてもらって以来、明鈴も話をしてくれることが増えた。


「あいつ、帰り際に俺のこと見ながら笑ってたんですよ。男に何か言いながら……それがイラッとして」

「気にすんなよ、ソトヅラで判断する女なんだろ? おまえはここが良いんだから」

 店主は笑いながら右の拳で左胸を叩いた。

「はは、そうかな……って、それ、どういう意味ですか? 俺がダサいってことですか?」

「いや、そうじゃねーよ」

 再び、はっはっは、と笑い、店主は俺にだし巻き卵を出した。俺がいつも必ず注文する、しっかり味がついてて美味いやつだ。

「小野寺昇悟の良さを、わかる人はちゃんとわかってるよ。現に──川井さんとこに認めてもらってんだろ?」

「それは、まぁ……」

 明鈴の家庭教師を始めてから、この店に来ることが減った。店主に事情を話したとき、寂しいと言いながらも応援してくれた。もともと勉強は嫌いではなかったので、明鈴に『勉強の習慣をつけるだけ』だったのが、いつしか『本当に勉強を教える』ようになった。大学は中退してしまったが、高校でまじめに勉強していて良かったと思う。

「で、どうだ? 可愛いか?」

「……何がですか?」

「明鈴ちゃんだよ。中学三年は……ちとまだ子供か?」

「そうですね。難しい年頃ですよ」

 もちろん明鈴のことは嫌いではない。

 だからクリスマスにプレゼントを用意したし、バレンタインに貰ったのも嬉しかった。しかし明鈴は俺には特に何も思っていないようで、俺もそれほど意識はしていない。そもそも中学生にとって二十歳の男はオッサンだろうし、仮に俺が彼女を好きだとしても犯罪と言われそうだ。

 俺と話すときは普通だが、両親にはときどき反抗しているらしい。

 勉強でストレスもたまっているだろうし、変に突っついて怒られるのは嫌だ。

「もうすぐ夏休みだろ? どっか連れて行ってやったらどうだ? 親は仕事だろうし、友達と遊びに行くのも知れてるだろ? ──お、大輝、また焼けたのか」

「焼けますよ、毎日暑いし、うわ、皮めくれてる!」

 店に俥夫が入ってきて、店主は彼と話を始めた。大輝が明鈴の親友の親だとは既に聞いている。彼は最初は明鈴の母親に片思いしていたことも、なんとなく聞いている。

 すっかり冷めてしまっただし巻き卵を食べながら、俺はひとり今後の予定を立てた。

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