第36話 奥様はマゾ、もとい、お母さんは自虐症

「ミドルヒール!」


 お腹の傷口に当てられたお母さんの手に重ねられたマリアちゃんの手を、僕は両手で包むようにしてスキル治癒Aレベル2を発動させた。

 温かい光が僕の手からマリアちゃんとお母さんの手へ流れて行き、お腹の傷口へ染み渡るように広がった。


 訳が分からないマリアちゃんは、きょとんとしていた。

 でも、痛みが和らいだと思った次の瞬間には嘘のように激痛が消え失せたお母さんは、驚愕に目を丸くしてから信じられないという顔で僕を見つめる。


「もう大丈夫ですよ。でも、念のため完治したかどうか確認しましょう」


 安心させたくてニッコリと微笑みながら言ったのですが、失敗したようです。

 混乱から立ち直れないお母さんは、傷口に手を当てたまま固まりました。


「お母さん、傷を見せて」


 娘のマリアちゃんのほうが既に落ち着いて現状を把握していますね。

 僕が何かしたことを察して、お母さんの上着を脱がせるとブラウスのボタンを外して肌を晒します。そして、奇跡をその目で確認しました。

 血が噴き出ていたはずの傷が跡形もなく消えているという魔法を。


「ウソっ………どうして…? なんで傷が無いの……!?」

「万梨阿、本当に治ってるの? さっきから全然痛くないのだけど…」

「治ってるっていうか、最初から刺されてなかったみたいに傷跡もないわ」

「そんな……こんなことって…あるのかしら…?」


「すごいわ! お兄さんって、魔法使いだったの?」


 お母さんが無事だと確認できたマリアちゃんは、安心したのかいつもの調子が戻ってきたみたいに、大人びた表情で冗談を口にした。

 ここは明るく乗ってあげるのが本当の大人の務めでしょう。


「ま、そんなところだよ」


「若く見えるけど、もしかして、30歳で童貞?」


「ど、どどど、どどどど童貞ちゃうわ!」


 凄いなこの子。

 無意識にド定番のセリフを引きずり出されちゃいました。

 まさかこの年でそんな引き出しを持ってるとは。とんでもない逸材です。


「それは残念ね。私が卒業させてあげようと思ったのにぃ」


 その引き出しはまだ開けちゃダメだっ。

 辛抱たまらなくなった男が襲い掛かってきちゃうから。

 君は自分の魅力を過小評価してるぞ。

 ……いや、分かっててやってるんだろうなぁ。ホント末恐ろしい。


「ともかく、一度落ち着いてから、ゆっくりと話し合いをしよう」


 まずは、治癒Aで殴られたお母さんの顔も癒してあげます。

 その後、試しに回復Sをかけておきました。

 治癒Aレベル2で流れた血まで元に戻るのか分からなかったのと、いろいろあって混乱してるお母さんの精神状態を回復させる為です。

 血のほうは回復Sでも効果あったかどうか分かりませんが。


 それから、マリアちゃんが血で汚れた手を洗って氷が散乱した床を片付けている間に、僕は外に出てDV男が周囲に潜んでいないかを確認してきた。

 お母さんも血で汚れた体を風呂で洗ってもらい、その間にマリアちゃんが二階の自宅から着替えを取ってくる。念のため明かりは付けず懐中電灯を使って。

 僕はスーパーへ買い出しだ。

 一安心したら、僕たちみんな、お腹が空いてるのを思い出したから。




「異世界って………お兄さん、頭に妖精でも飼ってるんじゃないの?」


 皆でパック寿司とお惣菜の晩御飯を食べた後、お母さんの傷を治した不思議な力のことを、最初の召喚から今現在の状況までダイジェスト版で説明しました。

 もちろん、18禁の部分はカットしてます。

 すると、デザートのカップケーキを頬張っているマリアちゃんから辛辣な感想を頂きました。まぁ、普通はこんな反応になりますよねえ。


「もぉ万梨阿ったら、母親の命の恩人にそんなこと言っちゃダメじゃない」


「いいんですよ。信じろってほうが無理な話ですから」


「重要なのは、お兄さんが怪我を治せる魔法が使えるってことよ。どうして使えるようになったかなんて、どうでもいいわ」


 聞けばまだ小学4年生の10歳だというのに、ドライな娘さんだ。

 これまでの過酷な人生がそうさせたんでしょう。不憫です。


「そうだね。もっと重要なのは、せっかくのこの力をお金に換える方法が無いってことなんだ。このままだと僕は、日本でホームレスになっちゃうよ」


「ウフフフ、それなら任せて。私が力になってあげる」


「えっ!? 力になるって……一体どうするつもりなの?」


「教えてほしい? ダ~メ、まだ内緒よ。私、お風呂に入ってくるから大人しくして待っててね。お母さんが綺麗だからって襲っちゃダメよ」


「万梨阿、馬鹿なこと言ってないで早くお風呂に行きなさい」


「はーい、じゃあ行ってくるね、ヘイロオ兄さん」


 なんて返事していいか分からない僕はぎこちない笑顔で手を振った。

 台風の去ったお茶の間には、沈黙が続いてシャワーの音だけが響いてくる。

 僕の事情は話したから、今度は彼女たちの事情を聞くべきだろうか。

 向こうから話してくるまで待つべきだろうか。

 グズグズ迷っていたら、お母さんのほうから沈黙を破ってきた。


「………あたし、ダメなお母さんですよね……いつも万梨阿に迷惑をかけて……何の関係も無いヘイロオさんも巻き込んじゃうし……本当にダメダメよね……」


「そんなことないですよ。お母さんが本当にダメな人だったら、マリアちゃんは大好きになったりしません。だから元気を出して下さい」


「ヘイロオさん……ありがとう。あたしのことは、皐月って呼んで下さい。年の近いあたしをお母さんなんて呼びにくいでしょ」


「そうさせてもらいます。年といえばサツキさん、失礼ですけど20代半ばに見えるので、もしかしてマリアちゃんの義母になるんですか?」


「やだわ、ヘイロオさんたら……あたしは28です。万梨阿とは本当の親子よ……もぉ…あたしを元気づけようとして、そんなお世辞を言わなくたって……」


「いや、お世辞じゃないですよ。28だなんて驚きました。むしろ僕と同じ23歳と言われたほうが納得しましたもん」


「ほ、本当ですか……いやっ、そんなことありません…私なんてもうアラサーのおばさんですから…全然ダメですから……!」


 うわぁ、この人、すっごい美人なのに、何でこんなに自己評価が低いんだ?

 やっぱり、DV夫から毎日のようにダメ出しされて洗脳されちゃったのかな。


「マリアちゃんも綺麗だって言ってたじゃないですか。サツキさんが否定したらあの子が嘘つきになっちゃいますよ。ついでに、この僕も」


「ありがとう……本当にありがとう。あたしなんかの為に、怪我を治してくれただけじゃなくて……こんなに優しくしてくれて………」


「困った時はお互い様ですから。あまり気にしないで下さい。それよりも、話せる範囲でいいので事情を聞かせてもらえますか?」


 これ以上僕を巻き込んでいいのか迷っていたサツキさんが、意を決して語り出した内容を簡単にまとめると、こんな感じでした。


 雪白は結婚前の名字で、離婚はまだだけど今はもう旧姓を名乗っている。

 三姉妹の末っ子で一番出来が悪かったから、高校在学中に親の決めた相手と婚約させられた。卒業後に即結婚となり18でマリアを産んだ。

 しかし、夫の好みは低身長貧乳ロリというサツキと真逆のタイプだった。

 マリアを仕込んだらもう役目を終わったとばかりに浮気しまくり、挙句には暴力を振るうまでになる。でも親の決めた相手だから離婚はしないという鬼畜。


 さすがに耐えかねたサツキは数年前にマリアと家を出た。

 夫の親はもちろん、実の両親や姉妹も鬼畜の仲間で頼れない。

 世間体を考えて妻と娘を探すように両親たちから言われたDV夫は、情報を得てこの町の駅を見張っていたところ、サツキを発見して後を付ける。

 それに気付いたサツキともみ合いになると顔を殴り、腹を果物ナイフで刺す。


 悲鳴をあげるサツキ、周囲の人が集まってくると逃げ出すDV夫。

 サツキは気丈にも平気な振りをして家に帰った。

 殴られた顔を見て驚いたマリアは、DV夫が家に押し掛けてくるのを恐れて僕の部屋にサツキと一緒に逃げてきた………そして今に至ると。


「大変でしたね。全部DV夫が悪いのにずっと苦労されて…」


「そんなことないです! 私がダメなのが悪いんですから………夫に殴れても当然なんです……ううん、本当ならもっと殴ってもらわないといけないの……」


 えーっ、もっと殴ってとか、もしかしてドMだったりします?

 奥様はマゾ、とかシャレにもならんですよ。


「子供の頃からそうだったの……いつも皆に迷惑かけてばかり………お姉様たちとは大違いで、いつも私だけ叱られてぶたれてました……本当に昔からダメなままなんです……容姿も能力も性格も全て失格………雪白家の出来損ないですから…」


 これは、被虐趣味というより、とことん自分を卑下してるみたいですね。

 奥様はマゾ、じゃなくて、お母さんは自虐症、でしたよ。

 ここまで自己評価が低いタイプは初めてです。対応が分かりません。


「会ったばかりでサツキさんのことをよく知りませんけど、少なくとも容姿は女優さん並みに美しいですよ。むしろ、下手な女優より綺麗ですって」


「本当!?」


 うおっ、ローテーブルの対面から身を乗り出してきた。

 近い、顔が近いですって。

 オッパイ、オッパイがでかいですって。

 本当に綺麗なうえに色っぽいんだから反応しちゃうでしょー。


「だ、駄目ですよ…僕だって若い男なんですから……勃っちゃいますって…」


「本当にっ!?」


「あ、だからそんな甘い吐息をかけられたら………あぁぁぁ、もう本当に勃っちゃたじゃないですかぁ……お願いですからその綺麗な顔を後ろに戻して下さい」


「ありがとう………あたしなんかで…勃起してくれて………本当に、本当にありがとうぅぅぅうえーーん うえええ~~~ん うえええええええ~~~」


 う、うそーん。

 勃起して女性に泣かれたのは初めてですよ。

 意味が分からな過ぎて草しか生えませんよ。

 マリアちゃんとは別の意味で取り扱い注意にもほどがある。

 誰か、この母娘のトリセツをくれませんかねえ。


「やっぱり襲ったのね。お母さんを泣かせるなんて、責任取ってもらうから」


 ビクビクッ!?

 いつの間にか、風呂上がりのマリアちゃんが背後に迫っていました。

 パジャマ用のショートパンツから伸びる生足が眩しいです。

 思わず見入ってしまったのがいけませんでした……


「婦女暴行の現行犯で死刑ね。ギロチンの刑に処します」


 ローテーブルの前であぐらをかいて座っていた僕の首に、マリアちゃんが上から乗っかってきました。一見、ただの肩車で微笑ましい光景です。

 しかしてその実態は、お母さんで勃起した男がその10歳の娘の太ももを両頬に感じて、さらに肉棒をたぎらせるという鬼畜絵図なのでした。


 ────あぁ、ロリ属性なんて持ってなかったのに目覚めちゃったかも……


 締まりのない顔でロリに太ももで顔を絞められる情けない僕を、さっきまで嬉し泣きしていたサツキさんが白い目で見ていました。

 超美人の軽蔑の眼差しにゾクゾクっと背筋だけでなく勃起した愚息も震える。


 ────あぁ、また何か別の属性が開発されてしまったようです……


 そんな感じで、マリアちゃん母娘との初めての夜は更けていきました。


 結局、僕の問題は何も片付いてなかったのですが、この二人と一緒なら何とかなりそうな気がして三日ぶりにぐっすりと眠れました。

 ベッドは母娘に占領されたので、床で寝たにも関わらず。


 そして翌朝、良く眠れ過ぎて寝坊した僕を叩き起こして朝飯を食べさせたマリアちゃんが、天使のドヤ顔でこう宣言されたのです。


「さあ、患者さんのところへ行くわよ!」

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