1-3 知奈からの電話

 八月上旬の午後、川井家の電話が鳴った。晴也は仕事で雪乃も実家の手伝いに行っていたので、夏休みでゴロンとしていた明鈴が電話に出た。かけてきたのは、知奈だった。

『宿題、終わった?』

「まだだよー。暑くてやる気出なくて。知奈ちゃん終わった?」

『ううん。でも、小学校のときに比べたら少ないよね』

「確かに……。そうだ、もうすぐ受験でしょ? 志望校は決めた?」

『うーん、だいたい? まだ迷ってるけどね。それより明鈴ちゃん、これから出られる?』

 知奈からの電話の要件は、これから会えないか、ということだった。

 家に誰もいないので迷ったけれど、迷っている間に母親が帰ってきたので、三十分後に駅で待ち合わせることになった。電車に乗る予定はないけれど。

「明鈴、出かけるの?」

「うん。知奈ちゃんと遊んでくる」

「宿題は終わったの?」

「今度するー! 行ってきまーす!」

 明鈴の両親──雪乃と晴也が結婚した時は狭いマンションに住んでいたらしいけれど。明鈴が生まれて少ししてから、NORTH CANALの近くに一軒家を建てた。駅までの途中にNORTH CANALがあって、明鈴は駅に行くときいつも中の様子を伺っている。

 中央橋には大輝がいる可能性が高いのと遠回りになるのとで、明鈴はいつも人力車のコースにもなりにくい最短ルートを歩いていた。ちなみに雪乃は遭遇する大輝に文句を言いながらも、いつも中央橋を経由するルートを通っているらしい。


 夏休み真最中なこともあって、駅前はいつも以上に賑やかだった。電車に乗ろうとしている人、バスやタクシーを待っている人、スーツケースを引きながらホテルへ向かう人。平日だったのでもちろん、スーツ姿のサラリーマンもいる。

 人混みを抜けた駅の入口で知奈は待っていた。

「こないだ明鈴ちゃんが言ってた男の人、見つけたって。お父さんが」

「……え? 本当に?」

「合ってるかはわからないけど、たぶんそうかなーって。その人を見た場所に行こう」

「ちょっと待って、心の準備が」

「ははは! 大丈夫だよ、今いないから」

 笑いながら知奈が先に行くので、明鈴は後を追った。

 交差点を渡って中央通りを途中まで下りたところで都通り商店街に入る。

「あんまり大通りを歩いてると、知ってる人が多くて」

 知奈は両親の影響で、俥夫のほとんどを知っているらしい。もちろん嫌いな人はいないけれど、急いでいるときに捕まって話が長引いて困ることがある。

「あとさ、あそこの金融資料館にお父さんよく行ってるらしくて」

 観光客を乗せて案内中、大輝はよく客の希望で金融資料館を経由するらしい。外壁に飾られている動物は何でしょうとか、お札の原料は何でしょうとか、それが由布院にいっぱいあるだとか、家でも知奈に言いにくるらしい。ちなみに外壁の動物はフクロウで、お札の原料はミツマタだ。

 都通りを抜けた後、二人はサンモールに入った。

「ついたよ。ここで見たって」

「え? ……ここ?」

 知奈はサンモールに入ってすぐのところで右に曲がった。確かに今は誰もいない、夕方から深夜まで賑わっているレンガ横丁だった。知奈が立ち止まったのは、過去に俥夫をしていた人が引退してから営業している店の前だ。

「うちのお父さん、よくここで仲間と飲んでるらしくてさ。馴染みの店なのに知らない人が飲みに来てて、よく聞いてたら、ショウゴって呼ばれてたって」

「へぇ……じゃ、とりあえず二十歳より上なんだね」

 大輝は特に彼のことは質問しなかったらしい。

「店のおじさんが知ってるってことは、地元の人なのかな」

「久しぶり、みたいな話してたみたいだから、どこか行ってたのかな。それより明鈴ちゃん、ちょっと買い物してからスヌーピー茶屋行こうよ!」

「行きたーい! 買い物しつつ涼みつつ!」

 明鈴は笑いながら言ったけれど、本当に暑いので長時間外にいるのは危険だ。

 特に興味のない居酒屋から二人は離れ、のんびり歩きながら南へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る